第17話 圧法乱舞
「出てきやがれ、赤城ぃ!!」
聞き覚えのある怒鳴り声が外から聞こえてくる。その声は、先ほど情報屋に暴力を振るっていた、あのパンチパーマのヤクザの声だった。
倉瀬は慎重に窓際に寄り、そっと外の様子を見てみた。
手ごわい相手(倉瀬)がいると思い、仲間を集めてきたのだろう。全部で二十名近く。情報屋が情報を流して不利益を被った程度にしては、あまりにも非常識な動員数だ。
情報屋をちらりと見ると、目線があった瞬間、彼はビクリと体を震わせた。明らかに何かを隠している様子だった。
「倉瀬さん、あ、相手はどれだけ?」
「20人はいるな。お前さん、何をやらかしたんだ? 本当に情報の横流しだけか?」
「し、知りませんよ」
「正直に言え」
「知りま――」
「言・え」
「――じ、実は――奴らと敵対しているチャイニーズマフィアに、大事な情報を――金払いが良かったもんで――そしたら、マフィアの奴ら、ヤクザの会合の席を襲撃して――」
「そう言えば、先日上尾で堂坂組の幹部連中がチャイニーズマフィアと銃撃戦をして、5名ほど死んだ事件があったな。あれの手引きをしたのはお前さんか」
「手引きだなんて! お、教えた情報自体は大したことなかったんですよ! それを――」
「さて、どう切り抜けるか」
「ちょ、話聞いてくれよ、倉瀬さーん!」
怯える情報屋を無視して、倉瀬は脱出方法について考えていた。警察手帳を出せばすぐに引っ込むだろうか。いや、自分が刑事であることを知られれば、情報屋相手に取引をしていたことがヤクザにばれてしまい、のちのち面倒な事になる。それに外にいる連中は生粋の武闘派ヤクザのようだ。最悪の場合、自分を警察だと知っていても、容赦なく攻撃してくるかもしれない。
「久しぶりに体を動かすか」
肩を回しながら倉瀬は立ち上がる。情報屋もすがりつくように倉瀬の後を追う。
「倉瀬さん、な、なんとかなるんですか?」
「……そういえば」
「は、はい」
「お前さんの名前を忘れていたが、さっきのヤクザの言葉で思い出せた。赤城徳三だったな」
「そんなこと、こんな時に関係ないですよ、旦那ぁ」
「ハハハ」
今にも泣きそうな情報屋赤城を残して、倉瀬はアパートの部屋から出た。
「こっちはロートルなんだ――手加減してくれよ」
そう言いつつも。
どこか倉瀬は楽しそうにニヤついている。
「出てきやがったかぁ!」
ロン毛の若いヤクザがアパートの階段の下で待ち構えている。阿呆みたいに口をパクパク開けて、威嚇を繰り返している。まるで水の外に放り出された金魚のようだな、と倉瀬は苦笑した。
倉瀬は気にせず一階まで下りた。
すぐに若いヤクザは近くまで寄ってきて、倉瀬の胸倉を掴んできた。目を怒らせて頬肉をプルプル震わせて、本当に陸に揚げられた金魚のようだ。
「くくく」
倉瀬はとうとうこらえ切れず、笑ってしまった。
「何がおかしいんだよ、ジジイ!」
怒号し、若いヤクザは右腕で殴りかかる。
そのパンチを、倉瀬は相手の肩口を手の平でドンと小突くことで、強引に中断させた。肩を押されて上体を崩されたヤクザは、顔を真っ赤にして怒り、体勢を立て直すと、また倉瀬に向かって殴りかかった。
倉瀬は素早く目打ちを放つ。まぶたをしたたかに打たれたヤクザは、倉瀬の胸倉を掴んでいた手を離すと、顔を押さえて後ろへと退いた。
その間に他のヤクザたちが続々と集まってきた。
「どうした、戸上!?」
「てめえ、クソジジイ! ぶっ殺すぞ!」
周りでヤクザたちが吼え猛っている。並の者なら、恐怖のあまり泣き崩れてしまうだろうが、倉瀬はまるで気にかけていない。それどころか、いまだ顔を押さえている若いヤクザの目の前まで距離を詰めて、正面から睨みつけた。
「なんだよ、なんなんだよ、てめえは!」
「説教ジジイだ」
「だ……あ!?」
「いいことを教えてやる――ジジイは、強いぞ。ジジイにだけは喧嘩を売るな。いいか?」
「なに、ふざけたこと抜かして――!!」
「じゃあ証拠を見せてやろうか」
倉瀬は、軽く右腕を振った。
パン、と若いヤクザのこめかみに、衝撃が走る。
相手は、白目を剥く。
刹那のうちに何が起きたのか。若いヤクザは意識を失い、くしゃりと崩れ落ちた。体全体から力が抜け、眠るような表情で、腰から地面に落ちて、寝転がってしまった。
「な、な?」
「どういうことだよ、おい! 戸上、しっかりしろ!」
ヤクザたちが色めき立つ。口々に騒ぎながら、倒れた若いヤクザを介抱しようと、何度もその体を揺さぶるが、一向に起きる気配はない。
倉瀬は冷たく笑った。
「無駄だ。私にしか起こせんよ」
「何しやがった、てめえ!」
「経絡秘孔を突いた。人体にはいくつかのツボがあるが、場所によっては、こんな風に簡単に相手を落とすことが可能だ。理解できたか?」
「ほ、北斗の拳じゃねえんだよ、バカヤロウ!」
「いや、真面目な話、私は小さいころから教わってきたんでな、少林寺拳法で。圧法を知っているか?」
「知るか!」
「そうか。憶えておけ。少林寺拳法でも奥義中の奥義だ。残念ながら完璧に使いこなせる人間はほとんどいないがな。で、その圧法だが」
倉瀬は、余裕綽々の態度で、あごヒゲをボリボリと掻いている。
「よく言われているのは、『落とすのは誰にでも出来る。だが、蘇生させるのは、誰にも出来ない。完璧に蘇らせられるのは一握りの達人だけだ』ということでな。意味わかるか?」
「げ――」
介抱していたヤクザの顔が青ざめた。
その隣で所在なげに突っ立っていた肥満体のヤクザが、憤怒の表情を露わにし、
「ぶっ殺してやる!」
と襲いかかったが、その鼻柱にパーンと弾けるような掌底を喰らい、首がガクンと後ろへ折れ曲がった後、頭から地面に倒れてしまった。
同様に、意識を失っている。
「おっと、頭を打ったか? いかんな、殺してしまってはまずい」
まずい、と言いつつ、倉瀬の声音には一片の同情心も含まれていない。自業自得だ、と言わんばかりである。
寝転がっている第二の犠牲者の姿を見て、若いヤクザの介抱を続けている男は、脂汗をかきながら、倉瀬の顔を見上げた。
「な、あ、ジジイ。教えてくれ」
「おう、なんだ」
「このまま寝ていたら、どうなるんだよ」
「呼吸も止まっているからな。まず、死ぬ」
「ざ、ざけんじゃねえよ!」
男が叫ぶのと同タイミングで、アパートの裏手に回っていた残りのヤクザたちも騒ぎを聞きつけて、姿を現した。
室内で会ったパンチパーマの男も混じっている。
「てめ――!?」
パンチパーマの男は、目を丸くした。
「仲間の命が大事なら、情報屋が逃げられるまで一歩も動くな。私でなければこいつらを介抱出来ないぞ」
「誰が聞くかよ、ジジイ!」
「なら、見殺しにするんだな。私は構わんぞ」
「くっそぉ!」
怒りで我を忘れたパンチパーマの男は、倉瀬に向かって突っ込んでいく。その体を、どうやってさばいたのか、脇に避けた倉瀬がちょっと腕を回すと、あっという間に男の全身はくるりと空中で大回転した。
「わ、あ、あ!」
地面に叩きつけられ、背中を強打した激痛で、息が止まる。その隙に、倉瀬は相手の背中に足を乗っけた。これまた経絡秘孔を踵で突き、立ち上がれないようにしている。無理に起きようとすれば自分から深く秘孔に倉瀬の踵を食い込ませることとなり、ますますドツボにはまっていく。
「ぐお、ぐおお、ぬぐおお!!」
パンチパーマの男は情けない声を上げて奮闘しているが、じたばたするだけで、まったく起き上がることが出来ない。
さすがのヤクザたちも、倉瀬の尋常ならざる強さに尻込みし、続いて攻撃を仕掛けることが出来なかった。今ここで攻撃を加えても、他の三人と同じように一瞬で倒されてしまうのがオチだ。
「もういい、そのへんにしておけ」
重く響き渡る声。
(出たな)
倉瀬はわずかに身を緊張させた。
リーダーのお出ましだ。
「爺さん、俺はあんたを見くびっていたようだ。只者じゃないと思っていたが、なるほど、坂東先生ばりの技を受け継いでいるとは、な」
リーダー格のスキンヘッドの男は、鋭い目で倉瀬を睨みつけたまま、一度も目線をそらさず瞬きすることもなく、殺気を絶やさずにいる。恐るべき集中力だ。肉体の強さだけでなく、精神的な強さもなければ、ここまで威嚇し続けることなど出来ない。
(只者じゃない、か。その言葉、そっくりそのまま返してやろう)
倉瀬はまた、スキンヘッドの男が少林寺拳法における高弟の名を知っていることに、妙な感覚――仲間意識のようでいてそれとも違う――あえて言うならば、遠く離れた大都会で何十年ぶりに同郷の者と出会ったような、郷愁のようなものを感じていた。
もし相手がヤクザでなかったら、懐かしさで手を取り合っていたかもしれない。
「だが詰めが甘いぜ、爺さん」
スキンヘッドの男は、最初に倒された若いヤクザの側へ寄り、上体を起こしてやると、「ふん」と気合一声、背中のあたりを膝でグイと押してやった。
たちまち若いヤクザは目を覚ました。
「あ……俺……?」
自分が気絶していたことを理解していない。
彼の記憶は、倉瀬が目の前に立ったことまでしか残っていない。外傷もなければ頭に痛みも感じない。突然、フッと眠気に襲われて、気がついたら横になって眠っていた――そういう感覚だ。
「目が覚めたか、戸上」
「あ、アニキ……」
「目が覚めたところで、悪いんだけどよ」
「は、あ」
「とりあえず、雑魚は死ね」
グシャッ、と頭を地面に叩きつける。
若いヤクザは、顔面をコンクリートにぶつけられ、潰され、真っ赤な血が路上にべちゃりと飛び散った。
「あ、ぶあ、ばあああ!!」
鼻が折れ、歯が砕け、血まみれの顔を振り回しながら、若いヤクザは泣き叫ぶ。
「すびば、ぜん、すびばぜええん!!」
大粒の涙をこぼしながら、スキンヘッドの男に何度も何度も土下座を繰り返す若いヤクザだったが、スキンヘッドの男は容赦なく、謝罪している相手のアゴを、思い切り爪先で蹴り上げた。骨の砕ける音が聞こえた。
「ばあああ!!」
アゴを押さえて、若いヤクザは地面を転げ回っている。
「……てわけであんたの脅しは無意味。俺にも蘇生は出来た、ってことだ」
スキンヘッドの男は、若いヤクザのことは見捨てて、倉瀬に向き直った。
「お前さん活法が出来るのか? いやはや疲れる男だな。せっかく若い連中に珍しい技を披露してやったというのに」
「くくく、最後は、爺さんが活法で起こしてやって、締めるつもりだったか?」
「拍手喝采でな。これでは感動も何もないじゃないか。まったく、つまらん。空気くらい読め」
「そう気を落とすな、爺さん。俺だっていつも成功するわけじゃない。今はたまたま上手くいっただけだ」
「で、どうする? もう一人の部下も起こしたら、仕切り直しか?」
「いや、そいつは野暮ってもんだ。俺はな、爺さん。あんたみたいな奴は嫌いじゃねえ。今どき極道顔負けの胆力を持っている爺さんなんて、そう出会えるもんじゃない。オヤジは怒るだろうが今日のところは見逃してやる」
「ありがたい」
倉瀬は、押さえ込んでいたパンチパーマを解放すると、すぐにアパートの二階へと駆け上がった。
部屋の中に入ると、情報屋赤城はスチール机の下に隠れてガタガタと震えていた。あまりにも哀れな姿に倉瀬は苦笑した。
「逃げるぞ」
「や、奴らは?」
「外で待っている。が、今日のところは見送ってくれるそうだ。よかったな」
「へ、へえ。ありがたいです。今日のところは、ね……」
恐怖で足もとの覚束ない情報屋赤城を連れて、倉瀬はまたアパートの一階へと下りていく。その行動を一部始終、ヤクザたちは眺め続けている。怒りと苛立ちをなんとか胸の内に抑えながら。
「今は我慢しろ、今は、な……」
スキンヘッドの男は部下たちをなだめながら、口元に笑みを浮かべた。
倉瀬たちは道路に出て、十条駅前の商店街へと急ぎ足で進んでいく。
「助かったぁ……」
情報屋赤城はホッと溜め息をつく。
「おい!」
その背後からいきなりスキンヘッドの男が大声で呼びかけてきた。情報屋赤城はビクンと体を震わせる。
「俺は、堂坂組の冨原だ! 冨原市朗だ! てめえの名前は何だ!」
「私か? 私は――」
倉瀬は、振り返る。
「ただの定年間際のジジイだよ。そっとしておいてくれ」
軽くいなした後、倉瀬は肩をすくめ、また歩き始めた。
背後から強烈な殺気を感じる。紛れもなくスキンヘッドの男冨原が発している気だ。気勢だけでも化け物じみた迫力がある。
(厄介な奴と関わってしまったな)
ありゃあ執念深いぞ――と、倉瀬は先々のことを考えて、嫌な気分になった。
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