第14話 十条の情報屋

 藤署長から渡されたネット掲示板のプリント紙を鞄に突っ込み、倉瀬はほんの数秒だけ自分のデスクに戻っただけで、すぐに署から飛び出した。


 小田急線で新宿まで出た後、埼京線に乗り換える。


(あいつがいればいいんだが)


 アポイントを取っていないので、目当ての人物に会えるかどうか、それだけが倉瀬は気がかりだった。


 ※ ※ ※


 埼京線の十条駅から商店街を抜けていって徒歩十分ほど。


 下町風のうらぶれた街中にその古アパートはある。


 二階奥の角部屋に倉瀬はわき目も振らず向かい、ドアを叩いた。


「おい、入れてくれ。私だ、倉瀬だ」


 数回ノックするも返事はない。


 腕時計を見ると午後三時。この時間はいつも部屋にいるはずだ。


(……ん?)


 物音が聴こえた。人の気配がする。試しにノブを回してみたら、なんなくドアは開いた。


「入るぞ」


 部屋の中に入るやいなや、倉瀬はギョッとした。


 ヤクザと思われる七名ほどの男たちが、狭い室内にひしめき合って、椅子に縛りつけられた痩せた一人の男を取り囲んでいる。


 その痩せた男は倉瀬が会おうとしていた情報屋だ。殴られていたのか、口の端が切れて血が流れている。

「おい、勘弁してくれよ……」


 倉瀬は情報屋に仕事を依頼しに来ただけなのに、思わぬ厄介事に巻き込まれてうんざりしていた。


「倉瀬さん、助けてくれえ!」


 情報屋は悲鳴を上げる。


 その腹を、隣に立っているパンチパーマの男がぶん殴った。


「うえ」


 吐きそうな声を上げ、情報屋は息を詰まらせる。体を椅子に固定されているから、前かがみになることも許されない。


「おいおい、乱暴はよせ」


 倉瀬が止めに入ると、パンチパーマは、


「あっ?」


 と凄み、ガンを飛ばしてきた。


 一般人なら恐怖で縮み上がるだろうが、倉瀬には無効だ。


「彼に用事があって来たんだ。退室してもらえないかな」

「誰だぁ、てめえはぁ!?」

「込み入った用事なんだ、すまんが出ていってくれ」

「誰だ、って聞いてんだろうがぁ!」

「出ていけと言っているのが聞こえんのか、チンピラ坊主!」


 鬼瓦のような表情の倉瀬に大喝されたパンチパーマの男は、「ヒッ」とひと声、たちまち身を引いてしまった。


「どこの組だ、あんた」


 リーダー格と思われるスキンヘッドの男が、情報屋の後ろからヌッと姿を現した。今まで床に座っていたらしい。立ち上がると、他のヤクザより頭一つ飛び出て大きく、体も筋骨隆々としていて、見るからに武闘派の男だ。かなり出来る。


「名乗る気はしないな」

「ほお……」


 リーダー格の男は目をすがめて、倉瀬のことをジッと観察する。


 しばらく黙っていた後、


「出るぞ」


 周りの部下たちに指示を出した。


 明らかに、不満と不服の様子が部下たちの態度に表れる。だが誰も文句を言わず、リーダーの言葉に従ってぞろぞろと彼の後について部屋を出ていく。


 途中、パンチパーマの男が腹いせにわざと肩をぶつけてきて、「チッ」と倉瀬に対して舌打ちをしてきた。


 これが刑事になりたての頃であれば思いきり相手の顔面を殴っていただろうが、倉瀬は落ち着いて相手の挑発を受け流した。


「やれやれ、最近の極道も質が落ちたな」


 倉瀬は誰ともなしに文句を言い、情報屋を縛っているロープを外してやった。


「すんません、倉瀬さん」


 情報屋はペコペコ頭を下げる。


「何があった」

「や、あたくしが流した情報で、不利益被った組がありましてね。それが連中なんですよ」

「当たり前のことじゃないか、情報屋が情報流すのは」

「ええ。昔は極道も、そのあたりの筋はキチッとしてたんですがね。ほら、長年の不況であいつらもシノギがきつくなってましてね、そこへもって全国的に暴力団撲滅キャンペーンなんてやってるもんでしょ」

「追い詰められた極道がマフィア化してるようだな」

「仁義も何もないのは馬鹿チョン連中だけかと思ったら、ヤクザまで同類ときたもんだ」

「馬鹿チョンという言葉は感心しないな」

「あんたは警察だからリベラルに生きないといかんでしょうが、あたしらはお陰様でえらい迷惑受けてるんで。チャイニーズマフィアが馬鹿チョンなら、日本ヤクザは傷だらけのチンポコ野郎ですよ。畜生、情報売る度にコンクリ詰めされそうになるなんて、割に合わねえや」

「お前さんの境遇には同情するが、いい加減仕事の話に入らないか?」

「ああ、そうでしたね……っと」


 情報屋はヨロヨロ立ち上がり、スチール机まで歩いていくと、パソコンの電源を入れた。またパソコンか、と倉瀬はかぶりを振った。


「五年前に仕事を頼んだ時はアナログだったじゃないか」

「や、まあ、時代の流れってやつですよ。昔は引く手数多のあたくしも、今ではしがない金欠野郎――こうしてITの恩恵に預かって合理化でもしないと、能率が上がらんのですよ」

「情報漏洩が問題になっているじゃないか。お前さんは大丈夫なのか」

「スタンドアローンにしてますからねえ」

「スタンド……なんだ?」

「スタンドアローン。ネット接続していない状態のパソコンですよ。基本的に、情報収集用のパソコンはあっち」


 と、隣のスチール机の上にあるパソコンを指さす。


「で、こっちのパソコンはデータベース用ですよ。当初は外付けのハードディスクを使っていたんですけどね、そのうち面倒になりましてね。いっそパソコンを二台買えば、用途によって使い分けが――」

「細かい話はどうでもいい」

「結論から言いますと、情報ってのは今も昔も変わらないんですよ」

「と言うと?」

「人の意思で情報は左右される――誰かが悪用しようと思えば、情報の漏洩を防ぐことは出来ませんよ。逆に、誰も目をつけない場所であったり、報復を恐れるような相手であれば、情報を取られる心配はない。どれだけ技術が進歩しても、最後に問われるのはデジタルではない部分。アナログの世界です」

「なるほど。よく理解できる」


 倉瀬は細かい話はわからなかったが、情報屋の言わんとしていることは理解でき、そして同感だと思っていた。


 どれだけ世の中がデジタルで便利になろうと、そのシステムや登録情報、あらゆる分野に人の手が関わってくる。結局人間そのものを突き動かせば、デジタルでガチガチに固められた世界であろうと自分の思い通りに色を塗り替えることが出来る。いや、デジタルだからこそ融通が利かないため、誰かが悪意をもって個人情報を流してしまえば、パソコンが検閲するわけでもなし、あっという間に全世界へと情報が伝わっていってしまう。


 結局情報を活かすも殺すも全てはそれを操る生身の人間次第、ということになる。


「で、調べてほしい情報はなんでしょう?」

「一〇五式火炎放射器について」


 倉瀬はプリントを渡す。


 情報屋はしばらく難しい顔をしてプリントを読んでいたが、やがて眉をひそめながら、倉瀬に顔を向けた。


「倉瀬さん。あんた、警察なのに一〇五式火炎放射器のことをご存じないんで?」

「ああ。何かあるのか」

「何かあるも、何も」


 情報屋はプリントを指でピンと弾いた。


「昔から裏の世界では有名ですよ。一〇五式は。実在するかどうか不明だったんですが、そうですか、今さらネットで噂になっているんですね……」


 どうやら一〇五式火炎放射器の噂話は、都市伝説どころではない、本当の生きた情報のようだった。


「やはり情報は足で稼ぐべきだな」


 ネットだけではここまで辿り着けない。人と信頼関係を築き上げ、人と直接対面しながら話すからこそ、見出すことの出来る真実もある。


「では聞かせてもらおうか。その情報について」

「はい」


 情報屋はパソコンの画面を見たまま、小さくうなずいた。


 早くもパソコンの画面には、「一〇五式火炎放射器」と書かれたタイトルとともに、どこから引用したのかわからない火炎放射器の絵が映し出されている。


「これが一〇五式……」


 倉瀬はモニターを食い入るように見つめた。

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