第12話 藤署長

 対策本部での会議から得られるものは特になかった。


 マッドバーナーのことは誰一人有益な情報を掴んでいない。今後の対策について、喧々囂々、毎年同じ議論を繰り返しているだけだ。何か新しい展開はないものかとしっかり構えて聞いていたが、結果は非常に残念なものであった。


 むしろ世田谷の事件を担当し、大阪でマッドバーナーと対面したこともある一番の経験者倉瀬に、本部の方から、


「何か情報はありませんか」


 と質問があったほどである。


(これほどまでに手掛かりを遺さないとは)


 火炎放射器の購入ルートひとつ取っても、非合法の団体をしらみ潰しに捜査していれば、どこかでヒットするはずだ。実際その考えのもと、有力な暴力団を中心に専門の刑事たちが徹底的に調べ回っていた。


 それでも尻尾を掴ませない。


(もしかしたら敵は私が思っている以上に……)

 マッドバーナーの背後にいる巨大な“協力者”の影を感じ、倉瀬はぞくりと背筋に悪寒を感じた。


 会議が終わった後、勤務先である世田谷の警察署に出勤した倉瀬に、さっそく署長から呼び出しがかかった。


 隣接している公園が見える眺めのいい喫煙コーナーで、署長は煙草を吸いながら待っていた。


「倉瀬さん、お疲れ様です」

「どうも」


 自分より十歳年下の藤署長は敬語で話してくる。くすぐったい気分だが、倉瀬はそれに応えるようにいつもくだけた口調で喋っている。経験も実績も倉瀬の方が上であり、傍から見ている分には違和感はない。


「藤さん、何か用でも?」


 倉瀬が署長に呼ばれる時は、決まって事件に関わる重大な話か、私生活に関わる相談事かどちらかであった。


「いやあ、実はですね」


 藤署長は警察官とは思えないモジャモジャの髪をぐしゃぐしゃと掻きながら、心底困り果てた様子の顔で、


「今度娘が結婚するんですよ」


 と切り出してきた。


 なんだ相談事か、と倉瀬は体の緊張を解いた。


「その相手というのが……」

「昔しょっぴいた暴走族、って言うんでしょう?」

「よくわかりましたね」

「前に署長自ら酒飲みながら愚痴を言ってたのを憶えてましたんでね。で、その暴走族上がりのあんちゃんがどうかしたんですか?」

「や、今ではすっかり丸くなって、礼儀もキッチリしてますし、だからこそ私も結婚を許したんですが……」

「素直に腹を割って話せない、と」

「お恥ずかしい話、小心者でして。彼は大丈夫かもしれませんが、私はどうも負い目を感じてまして。軽微なものとはいえ、彼を前科者にしたのは私ですから。どうにも気を遣ってしまうのです」

「それはいかんですな」

「やはりオドオドせず、警察署長らしくもっと強面でいくべきでしょうか」

「いやいや、私の言った、“それはいかん”とは、別にあんたの態度を指したわけじゃない。小心者であることを気にしていることが、いかん、というのです」

「はあ」

「人間の大半は小心者だ。鷹揚と構えられる人間なんてそうザラにはいない。世間では小心者を悪であるかのように嫌っていますが、そいつは自分のことを棚に上げている。小心者が悪であるなら、ほとんどの人間が悪だ。私も小心者だから悪だ」

「いや、倉瀬さんは――」

「まあ聞きなさい。私のことはどうでもいい。とにかく小心者であるのは悪いことではなく、悪い小心者がいるのが問題なんです。そういった連中は自分をよく見せようとして、体裁だけは大物ぶる一方で、内心は不満ばかり溜め込んでいる。あんたみたいに真面目な人間がそんな真似をしたら、身も心も堪えられなくなる」


 だから、と倉瀬は話を続ける。


「自然と語り合えるようになるまで、今は無理に話しかけたりせず様子を窺うべきです。焦る必要はない。常に平常心を崩さないようにしていれば、いつか流れはよりよい方向へと向いていきます」

「平常心ですか」

「ええ」


 それは倉瀬が生前の父に常日頃言われていたことでもある。


――考え方が人と違おうと、過ちを犯そうと、平常心さえ失わなければ生きていける。人として理性を保って生きるにはそれだけで十分だ。


 その父の言葉を胸に、ここまで生きてこられた。でなければ自分は今までの職務に堪えらなかっただろう、と倉瀬は感じている。それほどまでに倉瀬が今までに経験してきた事件は常軌を逸したものばかりであった。


 その最たるものがいまだ解決していない、「マッドバーナー事件」なのである。


「やはり倉瀬さんと話すと安心します。経験の差ですかね」


 憑き物が落ちたような顔で藤署長はホッと溜め息混じりに言う。


「経験ではなく“振る舞い”の差です。意外と多くの連中が自分の至らない点に気が付いているもんです。ただ行動に移せないだけだ。藤さん、あんただってそうでしょう? 本当はわかっていたはずだ」

「ええ、まあ」

「だからそういう時は今回みたいに遠慮なく話してくれるといい。経験も歳も大してあんたと変わりはない。ただ、行動するためのきっかけを与えることは出来る」

「ありがとうございます」


 藤署長は深々と頭を下げる。


「で」


 顔を上げ、


「事件の話ですが」


 不意を突かれて、倉瀬の思考は一瞬停止した。


「は、あ」

「一年前の大阪事件で、マッドバーナーの使っている火炎放射器は旧帝国陸軍が使用していた一〇〇式火炎放射器だと、分析の結果が出たじゃないですか。ほら、防犯カメラに映っていた映像から」


 頭が回らなくなったところへ、畳み掛けるように藤署長は話を進めていく。こうなると署長のペースに巻き込まれざるをえない。気が付いたときには、今はまだ伏せておきたいような情報まで洗いざらい話させられてしまう。


 これだから藤署長は油断ならない――と倉瀬は引きつった笑みを浮かべた。

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