第10話 悪魔マッドバーナー
耳元で発砲音が響き、鼓膜が破れんばかりに振動する。
リャンの頭が砕け鮮血が飛散するのを見るのと同時に、俺は耳を押さえてうずくまった。脳味噌までガンガンに痺れている。なんて暴力的な音だ。
背後の気配が消える。
少女が去ってゆくのを感じる。
だが俺はもう焦ってはいなかった。奇妙には思うが、とにかく彼女自身の口から彼女の住処を聞き出すことが出来た。後は実際にその場所へ行くだけだ。
(彼女は本当のことを言っていたのか?)
俺は自分に問いかける。
(ああ、嘘はついていない。俺にはわかる)
自分の問いに対して確信を持って答える。
信頼出来る人間と、信頼出来ない人間。その判断を誤ったことは滅多にない。彼女はきっと嘘をついていない。
愛知県春日井市の小さな町。
そこが彼女のいる場所だ。
「燃やしに行こう。クリスマスイブに、君を焼きに」
俺は誓った。
それが彼女の望むことであろうとなかろうと、俺には関係ない。ただ彼女を純粋に燃やしたい。それだけの話なのだ。
※ ※ ※
―2008年11月24日―
「やってくれたわね」
翌日、チューニングの終わった火炎放射器を取りに来た俺に、リーファは冷たい声を浴びせてきた。
ゾッとするほど人間的感情を押し殺した声音だ。
マフィアとしての本性が彼女の全身から滲み出ている。
「何がだ」
俺はとぼけて、机へと手を伸ばし、袋に入った火炎放射器を取ろうとする。
「待ちなさい」
リーファは短刀を机に突き刺した。ちょうど俺の中指と薬指の間に刃が割り込んでくる。あと少し前へ手を伸ばしていたら、指の間を裂いてしまうか、手の甲を貫かれていた。
「笑えないな」
「笑えなければ、口の端を切り裂いて無理やり笑わせてやるわ」
「俺が何をした」
「何も知らないとでも思っているの? リャンがなんで、あのコンテナ置き場へ、あの女を追い詰めたかわからないの? あそこはうちの倉庫なのよ、アキラ。それなりの警戒はしているわ」
「監視カメラか」
「クラブにも置いてあったわ。残念ながら偶然機器が故障していて、あの子は録画出来ていなかったけど」
「偶然?」
これは勘だが、監視カメラの故障は偶然じゃないような気がした。
「どうしてリャンを襲ったの」
言うまでもなく少女を守るためだった。無論、リャンを死なせるつもりなどなかったが、どちらにせよ気絶させたのは俺だから、撃ち殺したのはあの少女でも、間接的に俺が殺したようなものだ。それは申し訳なく思っている。
が、そんなこと今の彼女に言ってもしょうがない。
リーファは俺を愛している。昔はそんな彼女の想いに応えていたし、お陰で様々な恩恵を受けることが出来た。彼女を守る組織のボディーガードが、俺の身の安全まで保証してくれていたのは非常にありがたかった。
しかし今や、その恩恵を受けられるどころか、いつ彼女が敵に回ってもおかしくない。
リウ・リーファという女は、愛するときは激しく愛し、憎むときには殺したいほど憎む、極端な感情の持ち主だ。本格的にマフィアの仕事をやるようになってから、多少は感情をコントロール出来るようになってきているが、それがかえって怒りが爆発したときの苛烈さを助長させている。
昔、組織のある幹部が背信行為で捕まえられたことがある。リーファが密かに処刑を実行したのであるが、そのやり方があまりにも凄まじく、手伝わされた構成員の一人が鬱病になってしまうほどだったらしい。人づてに聞いただけなのだが、裏切り者をベッドに縛り付け、出来るだけ死なないように延命させながら、毎日毎日、肉を削ぎ落としていったとか。
「あなたは裏切った。爸爸と私の信頼を」
「リャンくらいでガタガタ言うな。正直に話すと、あの少女をお前たちの手に渡したくなかったんだ。俺はリャンを殺す気はなかったし、実際に殺したのはあの少女だ」
慎重に言葉を選んだつもりだが、馴染みの関係のせいで、ついキツい物言いになってしまう。
リーファの顔から血の気が引いた。
「開き直るつもり?」
リーファは短刀を机から引き抜き、今度は俺の喉元へと切っ先を突きつけた。
「事実を言っている。リャンを死なせてしまったのは済まなかった。だが、これから一生会えるかわからない、生まれて初めて『焼いてみたい』と心の底から思えた女なんだ。誰にも渡したくない」
「そうね。あなたは殺人鬼、あなたの理屈があるわ。でもね」
短刀を構えたまま彼女は睨みつけてくる。
「私たちには関係のないことよ」
「それが、お前の愛する者の行動でもか?」
「だからこそ許せないのよ!」
彼女はヒステリックに叫ぶ。
「あなたはいつでもそうだった。私とあんなに愛し合っていたのに、それなのに見知らぬ女と結婚して、私のことを捨てた」
違う。二人が別れたのは自然な流れだ。むしろ彼女の方に原因がある。彼女がマフィアとして生きる道を選んだから、俺は別れざるをえなくなったのだ。単にそれだけのこと。
なんてことを今この場で言っても、ますます彼女を怒らせてしまうだけだから、放っておくことにした。
「今度はあの女の子に一目惚れでもしたの? 焼き殺したいから逃がそうとした? 冗談じゃないわ」
「俺は本当のことを言っている」
「あなたが何を考えているかは問題じゃないの。私たちがあなたに何をされたか。それが問題なの」
つまり。
どんな理由があろうと、組織を裏切る行為をした俺には一切の弁明が許されていない、ということだ。
それはそれで困る。妻のいる身としては彼女を残して先には逝きたくない。自分勝手な話だが、人を焼き殺す俺でも生活の安全は確保したい。
「では聞いてくれ、リーファ。俺から提案がある」
「提案? いいわ、話してよ」
彼女は少し冷静になり、俺の喉元から短刀を離し、机の上に置いた。代わりに煙草の箱を手に取り、中から一本出そうとする。
「俺はそう遠くないうちにあの女を殺しに行こうと思っている」
「そう、良かったわね。でも場所はわからないんでしょ」
「わかっている。本人から聞いた」
「な」
リーファは息を呑み、まさに取り出そうとしていた一本の煙草を指に挟んだまま、硬直した。
「リャンが殺されたのは俺の責任でもある。だから俺に全て任せてほしいんだ。必ずいつものように、クリスマスイブの晩、彼女を焼き殺しに行く。それで問題ないだろ?」
「……」
リーファは口を閉ざしたまま、じっと俺の眼を見つめている。まるで心を読まれているような不気味な感覚に、俺は胃の奥がズキンと痛んだ。
「わかったわ。条件付きで今回は許してあげる」
「条件付き?」
「まず私にその子の居場所を必ず教えること」
「それは出来ない」
「もう一つ」
有無を言わせない口調だ。
「怪人マッドバーナーにはありえない話だけど、もし万が一その子を殺せなかった場合は」
「場合は?」
「あなたを殺す」
俺は何も言えなかった。
リウは冷たい目を向けている。
マフィアとして俺に死刑宣告をしたようにも見えるが、本当の理由はもっと違うはずだ。心の奥底では口が裂けても言いたくない感情が渦巻いているに違いない。
リーファがどれだけ俺を愛しているのか、よくわかっている。それゆえに、今の妻を選んでしまった俺に対する憎しみは相当に深いはずだ。だからリャン程度が死んだだけでも、それにかこつけて、俺を殺すなどと宣言しているのだ。組織としての意志ではなく、彼女自身の個人的な感情が多分に加わっている。
「相当、辛い思いをしたんだな」
俺は心にもない同情の言葉をかける。
リーファは横を向いた。俺には見せたくない表情でも浮かべたのだろう。それは愛情に基づくものか、憎しみに基づくものか。
「行ってくる。吉報を待っていてくれ」
火炎放射器を取り上げると、それ以上彼女に話すことはなく、さっさとドアに向かっていく。
ドアノブに手をかけた瞬間、
「変わった」
後ろから声が聞こえてきた。
「あなたは変わった、アキラ。あの頃はまだ、人間としての境界線を保っていた。冷静さと、慎みがあった。それなのに、どうして闇の世界に牙を剥くような真似をしたの。くだらない一時の感情で」
ああ、そうだ。
どうして? だ。
たった一人の少女のため、それを焼き殺したいがため、俺はリーファの邪魔をした。組織に被害を被らせた。闇の世界に関わってしまった。
リャンをあのまま放っておけば、少女は人知れず粛清されるか、警察に突き出されていただろう。それで終わりのはずだった。俺は新しいターゲットを探す。それで済む話だった。
それなのに俺は。
「身も心もマッドバーナーになろうとしているのね」
「そうだな。俺は悪魔だ。人を焼き殺さなければ生きていけなくなった高校生の頃から、年々、俺は悪魔になりつつある。今はまだ人間としての理性を保っているが、そのうち一年に一回と言わず、毎日のように人を焼き殺す日が来るかもしれない」
「私が愛したアキラは、人間よ。悪魔になんてなってほしくない」
「裏社会の人間が何を言うんだ。悪魔だって愛せるだろ」
「ひどいこと言わないで。どんな世界でも女の心は変わらないわ」
最後のほうは涙声になっている。
戻らない過去を振り返って、リーファの胸に再び悲しみが訪れたのだろう。俺の良心は痛んだが、今さら二人の関係が直るようなことは起こらない。
俺は黙って外に出た。
※ ※ ※
結果として、俺はリーファをまたもや裏切った。
少女を焼き殺すことが出来なかった。
それは自分を育ててくれた組織への裏切りでもあった。
その重さを、殺し損ねた少女を前にしながら、いまだ俺は実感出来ずにいた。
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