第9話 嘆き、轟き
ダンスクラブの外では逃げ惑う若者たちがあちこちを走り回っている。これだけ騒ぎになればいやでも目立つ。間もなく警察がやって来るだろう。リーファは頭を抱えているはずだ。
俺は俺で、警察よりも先にあの少女を確保したいという焦りがあった。
あれは俺のターゲットだ。誰にも奪われたくない。
パニック状態の若者たちを掻き分けながら、少女の行方を追う。当然、誰も殺人犯のそばに寄りたくない。寄るわけがない。それを追う者でもなければ。人々が避けていて、リーファの仲間は近寄っていく方向を探せばいい。そっちの方にあの少女はいるはずだ。
右手の方角はやたらと人が少ない。夜闇の中よく目を凝らしてみると、遠くの方でリャンらしき人影が必死に走っている。
(あいつ、逃がしたな)
俺はリャンの失態で、どれだけリーファがキレるだろうかと想像し、ひとりでおかしくなって笑みを浮かべた。
そして確信する。
あっちの方向で間違いない。
駆けに駆けて、コンテナがゴロゴロと置いてある倉庫街に入っていく。
リャンの姿は見えるが少女の姿は確認出来ない。
(まさか見失ったのか)
その可能性に思い至り、俺は次第に心配になってきた。
リャンが彼女を見つけられない分にはいいが、俺まで彼女を見失ってしうのは出来るだけ避けたい。一切の情報がない今、ここで彼女を逃してしまったら、二度と出会うことが出来なくなってしまう。なるべくここで彼女が何者であるのか手がかりを掴んでおきたかった。
「等阿! 等阿!」
リャンが大声で叫んでいる。
俺は中国語を知らないが、そこはかとなくニュアンスだけは伝わってきた。
「待て!」
と叫んでいるのだ。
急にリャンは左に曲がり、コンテナ置き場の中に入っていった。
俺も後に続き、そのコンテナ置き場へと足を踏み入れる。が、すでにリャンの姿はどこかへ消えてしまった。
少女もいない。
資材運搬用の広場で立ち止まって、コンテナ置き場の全体を見渡した。動くのをやめた途端、潮の香りが鼻をくすぐる。ここが港町であることを改めて思い出した。
左手前のコンテナの奥から怒鳴り声が聞こえてくる。
リャンの声だ。
少女を見つけたのだろうか。
急いでコンテナの裏へと回り込み、並んでいるコンテナ群の間を駆け抜けてゆく。どこにあの二人がいるのか、左右をくまなく探しながら素早く進んでいく。気が焦る。
ふと、コンテナとコンテナの間に人ひとり分空いている箇所があり、俺はなんとなくその隙間を通り抜けようとした。
いきなり逆方向からリャンが突進してきた。
「誰!?」
仰天したリャンは、俺にぶつかる直前で急ブレーキをかけてしまい体勢を崩す。その瞬間を俺は見逃さなかった。
リャンの顔面を手のひらで押さえ、そのままコンテナに側頭部を叩きつけてやる。わけもわからず頭を強打されたリャンは下を向いてよろめいた。
すかさず俺は奴の顔面をアッパーカットで殴り上げた後、フラつく彼の襟元を掴んで、思いきり大外刈りで脚を払い、地面に投げ倒した。
後頭部を打ったリャンは白目を剥く。
そして動かなくなった。
「まずい」
殺すのはまずい。1年に1人だけ。そういうルールを自分に課しているじゃないか。
頚動脈に指を当てて脈を取ってみる。血の流れを感じる。問題なく生きているようだ。俺は安心して溜め息をついた。
その時。
俺の後頭部に冷たい鉄の塊が押し当てられ、カチリと撃鉄を起こす音がした。
「やれやれ」
我ながらアホだな、と俺は嘆息した。
振り向くまでもない。きっと俺が追っている少女だろう。追い詰めたつもりが、逆に彼女の方が待ち伏せをしていたのだ。
追う側が、転じて命を狙われる側になった。
だがこれはこれで好都合だ。
あちらから近づいてきてくれるとは願ってもいない。
「動かないで。お願いだから」
涼やかな声が背後から聞こえてくる。
清らかな色香を感じさせる声音だ。妻と似ていて非常に俺好みの声だ。ゾクッと心地よい感覚が脊髄を走る。素敵な少女だ。実に心動かされる。
ますます興味が湧いてきた。
「動いたらどうなる?」
試みに聞いてみる。
からかい半分だ。
「撃つわ」
「さっきダンサーの子を撃ったみたいにか?」
「あれは違う」
「何が違うんだ。犯人は君だろ」
「そうよ。殺したのは私。でも殺す気はなかった」
「天の声に導かれたとでも言いたいのか?」
「そうかもしれない。でも、あなたの言いたいことは、きっと私の考えていることと、違うんでしょうね」
「どう違う?」
「私は天の声に突き動かされてここへ来たようなもの。だけど誰かが私に囁くわけでもないし、誰かが私に示すわけじゃない。ただ、感じるだけ。そう……感じるの」
最後の言葉に、言い知れぬ官能的な響きが篭められている。俺は全身を興奮で震わせながら、うっとりと思索にふける。
完璧だ。彼女の言葉、話し方、謎めいた内容――全てが、俺の中に潜むダークサイドを、余すところなく引き出してくる。心の奥底から、連続殺人鬼としての心が表れてくる。今まで意識したこともないような快感。
生きるために人を焼き殺していた俺が、初めて人を焼き殺すために焼き殺したい、と願った。
「では、感じるままに発砲した結果が、殺したくもない相手を殺したと。なるほど、君にとって実に都合のいい話だな。だが理由がなんであれ、君は殺人犯だ。そこからは逃れられない」
「ええ。だから死にたい。今すぐにでも死にたい」
その言葉を俺は聞き逃さなかった。
彼女は確かに、「死にたい」と言った。
ならば焼き殺されても文句は言わないだろう。むしろ俺に感謝するかもしれない。
(なんて幸運だ)
これほどまでに焼いてみたいと思う相手が自ら死を望んできた。
ならば――
突然、息が苦しくなる。
周りの空気をごっそりと取り払われ、真空状態になったような感覚。
この時期はいつも来る症状だ。
「か、は」
喉をかきむしり、欠乏した酸素を手に入れようと、空中に向かって腕を伸ばす。肩が引きちぎれそうになるくらい、無理やりに。けれども、そんなことして空気が手に入るはずもない。
原因不明の症状。
毎年クリスマスイブが近づいてくると、突如として襲ってくる謎の苦痛。
治す方法はただひとつ――
俺はポケットからライターを取り出し、なるべく顔の前に近づけて火をつけた。目が焼けてしまうのではないかと思うくらい、間近で燃えている火をじっと見つめる。そのうち鼻腔から酸素が取り込まれ体内を循環する。火を見ているうちに症状は治まりつつあった。
数秒で元通り息が出来るようになった。
これは一時的なものに過ぎない。クリスマスイブが近づくにつれて、症状の現れる頻度は日増しに上昇してゆき、最後には――
「?」
ふと我に返った。
少女は、俺がライターをつけている間、何もしてこなかった。依然として銃口の感触を後頭部に感じているが、そこから弾丸が発射されることはない。
「撃たなかったな」
俺の揶揄に少女は答えない。
「動いたら撃つんじゃなかったのか?」
それでも少女は喋らない。
「そうか。やはり君は人を殺すことの出来る子じゃないんだな」
嗚咽が洩れてくる。
少女は俺の後ろで泣いている。可愛らしい声を押し殺しながら泣いている。
泣きながら銃を突きつける少女と、少女に銃を突きつけられる殺人鬼。絵になっているのやら、なっていないのやら。珍妙な光景だ。
「帰るんだ、家に」
「……家はいや」
「どうしてだ?」
「……」
彼女は黙る。
「君の家はどこだ?」
「……愛知県」
「えっ」
まさか答えないだろうと思っていたら、予想外にあっさりと答えてきた。
俺はせいぜい会話を楽しむ程度で家の所在地を聞いたのであり、せいぜい彼女の身元を割り出すヒントでもあれば、と思った程度だったのだ。
それなのに彼女はためらいもなく自分の家の場所を言った。
しかも。
「風間雪希。風間は、風の間でカザマ。雪希は、雪の希望と書いて、ユキ。住んでいるところは、愛知県春日井市の――」
何を考えているのか、俺が聞いてもいないのに、自分からユキは情報を教えてきた。嘘の情報という可能性もあるが、それにしても今この場で嘘をつく必要はない。銃を使ってイニシアチブを握っているのは彼女の方なのだ。喋りたくなければ喋らなければいいだけの話だ。なぜ俺にわざわざ自分のことを話してくる?
「わからないの」
疑問に思うこちらの心を読んだのか、彼女は努めて平静な口調で俺に話してくる。押し当てられた銃がブルブルと震えているのがわかる。
頼むから引き金だけは引くなよ。
「わからない、なんで話したのか。でも、あなたに話さないといけない、そんな気がした」
「天の声ってやつか」
「そうなの? これが天の声なの?」
なんで俺に聞く。
この子はどこか狂っているのではないか、と疑いを抱く。まともな人間の言動ではない。しかし頭がいかれているようでもなければ、麻薬をやっているようでもない。極めて健常な少女に見えるのは俺の気のせいだろうか?
「道が見えたから……この道が正しいと信じたから、進んできたのに……人を殺して……こんなの、いやっ」
彼女の声が静かに昂ぶり、抑えられていた激情が露わになる。
鈍い銃声が、夜のベイサイドに木霊した。
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