第8話 銃声響くダンスフロア

 横浜のチームCrusadersから飛び出したドレッドヘアの色黒男が、ファーストアタックを仕掛ける。


 おそらく黒人をリスペクトしていると思われる。もともと色白だったであろう肌を、無理やり黒く焼いたようだ。だが、よく見なければわからない。本場の人間と言われても違和感がない。


 どこか日本人離れした風貌の彼は、腰を高速で揺らしながら、怒りの形相で相手に迫ってゆく。


 腰の振動は、音楽の盛り上がりに合わせて胸、腕、首と全身に伝わっていき、やがて曲の音程が弾ける瞬間、ほんのコンマ数秒だけボクシングの体勢に移行した後、切れのあるアッパーカットをわざとシュッと相手の鼻先にかすめさせてから、拳を振り上げた勢いのまま、くるりと一回転し、滑らかなアニメーションの動きで爪先から頭頂部まで、ウェーブが伝わるように、ウネウネと体を蠢かす。


 そして背筋を急にピンと伸ばして。


 最後はビシッと、挑発するように相手を指差した。


 緒戦を飾るにふさわしい、見事なクランプダンスである。


 Crusadersを応援している周りのギャラリーから、


「ウォォィ!」


 と喝采が送られる。


 黙って様子を見ていたH.A.L.E.Sの先鋒、バンダナを頭に巻いた小柄な少女は、憮然とした表情で腕組みしていた。


 突然小さく前方にジャンプし、戦いの場へ躍り出る。


 両手を床についての高速スピンを始めた。


 見事なバランス感覚で回転を続け、そのまま逆立ちになると、今度は三点倒立からのヘッドスピンへとシフトする。


 あっという間に回転の上下が入れ替わっていた。あまりにも自然でスピーディーな回転の切り替えに、見ている方は全ての動きを目で追いきれず、何が起こっているのかと眩惑されてしまう。


 頭を支点にして逆さに回転していた後、少女は腕をグッと伸ばして上体を跳ね起こし、素早く元通りに立ち上がった。


 すぐにピタリと直立停止。


 それまで散々回転していたとは思えないほど、その動きには一点のブレもない。三半規管はどうなっているのやら。


 彼女は姿勢よく立った状態で、相手のドレッドヘア男に向かって、舌を「んべ」と出しながら、FuckYou! と中指を突き立てた。


 今度はドレッドヘア男がムッとする番だった。


 続いて、Crusadersから190cmはある長身のイケメンが飛び出す。


 その長い脚を真横に振り、さながらアメリカンクラッカーの動きのごとく、右に左にぐにゃりぐにゃり、ぶんぶんと往復運動を繰り返す。


 そこから急に、上体が真後ろに180度折れ曲がった。


 ぐねりと体を丸め、背中側にカーブした状態で、首を股の下からにゅっと突き出す。そして膝を折り、まるで人間の原型を留めない不気味な形で、コンパクトに体全体を折りたたんだ。


 横から見ると、きっとカタカナの“ロ”の字のように見えるだろう。それも上下がいびつに潰れた“ロ”だ。


 ギャラリーはあまりのことに目を丸くしている。やがて背骨のない軟体生物のような人間離れした動きに、大きなどよめきと喝采が上がった。


「やるな、あいつ」

「彼ね。Crusadersメンバーの中でもパフォーマンス力ではダントツよ。前にネットの動画投稿サイトに載って、かなり話題になって、ソロでもあちこちから引っ張りだこ。興味湧いた?」

「ああ」

「あいつを、焼く?」

「……いや」


 俺が焼き殺す相手を選ぶ基準は、面白そうとか、むかつくとか、一時的な感情に基づくものではない。そんな理由で選んでは、これから儚く散る人間に失礼というものだ。


「あらあ、すっかりH.A.L.E.Sは怯んじゃってるわね」


 リーファの言葉で、再び眼下のフロアに注目した。


 長身タコ男のパフォーマンスのせいで、すっかり場の空気はCrusaders一色で支配されている。


 ほとんどが女性ダンサーで構成されているH.A.L.E.Sは、やや覇気をなくしてしまっている。長身タコ男が引っ込んだ後も、数秒間、迎撃のダンサーを出せずにいた。


 業を煮やしたのか、ファティマが動いた。


 本来リーダーである彼女は、一番場が盛り上がるときに参戦するはずだ。だが、ここはまずピンチを乗り切るのが先決だと考えたのだろう。長い黒髪を振り回しながら、勢いよく戦闘の舞台へと立つ。


「これで巻き返せるかしら、H.A.L.E.Sは」


 リーファは楽しんでいる。


 同じ女性として、女性の多いチームH.A.L.E.Sは、なんだかんだで応援のし甲斐があるのだろう。頬を高潮させながら、半ば興奮気味にダンスフロアを眺めている。


 俺もファティマがどのようなダンスをするのか気になっているので、少しだけ胸を昂ぶらせている。


 いよいよファティマが本格的に踊り出そうとした時。


 ふと、俺は視界の端に映った人影に気を取られた。


 隣のリーファが歓喜の声を上げている。


 どれだけ凄まじいダンステクニックが披露されているのか。


 それでも俺は自分の目に止まった人影から目線を外さすにいた。


 人影は高校生くらいの少女だった。


 フリースを着た地味な少女が、ダンスフロアに溢れ返ったギャラリーたちを掻き分けて、少しずつ、少しずつ、前へと進んでいく。


 中央で踊っているダンスチームへと向かって。


「ねえ、アキラ、どこ見ているの?」


 リーファが、俺の袖を引っ張った。


 俺は少女から注意を逸らさない。


「不審な動きだ……嫌な予感がする」

「アキラ?」


 再び声をかけられるも、俺は無視している。


 あの少女はダンスを見ていながら、その激しいパフォーマンスにはまったく気を取られていない。まるで何かを決意して、その目的のためにはどんな誘惑にも捉われないような、そんな激情を湛えた瞳。


 フリースのポケットから黒い塊を取り出した。


「あの子――っ!?」


 やっとリーファも気が付いた。


 少女がポケットから取り出したのは、拳銃だ。


 ドン。


 銃声が鳴り響く。


 先ほど華麗なブレイクダンスを踊ったバンダナの少女の頭が弾けた。


 血やら何やらが、ダンスフロアに飛び散る。


 誰もが息を呑む。


 凍りついたフロアに、やかましい電子音のドラムだけが鳴り響いている。


 たちまち悲鳴や絶叫がこだまし、フロア内の若者たちは我先に外へと飛び出そうと出口に向かって殺到する。


 その人ごみの中に少女は紛れ込んでしまった。


 狙いの人物は殺せたのか、殺せなかったのか。もう目的は果たしたのか、これから始まるのか。


 リーファはすぐに内線電話で指示を飛ばす。傍目には少しも動揺していないように見えるだろう。だが俺は長年付き合っているからわかる。かろうじてパニックになるのを抑えているだけだ。


「リャン! 裏口は心配ないから、正面玄関を特に警戒して。逃げる客の中に犯人は紛れているわ。頼んだわよ」


 極めて平静を装って、静かな口調で仲間に命令を下していたリーファだが、電話を切った直後、崩れるようにテーブルにもたれかかった。


「なんなのよ……」

「なるほど、表と闇の世界は確かに壁一枚隔てて紙一重だな」

「こんなときに嫌味言わないで」

「表面上は堅気が集まる店、だったんじゃないのか?」

「ええ、そうよ。もちろん、裏ではあなたが推測したように色々とやっている店。そのための対策も練っていたわ。でも、この日本で、普通の女の子が拳銃を持ち出してダンスフロアで発砲するなんて、誰が予想できるのよ。しかも、あれはどう見ても、うちの組織は関係ないわ。痴話喧嘩か、何の怨みか知らないけど、ダンスチームに殺したい奴でもいるなら、別の場所で襲えばいいじゃない。どうしてわざわざうちのダンスクラブで銃なんか使うのよ!」

「落ち着け。今はそういう時代だ。電気街でコンバットナイフを振り回す奴もいれば、神社のお祭にトラックで突っ込む奴もいる。誰が何したって不思議じゃないさ」


 と、適当なことを言って、ヒステリーを起こしそうなリーファをなだめながら、あの少女のことを考えていた。


 興味が湧いてきた。


 胸が高鳴っている。鼓動が喉の奥にまで伝わってきている。彼女に会ってみたい。なぜこのようなことをしてしまったのか。同じ殺人者として話を聞いてみたい。


 話を聞いて、その後は――焼いてみたい。


 それは今までにない感情だった。


 これほどまでに誰かを焼き殺したいと渇望したことはない。


「アキラ……どこへ行くの?」


 くたびれた表情のリーファが、外へ出ようとする俺の後ろから声をかけてくる。


 俺は肩越しに振り返ってこう言った。


「踊りに行ってくる」

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