第5話 海城飯店
ユキは時々、テーブル席に座っている常連客の方をちらちらと見ている。やはり他の人間には聞かれたくない話のようだ。マッドバーナーである俺に頼みたいこととは、一体何なのだろうか。
俺は常連客を相手に世間話をしている。その合間に筆談をうながしてみたが、ユキは首を振るだけだ。その後、常連客が立て続けに入ってきたため、ますますユキの話を聞くことは出来なくなってしまった。
(この子は何者なんだ)
いつもよりも店内は繁盛しているが、心ここにあらず、ずっとユキのことばかり考えていた。
彼女のことを最初に知ったのはいつどこでだったか。
そう、あれは先月のこと。横浜のダンスクラブで初めてユキと出会ったのだ。
(1ヶ月前)
―2008年11月23日―
~横浜~
11月も終わりに近い候。
横浜中華街にある老舗『海城飯店』の地下、関係者以外誰も入れない秘密の部屋で、俺は火炎放射器の点検を依頼していた。
『海城飯店』では、様々な重火器を取り扱っている。
警察の摘発を受けないものかと、以前聞いてみたことがあるが、「企業秘密よ」と女主人のリーファは教えてくれなかった。
どうも裏で大きな力が動いているらしい。横浜中華街の一角にある中華料理店『海城飯店』の地下は、不思議な事に、これまで一度も司法の手が入っていない。
警察か、それとも政府か。どのレベルを抑え込んでいるのか。
早朝5時。外はうっすらと青白く明るくなってきている。
が、この地下室は暗く、人工的な明かりでしか照らされていない。毎度のことながら息が詰まりそうになる。俺は金沢からはるばる車で運んできた重たい黒ケースを、広々としたスチール机の上に、「よいしょ」と載せた。
中には火炎放射器が入っている。
「今年のターゲットは決めたの? アキラ」
リーファは煙草の煙を細く吐き出しながら、火炎放射器をケースから取り出している俺に聞いてきた。
「なかなか決められない」
「もうクリスマスイブも近いじゃない。平気なの?」
「さあ」
リーファの質問に答えつつも、俺は先ほど店先の路上で掃除をしていたコックに、姿を見られたことばかり気にしていた。車から火炎放射器入りの黒い巨大なケースを取り出している様子を、彼はじっと見守っていた。
「大丈夫よ、私がいるから」
俺の心の内を見透かしたのか、リーファはフッと微笑む。
「さっき、ここに来るなり言ったわね。『姿を見られた』って。あれ、まだ気にしてるの?」
煙草の火を灰皿で揉み消し、彼女はククッと笑った。
「私の昔の恋人に手を出す愚か者が、この中華街にいるわけがないでしょう」
「恐怖がある限り、な。国家権力は想像以上に凶悪で暴力的だ。図に乗るといつか痛い目に遭う」
「あら、そ」
白けたような表情で、リーファは肩をすくめた。
常に青いチャイナドレスに身を包んでいる彼女は、その妖艶な美しさも相まって、出会う男たちを皆、彼女の虜にする。何も知らない男たちは彼女と一夜を共にする。けれども決して関係は長続きしない。また、彼女と“同じ世界”に身を置く者であれば、絶対に手を出そうとはしない。そして彼女がこの世で愛することの出来る男は、後にも先にもたった一人だと彼女自身が宣言していた。「他の男は遊び」だそうだ。
彼女は俺と大して歳は変わらない。
1歳年下の29歳。
まだ20代の若さの割には人生の酸いも甘いも経験している。どこか円熟された大人の趣がある。環境が彼女をここまで大きくさせたのだろうか。
俺より1歳年上の妻の方が、リーファよりも遥かに精神年齢は幼い。
「昔から変わらないわね。心配という感情を抱くのは非生産的と思ったほうがいいわ、アキラ」
「お前の言う通りさ。だが、俺は小心者なんだ」
だからここまで生き永らえてきた。
「平気よ。いざとなれば、
「よく知っているさ」
小さい時に思い知らされた。
※ ※ ※
俺が生まれてすぐに、父と母は亡くなったらしい。
本当の両親について記憶はない。どうして亡くなったのかも憶えていないし、誰も教えてくれなかった。
とにかく物心ついたときには、俺は
小学二年生になったある日、俺と当時小学一年生のリーファが一緒に下校している時のことだった。
住宅街の中をワゴンが疾走してきて、俺たちの横に止まったかと思うと、厳つい顔の男たちが飛び出して、あっという間に俺たちを拘束しワゴンの中へと連れ込んだ。幼い俺でも相手が堅気でないことはよくわかった。
廃倉庫のような場所で、椅子に縛り付けられた俺たちは、これから何をされるのかと不安で仕方がなかった。リーファに至っては今にも泣き出しそうな顔をしており、俺は気を落ち着かせるにはどうしたらいいかと上手い手を考えようと努力したが、自分自身テンパっていたので何もよい策が思い浮かばなかった。
携帯電話で何事か話していた角刈りの男が大声で怒鳴った後、電話を切り、俺に向かってこう言ったのを憶えている。
「交渉決裂や。すまんが死んでくれや」
拳銃を取り出し、俺の額を狙う角刈りの男。
次の瞬間。
その男の首が、あっという間に90度の横倒しに折れ曲がった。
「がっ」
奇怪な断末魔を上げ、男は白目を剥いて、そのまま絶命したようだった。力なく倒れた男の後ろに、鷹のように目の鋭い、人民服を着た老人が立っていた。いつもリウの親父の横にいるボディーガードの老人だった。
いつの間に倉庫内へ入ってきたのか、全く気配はなかった。
怒号する残りの連中を相手に、一歩も怯むことなく、老人は右へ左へ跳び回り、次々と素手で殺害していく。
わずか数分で、廃倉庫の中は血まみれの虐殺現場と化した。
「……」
老人は全員の死亡を確認すると、無言で近寄ってきて俺たちのロープを外した。最後まで口を開くことはなかった。
直後、リウの親父が倉庫の中に入ってきた。自分の義理の息子と、実の娘が殺されそうになったのに、顔色ひとつ変えていない。それどころか淡々と言ってのけた。
「私の子供となったことを呪え」
それは、これから先も同じような恐怖に襲われることを暗に示していた。その言葉を聞いて、とうとうリーファは大声で泣き出した。俺も泣きたい気分だった。
リウの親父はそのまま俺たちの手を取ることもなく踵を返した。
そして振り返りざまにこう言った。
「だが私の子供であることを誇りに思え」
初めはその意味がわからなかった。
しかし、次の日も、次の次の日も、一ヶ月経っても、廃倉庫で大量の人間が殺されたというのにどこも報道していない事実を知った時、俺は子供ながら自分の父親が恐ろしく思えてきた。
自分の父は深い闇の世界に身を置いている。小さな脳味噌でそのことをおぼろ気に感じ取っていた。
事実、リウの親父は上海に拠点を置く
つまりは、チャイニーズマフィアのドンなのだ。
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