第4話 問答
少女がバナナジュースを飲んでいる間、俺も彼女もひと言も喋らずにいた。
木製の古びたカウンターを挟んで、俺は彼女をじっと観察し、彼女は俺を見ないよう伏し目がちにしながらグラスに口をつけている。
いまどき珍しい黒髪の長髪ストレートで、窓辺に腰かけ読書なんてしていたらよく似合いそうだ。生徒会長でもやってそうな雰囲気もある。この平成の世ではほとんど絶滅危惧種に近いタイプの女の子だろう。
高校生の頃の妻と、どこか似ている。妻も美しい黒髪が特徴だ。あっちはポニーテールでまとめているが。
そんな少女を改めて眺めながら、ふと、
(妻と似ているから、焼きたくなったのかもしれない)
などと考えたりした。
この少女を選んだ理由は、いまだに俺もよくわかっていない。その源泉を探ると、なんとなく妻に似ていたから興味を持ったのではないか――それだけの理由ではないか――と感じた。
隅っこの方へ移動して、携帯電話を打っていた伊咲ちゃんが立ち上がった。
「先、帰ります」
伊咲ちゃんはトートバッグを取り上げ、スタスタと店から出て行った。
その直後に少女はバナナジュースを飲み終わり、ふう、と溜め息を漏らした。どうやら邪魔者が出て行くのを待っていたらしい。
(正体は明かしていなかったはずだ)
昨日のことを繰り返し思い出している。だが、この店とマッドバーナーが結びつくような情報は何ひとつ漏らしていないはずだ。彼女がここへ辿り着くことは不可能なはず。
だが、彼女は初めから、“俺に会いに”やって来た。
ということは、だ。不思議なことは数多くあれど、結論として考えられることはただひとつだ。
「あなたが、マッドバーナーね」
やはり、正体がバレている。
「そうだ」
俺は観念して、素直に認めた。隠す意味がない。
俺は冷蔵庫からジンジャーエールを取り出し、グラスに注いだ。
「飲むか?」
と聞くと、少女は首を横に振った。俺は黙って自分のグラスを取り、炭酸の刺激と生姜の香りを堪能しながら、一気に喉へと流し込んだ。
「思ったより中の人って、素敵」
ごふっ。
思わぬ言葉に動揺した俺は、ジンジャーエールを気管へと送ってしまった。たちまちむせ返って、カウンターに掴まりながら、激しく咳き込む。
「ごほっ……どこで、俺の正体を知った?」
喉の奥に引っかかったジンジャーエールの感触に苦しまされながら、俺はなんとか声を絞り出して、彼女に問いかけた。
彼女の答えは、想像を遥かに超えていた。
「知らなかったの。だから、勘で来ました」
「勘……勘っ?」
一瞬、俺は馬鹿にされているのかと思った。
「本当です。信じられないと思いますけど。私、昔から感じるままに動いたことが正しくって、今日も朝起きてから、ずっとあなたのこと――マッドバーナーのことを考えていたら、なんだか金沢のこの場所にいるような気がしてきて。それで、お店に入って――」
「マスターの俺を訪ねてきたそうだな」
「名前知らないから、『マスターに会いに来ました』って」
「遠野だ。遠野玲。王編に命令の令、と書いてアキラと読む」
「そう……遠野さん。それで、私、遠野さんにどうしても会いたくって、でも店の女の人が、『どちらさま?』って怖い感じで聞くから、咄嗟に」
「あいつの話し方は慣れないと怖く聞こえるだろうな。で、咄嗟になんて言った」
「遠い親戚です、って」
「またややこしい嘘をついたもんだな」
「ごめんなさい。でも、どうしても会いたかったの。あの時、殺されそうになった私を助けてくれた、マッドバーナーにもう一度会って」
「馬鹿言うな。助けたくて助けたわけじゃない。俺は当初は君を焼き殺そうとしていた。そこにあのストーカーが現れて、君を刺し殺そうとしたから――」
したから? だから助けた?
ターゲットの少女を真っ先に殺そうともせず、関係ない奴を焼き殺した?
「――おかしいな、俺」
妻に似ているからだろうか。
「とにかく、なんの用事で来たのかは知らないが、君に超能力や霊能力があるとも思えないし、勘なんて俺は信じない。何か情報を持っているんだろ」
と、密かにカマをかけてみる。
「本当です。嘘みたいでしょうけど」
「ああ、嘘だね」
俺は冷たく、彼女の言葉を切って捨てた。
しばらく彼女は困り果てた様子で、きょろきょろと左右を落ち着きなく見回していたが、やがて何か思いついたのか、紙ナプキンを取り、メモを書き始めた。
「私の父は新興宗教の教祖なんです。色々奇跡を起こしたりして、現代のイエス・キリストと呼ばれていて」
メモを渡される。
『三元教』と書かれていた。
「変な名前だな」
「三元。中国の道教で伝わるもので、天・地・人を表すんだって、父は言っていました」
「で、そんな父親は奇跡を起こせる人だから、『私も超能力でマッドバーナーが金沢のちっぽけな喫茶店にいると感じることができました』、と……」
「ちっぽけなんかじゃない。立派なお店です」
「ありがとう。だが、ますます君は信用できないな。新興宗教の娘だから超人的な勘で、世間を騒がす殺人鬼の居場所を突き止めた、だと? 警察はお役御免だな」
「そうです。そして、そんな力を持っているから、命も狙われているんです。だから私を助けてくれたあなたに会いに来た」
やれやれ、嘘の上塗りか。
卓越した勘だの、命を狙われているだの、冗談だったらもっと気の利いたことを話してほしい。
「わかった。で、君はどうしたい?」
「名前はユキです。風間雪希」
「ああ知っているよ。忘れるわけがない。いいか、ユキちゃん。君は俺を訪ねてきた。俺はマッドバーナー。連続殺人鬼だ。それを知りつつ君はマッドバーナーに会いたいと思ってこんな場所まで来た。そして、俺に何をしてほしいんだ?」
「……てほしんです」
「――なんだって?」
声がか細くて聞こえなかった。
ユキは、下をうつむいて、頬を震わせている。目の下を、涙が伝った。ずっと溜めていた感情を爆発させたようで、相当辛い目に遭っていたのか、今すぐにでも大声で泣き出しそうな危うさがある。
「私、あなたに……マッドバーナーに――」
その時、店のドアが勢いよく開けられ、鐘がカランコロンと鳴り響いた。常連客の一人、齢七十過ぎの老人だった。カウンターから離れたテーブル席に腰かけた。
突然の来客でタイミングを逸してしまったユキは、バツの悪そうな表情で、カウンター上の様々なアジア雑貨を眺めている。俺と目線を合わせようともしない。筆談でも俺は構わないのだが、それでは彼女の気がすまないのだろう。
また二人きりになる瞬間を待つしかなかった。
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