第3話 殺し損ねた少女

 家を出る時、妻は火打ち石をカチカチと鳴らし、“切り火”をした。


「洒落のつもりか」


 俺が苦笑すると、妻はしれっとした顔で、かぶりを振った。


「ううん。昨日の今日だし、警察には捕まらないでね〜」

「縁起でもないことを。大体、その火打ち石はどこで買ったんだ?」

「通販」

「あ、そう……」


 時々、妻はどこで知ったのか、やたらと古風な慣習を実践することがある。大抵の場合、日常に取り入れられるほどの長続きはしないのだが。


 まあ、廃れつつある風習を、少しでも実践しようという心意気は立派だと思う。


 しかし、通販だけはやめてほしい。毎週毎週、何かしら小包が届けられてくる。クレジットカード決済がいくらになるのか想像すると、恐ろしくて震えが来る。俺には大して小遣いをくれないくせに、自分は買いたいものを買っている。しかもほとんどが今回の火打石のようなわけのわからない物ばかりだ。


「……あやめ」

「なに?」


 一言、注意を言おうかと思った。


 が、やめた。


 妻が怖いわけではないが、彼女の性格上、人の忠告を素直に受け入れないであろうことは、十分予想できる。だから、話す内容を変えた。


「今晩は久々に地部煮が食いたい」

「だめ。今日はクラムチャウダーって決めてるの」


 ほら、見ろ。

 人の言うことをまるで聞かない。


 それが俺の妻なんだ。


 ※ ※ ※


 アパートを出た俺は、自転車を駆って、まっすぐ店まで向かった。


 金沢駅を通過した時、駅前でメガホン片手に、世界の終わりがどうのこうのと大演説をしている男が目についた。白い法衣に身を包んでいる。一見、神父か牧師か、といった風情の服装であるが、雰囲気がそれらしくない。


(あれは、なんだ?)


 奇妙な違和感に襲われる。


 横目で観察しながらなんとなく、新興宗教の類だろうか、と考えてみた。東京で暮らしている間、様々な宗教団体の演説を目にしてきたからか、ごく真っ当な活動をしている新興宗教と、胡散臭い新興宗教、それぞれの区別はつくようになっている。


 ところがあの男の場合、その判断がつかない。


(うん? おかしいな)


 あの男――頭が禿げ上がっている、白い法衣の壮年男性は、胡散臭いとも、清廉潔白とも感じ取れない。


(何かが変だな)


 そのどっちつかずな空気感に一層の違和感を感じる。


 ふと、あの男から異様なプレッシャーを感じた。


 もしかしたらあの宗教団体は俺がわかっていないだけで、実は有名な集団なのでは? もっと近くに寄って教団の名前を見れば、何かわかるかもしれない。


 そんなことを考えながら自転車を降りた俺は、近くまで歩み寄ろうとする。


「おっと、ごめんよ」


 目の前を初老の男性が通過する。俺はぶつかりそうになって、慌ててその場で急停止した。


 その弾みで頭が醒めてきた。


(別に興味を持つような集団でもないじゃないか。何をやっているんだ)


 俺は頭を振った。


 香林坊には、それから5分ほどで着いた。


 薄汚れた雑居ビルの地階へと下り、カランコロンと鐘の鳴る扉を開け、店内に入ると、バイトの女の子がカウンターでバナナシェイクを作っているところだった。


 ゆっくりと彼女は頭を上げる。無表情な顔でこちらを見つめてくる。


「伊咲ちゃん、お疲れ」

「そう……ですね」


 人形のように動きの少ない顔を、微かに歪めたように見えた。声にも感情が篭もっていないから、初対面の奴では彼女の意図していることが掴めない。


 が、慣れている俺だからこそ、彼女のあしらい方はわかっている。


「すまんな。昨日はイブだったからな」


 疲れるのも、仕方がない。


 クリスマスイブはなぜかうちの店は繁盛する。この地下にある薄暗い喫茶店に、独り身の寂しい男性諸兄だけでなく、若いカップルまで立ち寄ってくるそうだ。そんな話を聞くたびに、どこかロマンチックな場所でデートでもしなさい、と説教したくなってくるが、こればかりは売上にも直結してくるから何も言えない。


 その非常に忙しい時期に、俺は毎年店を開けている。もちろん人を焼き殺しに行ってるからだ。建て前上は妻とのデートということにしている。


 ただ、伊咲ちゃんはそんな俺のやり方に特に不満を感じていないみたいで、バイトを始めてから昨日で三回のイブを迎えたことになるが、ただの一度も文句を言ってきたことはない。


 ちょっとくたびれた様子を見せるくらいだった。


「マスター」


 バナナシェイクの仕上げにかかりながら、伊咲ちゃんは口を開いた。


「またマッドバーナーが現れましたね」

「へえ。今度はどこだ?」


 本人である俺はよく知っているが、あえて質問した。


「名古屋。高校生の男の子が殺されたみたいです」

「若いな。かわいそうに」


 我ながら白々しい返答だ。


「殺される方はたまらないです。何も悪いことをしていないのに、勝手に焼き殺されて。理由もないのに」

「それはまだわからないだろ。犯人にはそれなりの動機はあるかもしれない」

「でも、迷惑は迷惑、です」

「まあ、な」


 ほんとに犠牲者にとっては迷惑な話である。俺自身そう思う。でも殺さずにはいられないのだから、仕方がない。殺さなければ、俺が死んでしまう。


 毎年クリスマスイブになると、体の調子が激変する。呼吸困難――いや、それ以上だ。窒息するかと思うほど息苦しく、胸にも圧迫感を感じる。心臓が爆発しそうになる。一度は本当に死にかけた。それが、人を一人焼き殺せば治まるのだから、不思議な話だ。


「そう言えばマスターに会いにお客さんが来てますよ。まさにその名古屋から」

「名古屋? 俺の知り合いか?」

「さあ。ただ、初めて見る子ですよ。制服着ていたから高校生かも、です」


 淡々と伊咲ちゃんは語る。おかっぱ頭と固まった表情、抑揚のない喋り方が、本当に人形を想起させる。


(高校生……?)


 女の子。


 名古屋。


 昨日の光景が蘇ってくる。初めてターゲット以外の人間を焼き殺してしまった、あの時の様子が、脳裏にまざまざと。


(まさか、あの子か……?)


 俺が当初の予定では焼き殺そうとしていた、あの少女。


 なぜ、ここへ。


 店の奥、トイレのドアが開く。


 タイミングを見計らって、伊咲ちゃんがバナナシェイクをカウンターに置く。それは、その高校生の女の子が注文したものだった。


「こんにちは」


 静かな声で少女は挨拶をしてきた。


 その声を聞いた瞬間、昨日の出来事が鮮明に甦ってくる。


「いらっしゃいませ」


 俺は軽く混乱しながら、一応の挨拶だけは返した。

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