ジレンマに揺られて

 現実世界に帰って来た金森たちは薄暗い砂浜を駆けて更衣室に滑り込むと、大慌てで着替えて、今度はバスまで走った。

 駐車場には随分と多くの生徒が集まっていたが、それでもまだ全員は集まっていないようで、金森たちの担任、佐藤はイライラと腕時計を見ていた。

「おかえりー、随分と汗だくだけど、走ったの?」

 ゼエゼエと肩で息をする金森たちに、そう気楽に話しかけたのは友子だった。

 次いで、友美が金森と清川にスポーツ飲料を手渡す。

「はい、コレ。熱中症にならないようにぃ、って配られたやつだよぉ。本当は、もっと早くに渡したかったんだけれど、二人とも見つからなかったからさ~。ごめんねぇ、もうぬるくなっちゃってて、あんまり冷たくないと思う~」

 金森は自分に向けられたペットボトルを受け取ると、パキパキと勢いよく開け、ゴクゴクと喉を鳴らして中身を半分程度まで飲んだ。

 一気飲みしたせいで酸素が足りなくなった金森は、ペットボトルから唇を離すとプハッと息を吐きだして、思いきり空気を吸い込んだ。

「ふー、飲んだ、飲んだ。ぬるくてちょうど良かったわ。キンキンだったら、一気飲みした後に頭が痛くなっていたもの」

 そう言って豪快に笑う姿を、両手でペットボトルを持って、少しずつ中身を飲んでいた清川が手を組み、尊敬の眼差しで見つめている。

「響ちゃん、カッコイイ」

「えー、本当に? おっさん臭いだけでしょ。美人が台無しよ、金森」

 友子が揶揄うと、金森はベッと舌を出して笑う。

「余計なお世話よ。それより、そろそろバスに乗り込もう。めっちゃ、先生がこっち見てる」

「私たちが最後ってわけじゃないのに?」

 友美が首を傾げるのに対し、金森は苦笑いを浮かべた。

「だって、相手は我らが担任、佐藤先生だよ。あの人、時間に超キビシーじゃん。それなのに出発時間も五分以上遅れて、その怒りの矛先が、こっちに向いたら面倒じゃない? ほら、周りも似たようなこと考えてる子達が、自主的にバスに乗り込んでるでしょ」

 金森の視線を辿ると、クラスメートが次々にバスに乗り込んでいるのが見える。

 それを見守る佐藤の表情は、少し和らいでいた。

「しょうがないな。じゃあ、私達も佐藤ちゃんのご機嫌取りのために、バスに乗るかー」

 友子は不満げに言って伸びをすると、ぴょんとバスに飛び乗った。

 続いて友美や清川もバスに乗り込む。

 指定された席に座り込むと酷い疲れに襲われて、金森はすぐに眠りについた。

 それから数分もしない内に、佐藤に叱られながら数人の生徒がバスに乗り込んできて、間もなく出発した。

 清川は、青に灰色を混ぜたような切ない空を眺め続けている。

「藍、お疲れでしょう。眠ってはいかがですか?」

 星の浮かび始める空を色の無い瞳で眺め続ける清川が心配で、聞こえないことは分かっているのに、つい、声を掛けてしまった。

 泣いてしまった清川が何を考えているのか。

 傷ついてはいないか。

 守られることに引け目を感じるようになってしまうのではないか。

 そんなことが気になった。

『ああ、これが怖かったのです。博士は人間が、契約者が嫌いで、きっと藍を傷つけると、あまり藍に聞かせたくはない話を聞かせるだろうと、思っていましたから。当たってしまいましたね』

 守護者と博士はあまり長く言葉を交わしたわけではなかったが、それでも彼の言葉の端々から契約者への怒りを感じ取った。

 清川は正確には契約者、博士の言うところの王子さまではないが、それでも博士は清川に確かな嫌悪感と複雑な苦みを持っていた。

『本当は、藍が泣くような言葉を出す前に、博士の口を塞いでしまいたかったのです。ですが、あれはきっと、藍が自分で感じ、考え、答えを出さなければならないことなのでしょう。私は、藍を愚かにしたくありません。矛盾しているかもしれませんが、藍には、私がいなくても生きていけるくらい、強い子に育ってほしいのです』

 守護者は清川の身体は過剰に防衛するが、その反面、精神を過剰に守ることは無い。

 少し前までは清川に認識されていなかったため、心を支えようにも難しかった、ということもあるが、守護者は心に感じる痛みや涙が人間を成長させることも知っていた。

 そのため、心の痛みや苦しみ、人間関係から生まれる困難などを、先んじて回避させるつもりは無かった。

 それに、答えのない事柄や、痛みを生じさせる思考を苦しいからと止めさせてしまえば、思考力を失い、本当に清川は幼いままになってしまう。

 清川のことを守りたいが、同時に、成長を妨げるような真似もしたくない。

 けれど、泣く清川の痛みを遠くへ投げ捨てて、大丈夫だ、何も考えなくてもいいのだと、ずっと頭を撫でていたいとも思ってしまう。

 ジレンマに揺られる守護者も、気が付けば、清川と同じように外を眺めていた。

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