ファンタジー知識が増えてゆく
ひとまず博士は、幻想世界について清川と同じ説明をした。
今一つ芳しくない反応をしていた清川とは対照的に、赤崎はキラキラと瞳を輝かせて腕を組み、ウンウンと頷きながら話を聞いた。
それから、赤崎は興奮気味に両手をシャカシャカとあちこちに動かして、過去に清川の家から行った幻想世界のことについて話した。
あの時行った場所も一層目で合っているのか、という問いも交えて話すと、博士の方も赤崎の言葉を興味深げに聞いた後、ゆっくりと答えを返し始めた。
「なるほど、ね。うん。君たちが一度行ったその場所は、幻想世界の一層目で合っているよ。守護者さんが説明したように、藍さんが作った門から入ったんだね。藍さんのお家から入った世界なわけだし、門を作るほど強い感情を持っていたのだから、その世界を支配するのも納得がいくさ」
一人で満足げに頷いて納得しているが、赤崎の方は余計に疑問が溢れてきたようだ。
「そもそも、その門とはいったい何だ? それに、清川藍が作ったと言ったが、清川藍は普段、守護者を見ることもできないほど、力が弱いか、全く無いのだ。それでも、門とは作れるものなのか?」
どうやら赤崎、博士からもたらされる情報を飲み込み、かつ大量の質問を整理するので頭がパンパンになっているようで、博士に質問を投げかけると、椅子から立ち上がり辺りをうろつきながら、返事が返ってくるまでブツブツと何かを呟きだした。
ニヤけた口元を片手で覆いつつ、キラキラと瞳を輝かせており、その後ろを赤崎の真似をしたブラッドナイトが追っていく。
酷く興奮して食い気味に情報を飲み込んでいく赤崎に戸惑いながらも、博士は嬉しそうな表情を浮かべた。
「君は、随分とこの世界に興味津々なようだね。僕としては、仲間ができたようで嬉しいよ。ええと、まず、現実世界と幻想世界の間には、鏡みたいに薄くて透明な、けれど明確に二つの世界を分離させる境界線みたいなのがあるのさ。門は、その二つの世界を繋げるモノで、特に決まった形は無いみたいだよ。ただ、境界は地面にあるから、門も地面にあるのさ。そこを通るときの不思議な感覚には、君も覚えがあるんじゃないかな」
博士がスッと地面を指差すと、赤崎は幻想世界に来る瞬間に味わった、足の裏から体がひっくり返って世界が反転するような、不思議な感覚を思い出した。
「門は、ある程度強い力を持っていれば、人間でも幻想世界の住人でも、誰でも作ることができるんだ。今眠っているあの子、響さんだったかな? 彼女では、力が弱すぎて作れないけれど、君ほどの力があれば余裕だね。そして、門を通れるのは、守護者さんが前に説明した通り、導き手としての能力を持つ者と、それに連れて来られた者だけだよ。響さんと君は導き手で、君の方は何人か連れて来られるくらいの力はあるけれど、響さんの方はギリギリ自分だけが通れるくらいしか、力が無いみたいだね」
仕方のないことなのだが、説明のために金森と赤崎は比較されている。
金森が起きていれば、話は理解しきれないながらも、力が弱いと言われていることは何となく理解し、定期的に噛みついたことだろう。
うなされているのは不憫だが、眠っていてよかったかもしれない。
「その話しぶりだと、清川藍には力があるのか?」
眉間に曲げた指を当て、格好つけて問うと、博士はあっさりと肯定した。
「うん、そうだよ。実は、単純な力だけで言ったら、多分この場の誰よりも、藍さんは強い力を持っている。ただ、藍さんは力の量も、持っている能力も凄く特殊みたいだ」
「ほう! 清川藍はNからSSRに覚醒するタイプだったのか!! 面白いな!」
一見、力の無いはずの人間が物語の鍵となる力を持っていたりする。
そんなベタな展開に強いロマンを感じた赤崎は、ブラッドナイトを抱き上げ、クルクルと回り始めた。
口元を楽しげに歪めて笑い、巫女などと口走っている。
すると、ずっと黙っていた守護者が口を開いた。
「それは、私やブラッドナイトさんにも関係のあることなのですか?」
頭に浮かぶのは、決してマボロシには成れなかったはずなのに、急に自己を確立したブラッドナイトや、本来ならばとっくに消えてしまっていてもおかしくなかったのに、存在し続けることの出来た自分のことだ。
「そうだよ。端的に言うとね、藍さんはナリカケに干渉して、その存在を確立させたり、消滅させたりできるのさ。例えば」
博士は一度握った手を開いて、その上に、明滅する真っ黒いクラゲを作り出した。
真っ黒いクラゲは博士の小さな手のひらから飛び降りて、真直ぐにテーブルの上を滑り、トランプを一枚奪うとビリビリに破いた。
ジョーカーが細かく割けて、紙屑になっていく。
「この子は、ナリカケなんだ。今、この子がトランプを破いてしまっただろう? でも、藍さんはナリカケを見る力が無いから、トランプが急に破けたことしか知らない。この時に、もしも藍さんが、此処にはトランプを破く化け物がいる、と確信を持って、そう言えば、この子はたちまち化け物に転じる」
手のひらに帰ってきていたクラゲが、グラグラと霞のように揺れて、その姿を変えていく。
そこに現れたのは、触手の一部を大きな鋏に変えたクラゲの化け物で、弱々しく点滅していた体は不気味な黒に輝き、トランプに向かってチョキンチョキンと刃を開閉させている。
これ以上はトランプを破かせないように、と体を摘まんで持ち上げる博士の指には目もくれず、化け物はトランプを狙い続けた。
「もしも藍さんが、トランプが破けても、此処には何もいない、と確信を持ってそう言えば、この子はたちまち、消え去ってしまう」
博士は無言で手を振った。
すると、音も出さずに暴れていた化け物が、ふわりと消えてしまう。
煙すら残らないその有様は、まるで、初めから何もいなかったかのようだ。
「まあ、これは説明のための例え話さ。だから、荒唐無稽に聞こえるかもしれない。けれど、その結果が守護者さんやブラッドナイトさんだよ。無から有を作り出すわけじゃない。有を無にできるわけでもない。そこにナリカケがいて、そのナリカケが現実に何らかの行動をとった時、その行動について藍さんが判定を下すと、それが事実になるんだ。ブラッドナイト君については、君たちもその場にいたんだ。何となく分かるだろう?」
いつからかは分からない。
けれど、ブラッドナイトは確かに赤崎の側にいて、時に彼を守ったようだった。
それを清川は相棒として判定し、言葉にして出した。
そうして、ブラッドナイトが生まれた。
「守護者さん、君もそうだよ。子供の頃は力も感情も強いし、命の危機に晒されていたんだろう? それなら、誰か自分を守ってくれている存在がいるって強く確信するだけでも、守護者さんを生み出すことができたのだと思うよ」
幼い頃に空き巣に襲われかけた清川は、ナリカケが落としたガラス人形が犯罪者に直撃にするのを見て、自分を守る何者かがいると確信した。
きっと、「私を守る誰かがいるのね」などと言いはしなかっただろうが、それでも確信はナリカケに大きな影響を与え、守護者をつくり出した。
「なるほどな。そうなると、守護者たちはマボロシとは異なる存在なのか?」
じっと話を聞いていた赤崎は、回転の速い頭で素早く内容を整理して質問を出した。
博士はしっかりと頷く。
「そうだよ。守護者さんやブラッドナイトさんは、実はマボロシじゃないのさ。その存在を得るきっかけは、人魚姫で言うところの契約者に、人間に依拠してしまっているかもしれない。けれど、彼らのように契約者に見てもらえなくなったからといって、消えたりしない」
一見すると、守護者たちはマボロシと何ら変わらないように見えるかもしれない。
だが、契約を守ることで自己を確立し続けるのと違って、守護者たちはそもそも契約を結んでいない。
初めから「赤崎の相棒」として清川に存在を確立されたブラッドナイトは、力の行使や存在の維持に契約者からの認識すら必要としないのだ。
同じことが、守護者にもいえる。
博士は無理矢理に契約を結ばされ、その遵守を生存の絶対条件とさせられているマボロシを人魚姫と呼んでいる。
そのため、博士は守護者を人魚姫ではないと言ったのだ。
「それが、守護者が清川藍に認識されずとも、生き続けることができた理由か。もしかして、清川藍は俺たちに知らされるまで、一度も、守護者の存在を認識したことは無かったのか?」
赤崎が首を傾げると、博士はコックリと頷いた。
「そう、なるね。僕は以前、守護者さんに、藍さんと直接関わり合った記憶を聞いたことがあるんだ。そうしたら、守護者さんは、全くそういうのが無いようだった。まあ、生まれたばかりの頃とかって記憶が曖昧になることもあるし、早々に忘れられちゃったのかなって思っていたけど、そもそも、関わり合ったことが無かったんだね」
そう苦笑いを浮かべる声には、少しだけ非難が入り込んでいる。
清川は自分を守り続けてくれた守護者を一切認識せずにいたことに、強い罪悪感を抱いていた。
そのため、強いものではなくてもそれ関連で非難されると、多少は落ち込んでしまった。
しゅんと項垂れる清川の姿を見ると元気づけてやりたくなって、守護者は翼でその頭を包み直し、転んだ子供を慰める母親のように優しく撫でた。
「確かに、私は、藍に直接見てもらえたことは無かったのかもしれません。ですが、以前に藍が『ずっと誰かに守ってもらえている気がしていた』と言ってくださったこと、本当に嬉しかったのですよ」
ふんわり微笑んで励ませば清川はコックリと頷き、寂しげだった雰囲気が緩んだ。
博士はそんな二人をどこか羨ましげに眺めていたのだが、赤崎の方は特に気に留めることもなく、次の質問を出す。
「ふむ、その感じで行くと、もしや守護者たちはあまり人間に依拠しない存在なのか?」
「そうだね。けれど、人間とまるで繋がりが無いわけではないよ。マボロシたちみたいに、契約者に当たる人間に力をもらうことで、やっと現実世界に、いることができるようになるのさ。ただ、これは無意識に行われているみたいだし、さっきも話したけれど、藍さんも、怜さんも力が強いから、供給云々については、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
赤崎はフムフムと話を聞いていたのだが、ふと動きを止めると、とっくに話に飽きて眠っていたブラッドナイトを抱っこして、その背中をモフモフと忙しなく撫で始めた。
「なんだか、その口ぶりだと、ブラッドナイトたちは幻想世界でなら俺たち関係なしにいられるようだが? ブラッドナイト、俺たち相棒だよな!? ずっと一緒だよな!?」
赤崎は頭の回転がわりと早く、かつ、博士の言葉を丁寧に考えながら聞いていた。
そのため、博士の発した言葉に潜む小さな棘に気が付いた。
博士は苦笑いをして、ポリポリと頭を掻く。
「そっか、気がついちゃったのか。そうだよ。守護者さんたちの場合、幻想世界にさえいれば、存在するためのエネルギーは自然に得られるし、契約を守らなくても、アイデンティティは崩壊しないんだ。でも……」
ブラッドナイトは、自分の前から消えるのでは!? と慌てた赤崎に「まあ、落ち着けよ、相棒」とでも言うように気楽に鳴くと、その肩によじ登った。
頬に頭をすり寄せられ、ホッと微笑む。
守護者の方も、不安がって自分を見つめてくる清川を翼で抱き締めて、「うちの子を不安がらせるな!」とばかりに博士を睨んでいる。
「うっ、ちょっと意地悪した自覚はあるけどさ、そんなに睨まなくてもいいじゃないか」
博士に対し警戒心を強め、過敏になっている守護者の睨みは強く、怖い。
激しい非難の視線に晒された博士は、モジモジと指先を擦ってから、
「まあ、でも、今見た通りさ。彼らの基礎は、やっぱり君たちの願いなんかから来ているわけで、それを守るのが、マボロシたちのように、存在すらしない契約を守るのが、彼らの幸せなんだ……僕には、分からない感覚だけれどね」
と、両手を横に広げ、皮肉な笑みを浮かべた。
「この幻想世界、曖昧な事も不思議な事も沢山あるのだけれど、守護者さんたちはマボロシとカクリツの中間という、さらに不思議な立ち位置だね。ふふ、面白いなぁ」
博士は心底楽しそうに笑うと、一通り説明を聞き終えて、今度は妄想の世界に入り込み、帰って来られなくなった赤崎を放置して、清川の方を見た。
清川は時折俯いたりしながらも、ずっと真剣に話を聞いていて、今も真っ直ぐに博士の顔を見ている。
「博士さん、私や守護者さんのこと、沢山教えてくれて、ありがとう。私も、一個、質問してもいい?」
博士に意地悪された記憶が残っているからだろうか。
伺うようにオドオドと問うと、博士は柔らかく微笑んだ。
「いいよ。何が聞きたいの?」
清川は一度、脳内で質問をまとめると、少しずつ言葉を出した。
「私には、力が、あるんだよね? でも、現実世界で守護者さんが見えないのは、どうして? 反対に、ココでなら、守護者さんを、見ることができるの」
チラリと守護者を見つめると、自分からフワフワと頭を覆う触り心地の良い翼に触れた。
「触れることも、出来るの」と続ける。
「ああ、それはね、ここに来ると人間は皆、元々の力に合わせて、一定量の力をもらえるからだよ。君は普段、その強大な力を特殊な能力に全部、振り分けてしまっているのさ。だから、現実世界では守護者さんたちを見たりすることができないのだけれど、此処に来て手に入った力は、彼らを見たりするのに振り分けられるみたいなんだ。まあ、此処ではいつもよりもできることが増える、って思ってくれれば、話は早いかな」
博士の説明を聞き終えた清川は、少し考えてから控えめに口を開いた。
「ねえ、力の振り分け? を変えることは、できないの? 私、できたら、現実世界でも、守護者さんを見たいな」
「特別な力」など無くなってしまっても構わない。
そう思うのだが、博士は困ったように笑って首を振った。
「ううん……多分、無理かな。ごめんね。僕も、この世界のことを全て知っているわけじゃないんだ。むしろ、この世界は酷く曖昧で、一定のルールはあるものの、細かいルールはコロコロ変わってしまったり、大量の例外が出てきたりするからさ、掴みどころが全くないんだよ。僕は、そんなこの世界が面白くて、研究することに夢中なのだけれどね」
博士は研究ノートを空中から取り出して、楽しそうに指先でクルクルと回した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます