ニタニタ少年の根城へ
以前のように幻覚が見えることは無かったが、代わりに酷い眩暈と頭痛がして、金森は額を手のひらで覆った。
鈍く痛む頭を押さえつつ、辺りを見回す。
どうやら洞窟の中に入ったようだが、その様子が先程までとは大きく変わってしまっていた。
地面はサラサラとした灰色の砂で、金森を取り囲む岩壁は薄い水色だ。
その壁にはコケのような緑に発色する植物が点々と生えていて、トンネルの電灯があるような位置に、濃い青に発色する煙の塊が躍っている。
水など何処にも無いのに、空間全体で水面のような光がキラキラと反射して揺れていた。
美しくも恐ろしいそれは、まるで海そのものだ。
不安で血の気が引き、ひんやりとした洞窟内の温度も相まって、一気に体中の温度が下がっていく。
「赤崎!」
明らかに現実ではない空間に迷い込んでしまった金森が、反射的に赤崎の名を呼び、左右をキョロキョロと見渡してその姿を探すと、ポンと人間ではない何かに肩を叩かれた。
パーカー越しに伝わるモフモフ感とチクリとした痛みに、肩が跳ねあがる。
「お化け!?」
ガバっと後ろを振り返って確認すると、そこにいたのは黒い瞳孔をまん丸く輝かせて金森を見つめるブラッドナイトだった。
「なんだ、ブーちゃんか。それに、赤崎も。二人が、ちゃんとこっちに来ててよかったよ。こんなところではぐれるなんて、真っ平ごめんだからね」
二人を見ると、不安でドコドコと鳴っていた心臓や、手足を冷やしていた緊張も落ち着き、余裕のある態度で両手を広げて見せることができた。
そんな金森に、赤崎はムッと表情を歪めた。
「ブラッドナイトを化け物扱いするとは、失礼な。ブラッドナイトも、もっと怒っても良いのだぞ? お、おい、お前、懐っこいな」
赤崎がフンと両腕を組んで顎をしゃくるが、当のブラッドナイトは、ゴメンゴメン、と軽く謝る金森の手のひらに額を擦り付けて目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
「おー、可愛いね、ブーちゃんは。とても赤崎の相棒とは思えないよ。赤崎もこのぐらい可愛げがあったら……不気味だわ」
あざといとすら思えるほどゴロゴロと喉を鳴らし、キュルンと可愛らしい顔をするブラッドナイトに、金森はかなりデレている。
しかし、もしも赤崎が祈るように組んだ両手を頬に当て、キュルンと斜め上を見上げたり、ニコニコ笑って「響ちゃん」などと言い出したりしたら、と考えると鳥肌が立って、金森は、何故そんなものを想像してしまったのか、と一人で勝手に落ち込んだ。
「赤崎、格好良い系はいいけど、可愛い系だけは、絶っ対に目指さないでよ。ヘアピンの前科があるからね」
そもそも赤崎のヘアピンを、可愛い子ぶりっこしている! と糾弾しているのは金森だけで、赤崎本人もその周囲も、そのようには思っていないのだが。
金森は被害者面で赤崎を睨んでいるが、真の被害者は赤崎の方だろう。
「先日から、何の話をしているのだ、お前は。よく分からん文句ばかり言いおって」
フンと腕を組み、ギッと鋭い目つきで睨み返すのだが、何故か金森は「そうね、その方がまだ格好良くていいわ」と、満足げに頷いている。
赤崎はなんだか調子が狂ってしまって、困惑気味に金森を睨んだ。
「大体、俺の崇高なる使い魔、兼相棒を、ブーちゃんなどというあだ名で呼ぶんじゃない。それに、ブラッドナイトは可愛いよりカッコいいだろうが。見ろ、このトラのような体躯にズラリと並んだ牙、鋭い爪を! 正直、肩に乗られていると結構痛いぞ!」
赤崎が肩に乗っていたブラッドナイトを片腕で抱き、人差し指でモニンと緩んだ口を持ち上げて鋭い牙を見せる。
それから、プニッと前足を押して爪を押し出した。
先の丸まった鍵爪には、明らかな攻撃性や殺傷力がある。
赤崎を刺しているのも、つい先ほど金森の肩をチクリとさせたのも、この凶暴な鍵爪のようだ。
金森は押し出された爪をフムフムと見て、肉球をプニプニと揉んだ。
通常、猫は肉球を触ると不満げに腕を引っ込めたり、場合によってはこちらを引っ掻いたりするが、ブラッドナイトは平然としている。
「確かに、結構カッコいいところもあるね」
フムフムと納得顔で前足を触っていると、赤崎が得意げに頷いた。
「当たり前だ。それにしても、全く、お前は緊張感に欠けるな、金森響。出口すら塞がれているというのに、案外肝が太いというか」
ブラッドナイトを肩に乗せ直し、ヤレヤレと首を振る。
すると赤崎の言葉を聞いた金森が、グルリともう一度、辺りを見回した。
彼の言う通り、自分の後ろにも赤崎の後ろにも、ただひたすらに青く揺らめく洞窟が続いていくだけで、外へつながる出口などは存在していなかった。
「出口が無い!? あれ? え? ちょっ、ヤバくない!? 出られないよ!」
焦った声を出すその顔からは血の気が引き、赤崎の胸元を掴んでガンガンと揺さぶる。
「落ち着け、落ち着け。全く、お前という奴は。気が付いていなかったのか。確かに今は出口が無いが、あのニタニタ少年はこちらに来ていたのだから、外に出る術はあるのだろう。それに、清川藍や守護者を見つけるまで、此処を出るつもりは毛頭ないのだ。それならばいっそ、ここに出口など不要だろう」
赤崎は自らの胸倉を掴む腕をベシベシと叩いて揺さぶるのを止めさせ、ドヤッと自信満々に言い放った。
堂々とした赤崎の態度を見て、金森も少し落ち着いたようだ。
「そうだった。取り乱して悪かったよ、ゴメン。つい、焦っちゃった」
赤崎から手を放して、バツが悪そうに頬を掻く。
「まあ、いいさ。俺くらい心が強くなければ、この異常事態に立ち向かうことなどできはしないのだからな」
そう高笑いをして、赤崎はサクサクと砂を踏みしめ、清川たちを探し始めた。
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