違和感と清川誘拐

 明るい雰囲気の中、守護者だけが驚愕した様子でブラッドナイトを見つめていた。

 先程までの守護者は、金森たちの方法では決してブラッドナイトをマボロシにすることはできないと確信したまま、痛まし気にその姿を眺めていた。

 すっかり消えてしまった後、どうやって慰めの言葉をかけようかと考えながら、三人を見守っていた。

 けれど、守護者の暗い予想はあっさりと裏切られることとなった。

『どういうことなのでしょうか。マボロシがこんなに簡単に生まれるはずがないのに』

 ふんわりと生まれたナリカケが現実世界に向かっていくのを、痛ましげに見つめていた友人を思い出す。

『確かに、マボロシのもととなる存在はいました。アイデンティティを得られるような行動も、とれていたようです。赤崎さんは極めて力が強いですから、彼からマボロシが作られること自体に不思議はありません。けれど、想いは、感情は、願いは、もっと強いものでなければならないはずです』

 感情はもっと強く、極めて単純なものでなければいけない。

 赤崎たちのソレは一つの生命体をつくり出すには足りず、多くの情報が絡んだせいで、願いや感情も複雑すぎた。

『あり得ないことが起こりました。その原因は、きっと』

 守護者が考え事にふけっていた時、ふと、聞き覚えのある声が聞こえた。

「へえ、面白いことが起こっているなあ。特に君は、本当に面白いよ」

 守護者が顔を上げると、長髪の少年が清川の手を引いて笑っているのが見えた。

 少年の姿はまるっきり人間と同じだが、空中を泳ぐように浮いているその姿から、実際には彼が人間ではないのだということを察せられる。

 清川の混乱する黒い瞳と、少年の好奇に満ちた真っ黒い瞳が交差する。

「ああ、君には僕の姿が見えているのか。なるほど。僕はまだ、人でもあるらしい。さあ、行こうか王子さま。大丈夫、ちょっと遊ぶだけだよ」

 ニタニタと笑う少年は、トンと地面に降り立ち、掴んでいた手をグイっと引っ張った。

 清川の上体が大きく崩れる。

「守護者さん!」

 足の裏からクルリと地面の方へ体が吸い込まれていく刹那、清川が必死で伸ばした手に、守護者の触角がグルグルと巻き付いた。

 一瞬で三人は砂浜に潜り込み、消え去ってしまった。

 人が一人消えているというのに、周囲の人々は異変に気が付いていないようだ。

 遠くから聞こえる同級生や一般客のワイワイとはしゃぐ声が、水に潜り込んだ時に響く音のように鈍く耳に届く。

 あまりに突飛な出来事に、初めからここには少年も清川も守護者もいなかったのではないか、という馬鹿げた錯覚すら起こる。

「え? 何があったの? 藍は? 守護者は? あの子、誰?」

 頭の中には次々と疑問が湧くばかりで、少しも状況の理解などできない。

 赤崎が答えを知っているとは思っていなかったが、それでも金森はとにかく疑問を言葉に出した。

 赤崎は混乱してぼやけていた瞳をハッと正気に戻して、少年たちが消えた砂浜の上を見つめる。

「金森響、アレは見えるか?」

 指差す場所には、真っ白い砂の他に何も無い。

 金森は不可思議そうに首を傾げるが、ブラッドナイトには何かが見えているようで、タシタシと地面を叩き、「見える!」とでも言うように、ニャーンと甲高く鳴いた。

「そうか、俺やブラッドナイトには見えるが、金森響には見えないのか。ということはやはり……」

 赤崎がブツブツと何かを唱えながら、あちらこちらを行ったり来たりしている。

「ねえ、赤崎! 何か分かったなら教えてよ」

 赤崎の肩をグイっと引いて顔をこちらに向けさせると、とても友人二人が誘拐されたとは思えないような、キラキラとした笑顔を浮かべていた。

「アンタ、何笑ってんの! 流石に引くよ!?」

 ドン引きしながら一歩後退りして睨みつける。

 赤崎は相変わらず楽しそうな笑顔のままで大きく手を広げた。

「すまない、すまない。つい、テンションが上がってしまってな。これは、少年からの挑戦状だ。二人を返してほしければ、この矢印を辿って奪いに来い、というな」

 片手を腰に当て、もう片手で砂浜を指差す赤崎の姿は実に堂々としていて自信に満ち溢れているのだが、やはり金森に矢印は見えない。

 何を言っているんだお前は、それよりも何か分かったことがあるのならちゃんと教えろ、と、文句を言おうとすると、ドヤ顔をした赤崎が先に口を開いた。

「お前はどうせ、矢印なんかどこにもないとか言い出すのだろう? 全く、我が相棒は人の話を聞かないからな。力の強い俺だけに見えるものがあれば、力の弱いお前にしか見えないものもあるのだと、先程のブラッドナイト騒動で知ったばかりだろう。この矢印は、俺とブラッドナイトにしか見えていないのだ」

 ブラッドナイトも肯定するように、赤崎の指差す砂浜を太い尻尾でベシンベシンと叩いて砂埃を上げ、上機嫌に鳴いた。

 金森には見えないが、きっと二人の言う通り、そこには矢印があるのだろう。

 ムグムグと口を歪ませて何かを言いあぐねていると、赤崎が勝ち誇ったように、ポンと肩を叩く。

「まあ、たまには相棒の言葉を素直に聞け。この矢印を辿った先に、間違いなく清川藍と守護者はいる。二人を助けに行こうじゃないか」

 赤崎が矢印の指し示している方角を指差すと、物語の主人公のように堂々と言い放った。

 状況を考えるに、おそらく赤崎の言う通りなのだろうし、仮に違っていても、矢印を追う以外にとれる行動はない。

 しかし、金森は口角を下げて不満げに赤崎を見た。

「む、なんだ、金森響。これから海底神殿を探検、じゃなくて、二人を助けに行くというのに、随分と嫌そうな顔をしているな。二人が心配ではないのか?」

 怪訝な表情で金森の顔を覗き込んでくるが、金森は反対に睨み返して、不機嫌に歪んだ口を開いた。

「赤崎の方こそ、ちょっと能天気なんじゃない? 探検とか言い出してるし。いなくなっちゃった二人は、心配じゃないの?」

 突如よく分からない子供に連れ去られてしまった二人のことが心配で堪らない。

 焦りと不安が苛立ちへと変換され、金森がポコポコと怒ると、赤崎はキョトンとしてから、

「大丈夫だ、金森響。確かに連れ去られたのが清川藍、ただ一人ならば、心配にもなるだろうが、今回は守護者がついているのだ。守護者の強さと、清川藍への想いは知っているだろう? 二人は絶対に無事だ。だから俺たちは、探検でもするような気分で二人を迎えに行けば良いのだ。そうは思わないか?」

 と、快活に笑った。

 ブラッドナイトも甲高い声で鳴いて頷くと赤崎の肩に飛び乗る。

 余裕そうな二人につられて、張り詰めた雰囲気が緩む。

 金森は腕を組んで、渋々といった様子で頷いた。

「確かに。守護者がついているのに、心配しすぎちゃ悪いか。まあ、私は相棒じゃないけど。それでも、二人が心配なのは変わりないし。よし! 早く二人を迎えに行こう!」

 最終的には腕を組んで、偉そうにしている。

 三人は、一定の間隔をあけて設置されている矢印を追っていく。

 しばらく歩いた先には、ぽっかりと口を開けた小さな洞窟があった。

 入り口付近には一応光が差し込んでいるため、サラサラとした砂の地面が見えるが、奥の方は真っ暗になっており、何があるのか皆目見当もつかない。

 周囲の雰囲気は暗く、異様に冷え込んでおり人気もない。

 ただ波の音だけが、静かに響いていた。

 洞窟の前に立つと、入り口付近にあった矢印がふわりと浮かび上がり、ゆらりと墨汁のように滲んで文字列を作った。

「ボクのメッセージに気が付いてくれて、ありがとう。おいで、一緒に遊ぼう」

 赤崎が嬉しそうにメッセージを音読すると、黒い文字は書き消えて洞窟の中に入り込んでいった。

 目の前の非現実的な現象に赤崎とブラッドナイトは瞳を強く輝かせ、対照的に金森は口をへの字に曲げて嫌そうに洞窟の中を睨んだ。

「随分と余裕みたいね。なーにが『遊ぼう』よ! 遊ばないわよ!」

 ペッと吐き捨てるように言う金森の隣で、やけに浮足立った赤崎がウロウロと歩き回る。

「おお、乗り気だな、金森響! そうだ、思い上がった少年から、危機に瀕した仲間たちを救いに行こう! この先には見たこともない危険が」

 少し前からエンジンがかかり、ガンガンと上がったテンションがクルクルと口を動かす。

 随分と盛り上がった妄想を口にする赤崎を、金森はげんなりとした瞳で一瞥すると、もう今更何も突っ込むまい、と一足先に洞窟に足を踏み入れた。

 その瞬間、足の裏からグルリとひっくり返るように、世界が反転する。

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