僕とお喋りはいかが?

 洞窟の奥深く、ポッカリと空いた空間は広くて開放的だ。

 広いリビングのようなその場所には、点々と家具が置かれており、端の方には真っ黒いシーツが掛けられた一人用のベッドが転がっている。

 その隣には、小学生に与えられるような機能的な学習机が置かれていたが、あまり使われていないのか、店に並ぶ商品のように新しく寂しげだった。

 机上には、伏せられた写真立てだけがポツンと置かれている。

 それに対し、空間のど真ん中に置かれた黒い机には、フラスコやら分厚い紙の束やらが無造作に置かれており、端の方に置かれた万年筆が転がり落ちそうになっている。

 扱いは雑で汚いが、それでもその机には、使い倒されているという確かな充実感が満ちていて、貫禄すらあるようだった。

 黒い机の相棒である黒い椅子には、座面にフカフカの、これまた黒いクッションが置かれている。

 椅子そのものには、深く腰掛けられるようなしっかりとした背もたれが付いており、ひじ掛けもついている。

 全体的に緩やかなカーブを描いていて、人をリラックスさせるために生まれたような椅子だ。

 その空間の中心近く、黒い絨毯の上で眠っていた清川は、ゆっくりと目を覚まして上体を起こした。

「ここは? それに、なんか、暖かい……」

 鈍い頭痛に顔を歪めながらも周囲を見回すと、洞窟の中に無理やり部屋を突っ込んだような、酷く歪な空間が視界に飛び込んできた。

 RPGで見かける、盗賊のアジトの豪華版ようだ。

『なんか、変な場所。それに、これは?』

 薄暗く青っぽい異様な空間の中で、ふと腕を見ると、半透明にきらめく蜘蛛の糸のようなものが自分を包んでいるのが見えた。

 ふわりと巻かれたそれは、決して清川を締め上げず、繭のように彼女を守っている。

 また、周りの色などに影響されているのか、糸の束は全体的に薄い青のような色をしており、何処にあるのかもよく分からない水面を反射させていた。

「綺麗……」

 腕をクルクルと動かして微笑むと、清川の後ろから伸びてきた糸の束が、モフッと頭を撫でた。

「おはようございます、藍。貴方が、無事に目を覚ましてくれてよかった」

 安堵して微笑む、優しい声には覚えがある。

 考える前に振り向けば、そこには、あの日清川の心を救った美しい笑顔があった。

「おひめさま! じゃなかった、守護者さん!」

 迷子の子供が母親に縋りつくように、ギュッとしがみついた。

 胸に広がる安心感で、ほんの少しだけ涙が浮かぶ。

「おひめさまでも、守護者でも、どちらでも良いですよ、藍。お好きな方でお呼びください」

 既に髪でふんわりと巻かれた体を、顔の側面に沿って生える二本の長い触角で更に抱き締めた。

 清川の姿が、真冬の寒さに耐えかねて二重三重に厚着をし、その上に毛布を掛けた人のようになる。

 明らかな過剰防衛だが、酷い不安に晒された清川にはどうしようもなく温かく感じられ、嬉しそうに目を細めた。

「君も、人魚姫のことをおひめさまと呼ぶのかい? ふむ、案外僕たちは気が合うのかもしれない」

 音もなく清川の背後に忍び寄って、ふわふわと宙に浮かぶのは、彼女を幻想世界へと連れ去った誘拐犯だった。

 ニタニタと楽しそうに笑う彼は小学校高学年くらいの少年で、真っ黒い長髪を、まるで水中にでもいるかのように揺らめかせている。

 また、清川と守護者を見る好奇心に満ち溢れた瞳も真っ黒で、その目には光が宿っているはずなのに、まるで塗りつぶしたかのような色彩をしていた。

 赤崎の美しい黒とも異なる、どこか禍々しい黒だ。

 白と薄い灰色のストライプのワイシャツの上には、上の方が真っ黒で裾へ向かうほど白っぽい灰色になっていく、というグラデーションのかかった珍しい白衣を着ていて、そのサイズは少々大きいようだ。

 首元には真っ赤なリボンを巻いており、光沢のあるそれは柔らかな高級感を放っている。

 半ズボンは真っ黒で、履いているローファーや靴下も黒だ。

 全身黒っぽい彼の服装は、まるで物語の登場人物が飛び出して来たかのような違和感をもたらすが、少年自身には異様に似合っていて、安いコスプレのようなチグハグ感はなかった。

 また、洞窟内の空気も相まって、威圧的な雰囲気を醸し出している。

 清川が怯えて守護者にしがみつき、守護者も少年を睨むと、彼は慌てたように両手の手のひらを二人に向けてブンブンと振った。

「わあっ、そんなに怒らないでよ。急に攫ってしまった事を怒っているのかい? ごめんよ、その方が、インパクトがあって面白いかと思ったんだ。そこまで怖がらせるつもりもなかったんだ。本当だよ」

 少年は叱られた幼児のように俯いて、クルクルと指先に髪を巻き付けている。

 守護者はフーッとため息を吐くと、不機嫌そうに口を開いた。

「何が面白い、ですか、博士。こんなに藍を困らせて、もしも本当に藍だけをさらったのならば、私は二度と、貴方を友人だとは思えなくなるところでしたよ」

 吐き捨てるように言うと、叱られていた少年、博士がパアッと表情を明るくして顔を上げた。

「その言い方をするってことは、僕たちは友人になれるって事かい? 人魚姫」

 ふわりと近寄って守護者の髪を一束分だけ手に取ると、嬉しそうに首を傾げる。

 しかし、守護者は髪を掴む手を軽く弾くと、ムッと表情を歪めた。

「それは、貴方の心がけ次第です、博士。貴方が本当に藍に酷いことをしないのならば、友人になります。けれど、もしも藍の心を残酷に傷つけるのであれば、貴方は私の敵となります」

 自分を睨む守護者に博士はガックリと項垂れ、弾かれた手の甲を撫でた。

「王子さまが人魚姫を認識しているということは、どうにかして君を思い出したということだろう? 本来ならば、この時点で約束を守って、君が僕に会いに来て然るべきだろうに、少々、酷くないかい? 人魚姫、君は僕のことを、忘れてしまっていたの?」

 寂しく笑って再び髪の束を手に取ると、今度はその髪が博士の頬へ伸び、ふんわりと抓った。

「ええ、忘れていましたとも。申し訳ありませんでした。それと、私は守護者、又はおひめさまで、藍は王子さまではなく、清川藍、です」

 本当は博士との約束も覚えていたし、可能なら会いたいとも思っていたのだが、藍を攫って怯えさせた博士を喜ばせるのは癪であったし、行動次第では彼が本当に敵になりうるため、守護者は噓をついた。

 守護者のニコリと微笑む頬には青筋が浮いていて、博士は「酷い……」とあからさまに落ち込んでいる。

 自分を攫った誘拐犯ではあるが、なんだか可哀想に思えて、清川は博士に声を掛けた。

「ねえ、博士さん。貴方は、守護者さんの、知り合いなの? それに、ここはどこ? どうして、私を攫ったの?」

 いくつか疑問を投げかけられた博士が、パッと笑顔を浮かべる。

「わあ、沢山の質問、嬉しいな。いいよ、答えてあげる。此処は幻想世界の浅瀬、一層目だ。幻想世界というのは、君の人魚姫、おっと間違えた、守護者さんだったね。彼らの所属する世界さ。この世界、実は二層構造でね、一層目は明確に幻想世界に属するが、現実世界の影響を受けやすい、少々特殊な場所なのさ」

 早口で捲し立て、彼らマボロシのようにね、と格好良く付け加えるが、清川はあまりマボロシやら幻想世界というものに、詳しくない。

 また、前に幻想世界に行った時には彼女は子どもになって駄々を捏ねていたため、幻想世界に行ったという実感は薄かった。

 これが赤崎だったのならきっと、博士と同じキラキラと輝いた瞳にわざとらしい態度で、どこまでも情報を引き出しなのだろうが。

「ごめんね、博士さん。私、マボロシとか、幻想世界って、ちゃんとは分かっていないの。だから、博士さんが、何を言ったのか、よく、分からなくて」

 首を傾げていた清川が素直にそう謝ると、博士は「なるほど」と頷いて、今度は丁寧にマボロシなどについて説明を始めた。

 きっと彼は何度も同じ説明を繰り返しているのだろうに、語る態度は優しく楽しげで、テーマパークの案内人のようだ。

「幻想世界の二層目には、マボロシたちとはまた違う、カクリツという存在が住んでいるのさ。君たち人間が当然のように現実世界に住むみたいに、彼らカクリツも当然のように幻想世界に住んでいて、マボロシたちとは違うルールの中で生きている。これが、なかなか面白いのさ」

 清川はマンガの解説でも聞いているような気分で、なんとなく現実のことだとは思えないままに話を聞いていた。

「ともかく、そんなわけで此処は、幻想世界の一層目だよ。僕は此処に家を構えて、幻想世界のことを研究しながら、面白おかしく暮らしているのさ」

 ふわりと浮いて両手を広げると、胸元に真っ黒い煙を集める。

 それはゆっくりと形を作り、やがて真っ黒な一冊の本を作り出した。

「これは、僕の研究ノートだよ。驚いただろう? 僕は一応、人間なのだけれど、この場所の特性と生まれ持った力で、この場所を自由に操ることができるのさ。此処も、元々は少し綺麗なだけの洞窟だったからね。リフォームだって思いのままだよ。洞窟の中で起こっていることは、何だって分かるんだ。君たちのお友達が三人で迎えに来てくれていることもね」

 にこりと笑い、研究ノートを指先でクルクルと回す。

 清川たちのお友達とは、金森と赤崎、ブラッドナイトのことだろう。

「皆が来てるの!?」

 驚いて身を乗り出すと、博士がクスクスと笑った。

「そうだよ。ねえ、藍さん。僕が君を此処に連れてきたのは、君と話をするためなんだ。君の守護者さんやマボロシについて、それ意外の他愛のことでも良い。色々な話をしてみたくて、君を呼んだんだよ。彼らが来るまで、少しおしゃべりをしよう。ゲームもいくつか用意してあるんだ。おいで」

 博士は墨汁のように揺らめく黒煙から、黒いテーブルを一つと真っ黒い椅子を三脚、作り出した。

 清川は、心配そうに自分を見つめる守護者を見つめ返す。

「守護者さん、私、少し博士さんと話をしてみたい。だから、行ってくるね」

 ニコッと笑うと、守護者は渋々と頷いて清川に巻き付けていた髪を解いた。

 そして、博士と対面に座る清川の後ろに浮くと、大きな翼でやんわりと彼女を包み込む。

 友人相手にも警戒し、過剰防衛を続ける様子は、いっそ清々しい。

 博士が苦笑いを浮かべた。

「椅子を用意してあげたのに、藍さんの後ろに立つんだね。天使が子を守るようなその姿は美しいけれど、少々、威圧感が……」

 ポリッと頬を掻いてから、ピンと立てた人差し指を右から左に振ると、空いた椅子が音もなく滑って守護者の方へ座面を向ける。

 言外に座ることを促すが、

「ここが私の定位置ですから、お気になさらず」

 と澄まして言うと、守護者はふんわりと翼を広げた。

 ちなみに清川は、テーブルの上に並んだ、トランプや双六などの古典的な玩具を楽しげに見つめた後、ルービックキューブで遊び出した。

 早い子は小学生でスマートフォンを持ち始める現代、電気を使わない玩具に久しぶりに触れ、童心に返っているようだ。

 守られている安心感が故だろうか、清川が傷つけられるかもしれないとピリピリしている守護者に対して、彼女はかなりのんびりと、緊張感に欠けた様子だ。

「守護者さんも、藍さんみたいにさ、ゆっくりリラックスして楽しもうよ。って、無理か。まあ、それなら、いいよ。僕は、藍さんと楽しく遊びながらお話をするから。藍さん、ルービックキューブもいいけれど、せっかくだからトランプで遊ぼう。僕は、あの、同じ数字の奴を見つけてくゲームが得意だな」

「何だっけ? 神経衰弱、だったかな? 分かった。それで、遊ぼう」

 博士がトランプをよくシャッフルして丁寧に並べていく。

 二人が遊び始めるのを、守護者は不安げに見守っていた。

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