楽しい海……ヒトデ!!

 間近で見る海は、遠くから見るよりもずっと透明で、奥になればなるほど段々に色が濃くなっていく。

 透明から濃い藍色になっていくグラデーションは急激で繊細だ。

 おまけに太陽の光を受けて、所々白っぽく輝くからどうにも眩しい。

 砂浜は真っ白で、一見すると揺れる波を穏やかに受け止めているように見えるが、近寄ってみればその勢いは激しく、下手をすれば飲み込まれてしまいそうなほどの荒々しさを内在している。

「わぁっ! 海だ! やっぱり、近くで見た方が綺麗だね。キラキラしてて、音が大きい。髪も、ちょっとベタベタする。熱いけど、凄く海って感じ!」

 真直ぐに海を見る瞳はキラキラと輝いて、清川は楽しそうに笑っている。

「この間、金森さんもおっしゃっていましたが、砂浜は、太陽の光を浴びて熱くなっていますし、ガラスの破片やゴミ、鋭い岩等、何かと危険が多いですから、決してサンダルを脱がないでくださいね。怪我をしてしまいます。それに、あまり遠くに行ってはいけませんよ。海に攫われてしまいます」

 はしゃぐ清川を見て、心配性の守護者が注意を述べた。

 だが、残念ながら守護者の言葉は清川に届かないので、金森が代わりに内容を伝える。

 清川と、ついでに赤崎が素直に頷くのを見て、守護者はペコリと頭を下げた。

「あのね、海を見てると、凄く、ワクワクするの。私、海に入ってみるね!」

 清川はパタパタと駆けて海の浅瀬に入って行き、海水を掬ってはわざと手のひらから零れ落として、その流れていく様子を興味深げに眺めた。

 流れる海水と同じように煌めく瞳は宝石でも眺めているかのようで、見ている人間を自然と笑顔にする無邪気な笑みを浮かべている。

「さて、私も、ちょっと海を感じて来ようかな」

 楽しげな清川を見ていると海に入りたくなって、金森も海に飛び込んだ。

 泳げる程度の深さがある場所まで行くと、そっと力を抜いてみる。

 プカリと浮くと、背中側はやけに冷たいのに腹は太陽に照らされて温かく、なんとも不思議な気分になった。

『これが、母なる海……』

 やけに穏やかな気分になって、金森は更に脱力し、その身を海に預けた。

『とはいえ、ここは海。市民プールと違って潮の流れは強いから、流されないように気を付けないとね』

 完全には油断しないように浮いていると、急に、腹に申し訳程度の海水が掛かった。

「わぁっ!」

 驚いて浮くのをやめると、悪戯っぽく笑う清川が視界に入り込む。

 彼女の両手は重なり合わさって、水を掬える状態になっていた。

「藍ね、水をかけたの。えいっ!」

 金森が軽く水をかけ返すと、

「キャッ!」

 と、はしゃいだ声を上げて清川が飛び上がった。

 はじける笑顔と、空中を舞う水しぶきが眩しい。

 しばし水をかけあって遊んでいると、ほんの少し違和感を覚えた。

 なんとなく物足りない。

 不意に視線を感じて砂浜を見ると、座り込んで砂遊びをしている赤崎と目が合った。

『赤崎、あんなところで、一人で何をやっているの?』

 バケツに汲んだ海水を器用に使って城を作っているようだが、その背中はどことなく寂しげだ。

「どうしたの? 響ちゃん」

 急に動きが止まった金森に、清川が海水を掬ったまま、不思議そうに首を傾げた。

「いや、アレ」

 赤崎を指差すと、向こうからブンブンと大きく手を振ってきた。

 はしゃいでいるが、座ったままで金森たちの所へ来る気配が無い。

「赤崎ー、アンタ、海に入らないのー?」

 大声を出して呼ぶが、おそらく、キチンと言葉が届いていないのだろう。

 赤崎は不思議そうに首を傾げるばかりだ。

「あー、面倒くさいわね。ちょっと行ってくるわ」

「うん。行ってらっしゃい」

 面倒そうに赤崎のもとへ向かう金森に、清川は控えめに手を振ると、何かを見つけたらしく浅瀬の方へ進んで行き、その後ろを守護者がのんびりとついて行った。


 全体的にビショリと濡れた金森は、くすんだ金髪をギュッと絞って水気を取り、ペタペタと赤崎の方へ歩いて行った。

 海で冷えた体が太陽に照らされて温まり、心地良い。

「おお、来たか、金森響。お前も、砂遊びをするのか?」

 正面に来てしゃがむ金森を見ると、赤崎は嬉しそうにバケツを傾けた。

 近くで見る砂の城は意外としっかり作られているようで、城壁まで構えていた。

「いや、そうじゃなくて。赤崎は海に入らないの?」

 そう問いかければ赤崎は、

「あー、俺は、ほら、封印をしているだろう? 濡らすのはあまりよくないだろうな、と思ったのだ」

 と、包帯のしっかりと巻かれた両手を振った。

 指先についた砂がパラパラと落ちるが、包帯そのものには、あまり汚れが付着していないようだ。

 座っている位置も波がよせる場所から離れているようで、足元は濡れていない。

 徹底的に、包帯を濡らすことを忌避しているようだ。

「もしかして、本当に怪我をしてるの?」

 金森の問いに赤崎は一瞬目を丸くした後、ゆるりと首を振った。

「いや、そういうわけではない。何故、そう思ったんだ?」

 明確に分かるわけではないが、赤崎の表情はどこか苦々しく、複雑な雰囲気がある。

「別に。なんとなくそう思っただけ。外せないもんじゃないなら、外したらいいのに」

 金森は中身の減った赤いバケツを拾い上げ、海水を追加しながら呟くように言った。

「外さないぞ。俺は、俺はこうやって、強すぎる己の力を封印しているのだからな! それに、カッコいいだろう! この包帯は特別製だからな! さぞ、俺に似合っているはずだ!」

 赤崎は右手を左目の上に当て、わざとらしくカッコつけた。

 堂々とした言葉に中二っぽい仕草は、いつもの赤崎怜そのものだ。

 それでも、どことなく違和感を覚えた金森は、

「そうだね。包帯がある方が、赤崎らしいかも」

 と、珍しく呆れなどを込めずに、赤崎の言葉を肯定した。

 金森の肯定が嬉しかったのか、彼は満足げに頷いている。

『包帯には、あまり触れないのかもしれない』

 特にそうすべきだと考えた理由があるわけではないが、金森は直感的にそう思った。

 彼女の勘は、よく当たる。

「二人とも、砂遊びすることにしたの?」

 海に満足した清川が、ホクホクと二人の所へやって来た。

 全体的にしっとりと濡れて、頬には砂や髪が貼り付いており、それを守護者が甲斐甲斐しく取り除いて、丁寧に髪型を整えている。

 また、キラキラと笑う手には星型の軟体動物、ヒトデが握られていた。

「うん、そうしようかなって思ってたとこ。ところで、藍、それは?」

 金森が震える指でその手元を差す。

「ああ、コレ? 可愛いでしょ。ヒトデだよ。お土産」

 どうやら、先程、清川が見つけたのはヒトデだったらしい。

 無邪気な笑みを浮かべ、ウネウネと蠢くヒトデを金森に渡そうと手を伸ばす。

 しかし金森は、

「ヒェア!」

 と、言語化しきれない悲鳴を上げて、座ったまま飛び退いた。

 ベスッと砂に落下したヒトデを、恐ろしげな表情で見つめている。

「あれ? 響ちゃん、ヒトデ苦手?」

 清川は砂まみれになったヒトデを拾うと、軽く砂を払った。

「そりゃそうだよ! 気持ち悪いじゃん。うう、よっく見るとモニモニ動いてる……止めて、止めて! 裏返さないで、気持ち悪い」

 ゾワゾワと鳥肌の立つ二の腕を押さえ、清川から距離を取る。

 嫌いなら見なければいいという言葉はもっともなのだが、何故か、嫌いなものほど目につきやすい。

 必要以上に引き寄せられ、観察してしまい、恐怖と嫌悪を身に溜める。

 現に、金森も嫌いだと言いつつ、ヒトデのムニュムニュと動くのをガン見して、震えていた。

 そんな金森を清川は不思議そうに見つめて、ヒトデを掴んだままでにじり寄った。

「どうしたの? 大丈夫。ヒトデは、響ちゃんを、攻撃しないよ」

 清川が掴んでいるのは、毒性の無い、水族館のふれあいコーナーなどで展示されているタイプの安全なヒトデだ。

 それでも、守護者は清川の両手に髪を巻き、念のためにと彼女を保護しているが。

「そう言う事じゃない! そう言う事じゃない! そう言う事じゃないんだってばぁ!」

 涙目になった金森が尻もちをついてブンブンと首を振ると、清川は残念そうに手元のヒトデを覗き込んでから赤崎の方を振り返った。

「ええ? 可愛いと思うけれど。響ちゃんには、ダメかあ。怜君は?」

 問われた赤崎も顎に手を当て、眉間に皺を寄せている。

「うーむ。俺は、ヒトデは駄目ではないし、多少興味はあるが、可愛い、は分からんな」

「そっかあ。私は、可愛いと思うんだけれど。でも、響ちゃんが怖いなら、海に帰すね。バイバイ」

 あっさりヒトデを海へ返すと、そちらの方へチャカチャカと手を振った。

 その場にヒトデがいなくなったことを確認すると、まだ少し顔色が悪い金森がソロソロと帰って来た。

「しかし、金森響にも弱点はあるのだな。ヒトデが怖いのか?」

 いつも強気な金森にも、逃げ出すほどの恐怖を感じるものがある。

 そのことに驚いた赤崎が、顎に手を当てたまま首を傾げた。

 それに対し、金森はムッと口を尖らせたが、すぐに疲れたように肩を落とした。

「私にも、苦手なものくらいはあるわよ。ヒトデも苦手だけど、なんというか、海洋の生き物全般が苦手なのよね。得体が知れなくて、気味が悪くて駄目だわ。海そのものは好きなんだけれどね」

 写真で見るのは平気だが、直接は見られない。

 動画や画像でも、映画館のスクリーンに映し出されれば、ホラー映画のような反応になってしまう。

 B級サメ映画など、御法度である。

 ただし、魚や貝を食べるのは大好きだ。

 金森のそれは、なかなかに複雑な恐怖だった。

 金森は溜息を吐いてから、赤崎の隣に座り込んで砂をかき集め、山を作り始めた。

 山を作るというのは一見単純そうに感じるが、綺麗につくるにはそれなりのテクニックが必要となる。

 金森は雑に水を掛けながら、適当に砂を盛っているので、歪な山が出来上がっていた。

 ちなみにこの山、天辺に木の棒を刺し、側面に「響」と書くと完成する。

「そうなの? 私は、海の生き物は、大体好きだな。魚も、貝も、ウミウシも」

 ウミウシがいれば、ヒトデと一緒に嬉々として持ってきたことだろう。

 毒を保有しているなど、触って問題が生じるのでなければ、清川は生き物に触れるのに躊躇しない。

 ふれあい可の動物コーナーで、首に大蛇を巻くタイプの人間だ。

「おお、私はその辺も苦手だわ。ペンギン、アザラシ、トド辺りの哺乳類はまだましなんだけれど。ああ、でも、同じ哺乳類でもイルカやクジラ、シャチは苦手だわ。アイツら、泳ぎは得意で、どこ見てるのかわかんなくて、ヌルヌルしてそうで……うう、なんか嫌なのよ」

 頭を抱えて呻くと、清川が、

「意外な、弱点だね。でも、それなら、響ちゃんのところに来る、ヒトデとかは、追い払ってあげるね!」

 と、両手をギュッと握ってこぶしを作り、元気づけた。

「あはは、そもそも近寄ってほしくないけど。でも、ありがと」

 得意げに笑う清川に、金森は乾いた笑いを浮かべつつも礼を言う。

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