バス移動と藍の由来
二人掛けの席に金森と清川が並んで座り、守護者は金森の隣の通路に立っている。
窓側の席を譲ってもらった清川は、キラキラと好奇心に輝く瞳で窓の外を眺めた。
もう何度も見たはずの町並みを楽しそうに眺める姿は、初めて遊園地に行く子供のようだ。
「こんなに遠足を喜ぶ藍は、もしかしたら初めてかもしれません」
ゆるりと輪郭を揺らして七色に輝く守護者は、ポツリと呟いた。
その声は清川の変化を喜んでいるようだったが、同時に過去の彼女を思ってしんみりしているようでもあった。
『私には遠足を楽しまない藍なんて、想像ができないけれど。ああ、でも、そうか』
金森が思い出すのは、友人になる以前の清川の姿だ。
独りきりで高校生活を送っていた清川は、今よりもずっと大人びていた代わりに高嶺の花のような扱いで、赤崎以外にまともな知り合いもいないようだった。
加えて金森は、幻想世界で幼い清川と同化した時のことを思い出した。
『あの頃の藍は、ずっと寂しさに満ちていて、冷たい暴風に晒されているみたいだった。寒かった。あの寂しさを抱えていたから、藍は、人を寄せ付けなかったのかな』
少々しんみりすると、ピンと守護者の触角を引っ張った。
「まあ、いいんじゃない? 今は楽しんでるんだから。私は、少し前の藍よりも、今の子供っぽい藍が好きだな」
金森がニッと明るく笑うと、守護者もコックリと頷く。
「そうですね。すぐに以前の藍を思い出して、しんみりしてしまうのは、私の悪い癖かもしれません」
守護者は人目に付く場所ではメモを書けない。
清川が、不思議そうに金森の顔を覗き込んだ。
「ああ、ちょっと、おしゃべりをしてたの。藍はかわいくなったねって。あ、そうだ。藍、お菓子食べない?」
遠足といえば、三百円以内のおやつだろう。
食べることが好きな金森は、カラフルなグミが入った、チャック付きのプラスチック製の袋を取り出した。
チャックを開けて袋を軽く振ると、清川が、
「ありがとう! いただきます」
と、笑んでグミに手を伸ばす。
緑色の星形のグミを口に放り込んで、美味しいと笑っている。
「守護者も食べる?」
金森が四角い桃色のグミを噛みながら言った。
バスの通路のど真ん中で、突如、ハート型の白いグミが消える。
とんだ怪奇現象があったものだ。
「私が食べたら、周囲をざわつかせてしまいますよ」
「一瞬で、パクってやったら大丈夫なんじゃない?」
「いえ。万が一、皆さんを驚かせてしまったら申し訳ありませんから」
雑な金森の提案を丁寧に断ると、守護者は触角でこっそりとティッシュを一枚取り出し、清川の口元を拭った。
すぐに守護者のしたことだと気が付いた清川が、
「ありがとう」
と、小さく礼を言ってティッシュを受け取り、あたかも自分で口元を拭ったかのように装う。
『手慣れてる!』
日常的に世話を焼かれているからだろうか。
非常に連携の取れた行動に、金森は目を丸くした。
「わあ、響ちゃん。海が見えてきたよ」
再び外を眺めていた清川が、一層はしゃいだ声をあげて身を乗り出した。
「ん、どれどれ? おお、相変わらず綺麗ね」
窓越しで視界に飛び込む海は黒に近い青色で、それがゆらゆらと白い輝きを放ちながら揺れている。
ただの水の塊というには、あまりにも力強く、美しい。
一つの生き物のようにすら見えるソレは化け物じみていて、呑み込まれてしまうのではないかという淡い恐怖を抱かせるが、その恐怖すらも感動へと昇華させる不思議な魅力があった。
全ての生命の始まりが海であるというのにも、妙に納得してしまう。
鉱物市内の小、中、高校は、どこでも一度は海へと出かける授業がある。
もう幾度となく見た海だが、それでも見飽きるということはなく、何度でも興奮を与えてくれる。
特に清川は、海を見ることができて楽しくて仕方がない、という様子だ。
海と同じ、キラキラと揺れる瞳を嬉しそうに細めている。
「ね! 本当に綺麗! 私、海が好きなの。あのね、私の名前とおんなじ色なんだよ。いいでしょ!」
バスの窓枠に手をかけて、清川はニコニコと笑った。
「そうですね。藍や瑠璃さんにぴったりの、美しい海です。知っていますか、藍。藍の名前の由来は、海なのですよ。あの美しい海のように、穏やかで優しい子に育ってほしい。眠る貴方に、瑠璃さんはそう語って微笑んでいたのです」
今は筆談できないのだから、清川には伝わらないだろうに、守護者は熱心に語った。
もしかしたら、守護者はこれまでもこうやって、伝わらない言葉を一方的に投げかけてきたのかもしれない。
「藍、守護者が言うにはね、藍の名前は海から来ているんだって。海みたいに穏やかで優しい子になってほしいって、藍のお母さんが言っていたのを、聞いたんだってさ」
守護者の言葉を代弁して伝えると、清川は嬉しそうに瞳を輝かせた。
「本当? 嬉しいな」
キラキラとした笑顔を浮かべる清川を、守護者は穏やかに見つめて微笑んでいる。
『なんだか、海みたいな二人だな』
なんとなく、そう思った。
バスは徐行を始め、金森たちが利用する施設の駐車場へ入って行く。
佐藤の呼びかけに従って、皆、徐々に降りる準備を始めた。
ゆっくりとバスが停車して、順番に生徒たちが降車していく。
金森たちもバスから降りると、グッと伸びをして体のコリを解した。
太陽はギラギラと照りつけて、流れる風はほんの少し生臭く肌に張り付いてくる。
本来なら不快に感じるだろうそれらも、バスの閉鎖的な空間や匂いから解放された喜びと、ここが海である、というシチュエーションが尊いものへと変化させている。
現に、金森を含めた多くの生徒が、思い切り海の匂いを嗅いで笑っていた。
「ちょっとベタベタして、磯の匂いがする。面白いね。海、早く行きたいな」
清川も太陽の光を眩しそうに浴びて、少し遠くに見える海を眺めた。
「そうだね。まずは調理実習があるけれど、食後には海に行けるから、その時が楽しみね」
金森がヒョイとリュックを背負い直すと、清川も歪なリュックサックを揺らして微笑み返した。
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