暗い洞窟で交わした約束

 暗い洞窟の中、闇に同化してしまいそうなほどに真っ黒な髪の先をユラユラとたなびかせて、少年が泳ぐように空中を漂っている。

 少年は、上の方が真っ黒で下の方へ行くほど白っぽい灰色となっていく、グラデーション掛かった白衣を着ていた。

 白衣は腰のところでキュッと絞られていて、裾がドレスのようにふんわりと広がって揺れている。

 水を掻き分けるように、ゆらりと手を振った。

 すると、その動きに応じるように、ゴゴゴ……と鈍い音を立てながら洞窟のゴツゴツとした岩壁だった部分が開いて、地下へと続く階段を露出させた。

 少し寂しそうに、守護者に話しかける。

「ねえ、此処にいれば、君は消滅しないんだよ? それでも、本当に行くのかい?」

 その声は確かに少年らしく高いが、同時に深い知性を感じられ、やたらと大人びた響きを持っている。

「ええ、藍が待っていますから」

 キッパリと答える守護者に、少年は苦笑いを浮かべた。

「待っている、か。でも、君のことは覚えていないし、見えてもいないのだろう? それを、待っているとするのは、誤りではないかな?」

 その口からコポコポと漏れる泡は、ふわふわと浮かんでは消えていく。

 少年は軽く空中を掻いて、守護者の周りをグルリと泳いでから静かに停止した。

 自分を見つめる心配そうな眼差しに、守護者は優しい笑みを返した。

「それでも、藍には私が必要ですから。藍のために生まれた私は、藍のために命をつかわなければならないのです。それに私自身、藍を守っている時が、一番幸せを感じられるのです」

 穏やかに紡がれる言葉には幸福が満ちていて、嘘偽りがない。

 それを、少年は不機嫌に眺めた。

「そう、つくられたからね。その感情だって偽りかもしれないのに、どうして君たちは……」

 少年の声には嘲りと悲嘆が混じっていて、その横顔は酷く寂し気だ。

「大丈夫ですよ、博士。私は、もうずっと前から藍に忘れられているのです。それなのに、ずっと存在し続けられているのですから」

「そうかい。確かに君のその状況は、酷く例外的だ。通常じゃ、まずありえない。叶うなら王子さまも此処に連れてきてもらって、二人を研究してみたいよ。でも、きっと君はもう、此処には来られないさ」

 励ますように笑った守護者の言葉を否定して、博士は呆れたように両手を広げた。

 体の動きに合わせて、白衣の裾がふわりと広がる。

「まるで、君たちは人魚姫だ。無茶をして、無理やり現実世界に舞い降り、恩知らずの王子との守らなくてもいい約束を一方的に守り続ける。解決策はきちんとあって、それも王子を殺すなんていう残酷なものではないのに、君たちは決してそれを選ばない。そうして、尊い命を散らす」

 博士は守護者の周囲をフラフラと泳ぎ回る。

「愚かな人魚姫。万が一、君が王子に触れることができて、もしも君の将来が約束されたなら、再び僕に会いにおいでよ。そうしたら僕たち、友達になろう。約束だよ」

 博士が怪しく笑み、守護者に向かって小指を立てた。

「……分かりました。いいですよ、約束します」

 守護者はガラスの髪の束をシュルリと動かすと、博士の真っ白い小指に絡ませて軽く振った。

 それを、博士は満足げに見つめる。

「はは、それが君の指ってわけか。見る角度によって色を変えるその髪は、美しいね」

 そう言ってニコリと笑うと、そっと手のひらを振って指に絡んだ髪を解いた。

 自分が出現させた階段から現実世界へと帰って行く守護者を見つめて、博士は呟く。

「きっと君は、友人にも研究対象にも、なってはくれないのだろうね。バイバイ、人魚姫」

 小さく手を振る博士の横顔は、少年らしい寂しさと幼さに満ちていた。

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