お礼は情報で
試験までの地獄は、過ぎてしまえば短くあっという間だ。
遠足を賭けた試験には緊張の面持ちで臨んだが、赤崎の教えの甲斐があってか、想像以上に簡単に問題を解くことができてしまい、かえって困惑した。
結果、金森は見事に平均点以上の点数を取ることができた。
試験が終わって答案用紙が返される頃には、だいぶ夏休みに近づいていて、本日は夏休みが始まる一週間前だ。
眩しい太陽の下、校門前では水晶高校名物の「服装及び頭髪検査」が行われていた。
普段の水晶高校は県立高校のわりに、かなり校則が緩く、髪を茶色く染めたり化粧をしたり、スカートを短くする程度では教師も何も言わない。
金森が制服のボタンを二個も開けてスカートを短くし、薄く化粧をしても注意を受けず、赤崎が特殊な格好をしていても怒られないのは、そのためだ。
しかし、そんな水晶高校でも学期始めと終わりの一週間には、「服装及び頭髪検査」が行われる。
登校してくる生徒を校門の前で担当教師が検査していくのだが、これが普段の水晶高校と比べるとかなり厳しく、事情を知らない一年生が検査に引っかかり叱られ、反省文まで書かされていた。
金森は事前に、検査について先輩から知らされていたのだが、仲のいい先輩どころかまともな友人知人すらいない赤崎は、当然、この検査を知らないだろう。
そのため、金森はいつもより随分と早い時間に登校し、検査をする教師とは距離を取りつつ、校門付近で赤崎がやって来るのを待っていた。
ちなみに、金森は検査に備えて制服のボタンをきっちり閉め、スカートの丈もわざとらしく下げ、膝よりも下にあることが明確に分かるようにしている。
オレンジのネクタイも普段とは違ってキッチリと閉め、ポニーテールをまとめる髪ゴムも、黒いモノを使用していた。
化粧もしていないが、金森は元々ぱっちりとした目の美人であるし、普段も薄化粧なので、顔についてはあまり変化が無かった。
ちなみに、金髪については地毛なので問題が無い。
水晶高校は黒以外の髪ではなく、髪を染めることそのものを禁止している。
そのため、金森は普段から、髪は校則に引っ掛かっていなかった。
炎天下で汗を流しながらじっと道路を眺めていると、自転車に乗った学ランを羽織る生徒が校門に近づいてくるのが見えた。
『ん? アレは、考えるまでもなく赤崎か。アイツ、凄く見つけやすいわね。今日だけは、ちょっと良かったかもしれないわ』
校門の近くまで来ると赤崎は律儀に自転車を押して歩道を歩いていたが、金森を見つけると表情を明るくして大股で早歩きになった。
「おはよう、金森響! お前がこんなに早くにいるとは、珍しいな。盟友でも待っているのか?」
朝から堂々とした大声で話しかけてくるので、校門の周りにいる生徒や教師の視線を集めてしまう。
好奇の視線に、金森は嫌そうに顔をしかめた。
「盟友って、友達のこと? 違うよ。私が待っていたのは、赤崎だからね」
暑さも加わって、イライラとしながら睨みつける。
すると、たった今まで自転車を漕いでいて疲れているはずの赤崎は、
「おお、そうか。ならば確かに盟友は誤りだな。俺と金森響は相棒だ」
と、元気に笑って自転車を停めた。
そして大袈裟に額の汗を拭い、ドヤッと腕を組む。
前々から金森を相棒扱いしていた赤崎だが、ここ最近は、特にそれが顕著になっていた。
「違うわ! 精々、知り合いでしょ。いいから、その学ランを脱ぎなさい」
意気揚々とした赤崎に軽く吠えると、金森は雑に、肩に乗っかった学ランを剥ぎとった。
突然の奇行に赤崎はギョッと目を丸くすると、慌てて衣服を取り返そうと手を伸ばすが、学ランはヒラリと大きな手を逃げ、金森に抱え込まれてしまう。
二人は頭一個分近くの身長差があるため、金森が腕を可能な限り伸ばして学ランを遠ざけたとしても、赤崎の方に分がある。
だが、腹の辺りに抱え込まれると、どう取り返せばよいのか分からない。
赤崎は困って金森を睨んだ。
「おい、それはナイトの正装だぞ! 返せ、金森響!」
「駄目。ちゃんと説明してあげるから、落ち着きなさい」
いきなり人の服を奪うという奇行で他者を驚かせた金森が言うべき言葉ではなかろう。
だが、実にふてぶてしい態度で言い放つ金森の言葉を、赤崎は渋々と待った。
そして、簡単に検査の説明をすると、赤崎は妙に納得した表情になった。
「なるほど、道理で入学したての一週間は注意されたわけだ。それ以後、一切注意をされなくなったから、てっきり俺が闇に選ばれしナイトとして、学校に承認されたものとばかり思っていたのだが」
「そんなわけないでしょ。アンタ、そんなんで一週間も叱られて、反省文書いてたわけ?」
呆れて問うと、赤崎は神妙に頷いた。
「全く、アホね。厳しいのは校門での検査だけで、中に入っちゃえばいつも通りなんだから、今だけはまともな格好をしなさい」
リュックサックに学ランを詰め込み、代わりに靴の入った袋を取り出して渡した。
「あ、おい。皺になるだろ。ちゃんと畳んでから入れろ! これは何だ?」
碌に畳みもせず雑に丸めて仕舞うのを見て、赤崎は抗議したが、金森は無視してリュックサックを背負い直した。
手渡された袋からは黒いローファーが出て来て、赤崎はそれを不思議そうに見ている。
「お父さんの靴よ。ほとんど履かないまま置いていって、埃被っていたのを、私が綺麗にしたの。そのロングブーツじゃ校則に引っかかるでしょ? 後は、ちょっと長い髪が心配かな。赤崎、アンタ、この間のヘアピン持ってる?」
靴を履き替えていると、金森が左手を伸ばしてきた。
「持っているが、おい! 止めろよ! 俺のポッケに触るな。静まれ! 静まれ!」
金森を警戒して、靴を履き変える姿勢のままに威嚇している。
人嫌いの野良猫のような態度に、苦笑いを浮かべた。
「別に、触らないって。持ってないなら、私のヘアピンを貸してやろうと思っただけ。ほら、あるなら出しなさい。つけてあげるから」
金森がヘアピンを乗せろと手を差し出すが、赤崎は首を横に振って拒否した。
「いや、自分でつけるから構わない」
慣れた手つきで、パチンパチンと髪を固定していく。
学ランを脱ぎ、靴を変え、黒いヘアピンで髪を固定した赤崎を、金森は上から下までよく眺めまわした後、クルリとその場で一回転させ、満足げに頷いた。
「よし、これなら大丈夫ね」
顎に手を当てて満足げに頷く金森に、赤崎は不安の浮かぶ視線を向けた。
「どうしたの?」
「いや、これは、とらなくても大丈夫なんだろうか」
包帯に覆われ、指先しか出ていない両手を軽く振った。
「ん? 包帯? まあ、大丈夫でしょ。アンタのソレは十中八九お洒落アイテムだろうけど、万が一、怪我をしてる可能性を考慮すれば、先生だってうるさくは言えないだろうし。というか、怪我してなくても、怪我したって言っときゃ良いのよ。大丈夫。私もフォローしてあげるから」
実は落ち込みやすく、出会った当初はよく涙目になっていた赤崎だが、今回はいつにも増して不安そうに見え、金森は珍しく励ましの言葉をかけた。
すると、赤崎はニッと弾けるように笑い、ガンッと自転車の留め具を蹴っ飛ばして検査に向かった。
「ああ! そうだな。流石、我が相棒だ! 行くぞ!!」
「復活はやっ。相棒じゃないし」
回復の早さに少し呆れつつ、赤崎の隣を歩いて校門へ向かう。
検査の結果、二人とも校則には引っかからず、無事に校舎へ入ることができた。
校舎内では、次々に生徒たちが制服を着崩している。
金森も早速ネクタイを緩めて、ブラウスのボタンを外した。
「ふー、やっぱこれが落ち着くわ」
キッチリとした格好はどうにも落ち着かない。
安堵のため息を漏らして、顔を綻ばせた。
金森を含めた生徒たちの変わり身の早さに、赤崎はドン引きしている。
「あれ? 赤崎、髪のソレとか取らないの?」
「いや、それはもちろん、取るが……皆の変わり身の早さに驚いていたのだ」
そう言われ、金森も辺りを見回した。
ほとんど全員が一様に制服を着崩していく光景は、確かに異様ではある。
「まあ、一年はまだしも、先輩方は慣れているからね。あの人なんか、廊下で堂々と化粧しているくらいだもの。私も化粧したいし、スカートの丈も直したいからトイレに行きたいんだけど、絶対に混んでいるでしょうね」
そう半笑いする金森の顔を、赤崎がじっと見つめた。
「何?」
探るような視線に、頬に食べこぼしでも付いていたかな、と問いかけると、赤崎は首を横に振った。
「いや、化粧などしていたのか、と思っただけだ。金森響の顔が、普段と全く変わらないように見えたからな。化粧とは、人間の顔を根本から変えるものだと思っていた」
「褒められているのかいないのか、微妙なところね。一つ言えるのは、あんまり女の子にそういうことを言わない方がいいってことかな」
悪気のない赤崎の言葉にポリポリと頬を掻くと、苦笑いを浮かべた。
その様子を見て、赤崎は不思議そうにしている。
「あー、まあ、女の子は一応、可愛くなろうとして化粧してんのよ。でも、化粧した顔を褒められすぎると、そんなに私の地顔は悪いんか!? みたいな感じでキレたりもするのよ。かといって化粧した顔を褒められないと、頑張ったのに! と文句を言い出す。そんなことが多いっぽいのよ」
ソースは彼氏持ちの友人、友子や友美を始めとした女性の友人達だ。
人の美的感覚は様々で、どんな言葉を、どのような言われ方で伝えられれば喜ぶのかは、人によって異なる。
あまり迂闊な事を言うと、こちらも傷を負ってしまうことになるのだ。
話を聞いた赤崎は苦笑いを返した。
「それはめんど……大変だな」
滑らせかけた本音を、そっとオブラートに包む。
赤崎の気持ちも分かる金森は頷いた。
「まあ、面倒くさい、でいいんじゃない? 将来彼女ができたら、その人には言わない方がいいと思うけど。倍、面倒になるから」
ソースはやはり、友子や友美を合わせた多くの彼氏持ちの友人達である。
金森は彼氏がいたこともないのに、よく女子たちから恋人の愚痴を聞かされてきたのだ。
その度に、
『私が男性だったら、相手の女性から袋叩きにあっていたかも』
と思って、訳もなく冷や汗をかいていた。
「まあ、女の子の扱いはさておいて、これは返すよ」
手渡された学ランをフワッとはためかせて羽織ると、ズレやすいそれを押さえるように、半透明の猫が肩の上に飛び乗った。
しかし、猫が見えたのはほんの一瞬で、瞬きを一つする間に消えてしまった。
「やはり、普段と同じ格好が一番だな。ん、どうした? 金森響。俺の肩に何か乗って……予想通り皺になっているではないか、この愚か者!」
返って来た学ランは全体的によれて皺ができており、怒った赤崎が文句を垂れた。
しかし、金森は赤崎の怒りよりも、現れては消える猫の方が気になって、
「赤崎、アンタ最近、肩が重い、とかない?」
と、神妙に聞いた。
しかし、赤崎は首を傾げるばかりだ。
「いや、俺はいたって健康だが? 何かが憑いているとか、そういう話か? だが、金森響が気付いて、この俺が気付かないはずもないだろう」
金森も赤崎も、お化けとも何ともつかない不思議な存在「マボロシ」を見たり、それらに攻撃したりすることができる力を持っているが、その力は赤崎の方がずっと強い。
「確かに。私に見えて赤崎に見えない、なんてわけないか。なら、気のせいね。じゃ、私も教室に行くから。その靴は、しばらく貸しておいてあげる」
「ああ。色々とすまない。助かった」
素直に礼を言うと、金森はニッと笑った。
「いいよ、この間勉強教えてくれたお返しってことで。私も、まあ、何だかんだ、助かったわ。平均点以上どころか、過去最高点を取れたし。他のも教えてくれたから赤点なかったし。だから、その、ありがとね」
あまり素直ではない言い方で、ほんのりと照れながら金森も礼を言った。
数学の成績が悪すぎる金森は、平均点を取れただけで過去最高点なのだが、それにしても今回の数学の成績が良いことは間違いが無かった。
加えて他の教科の勉強も手伝ってもらったので、今回の成績は金森史上、最高だったのだ。
テスト結果を見せたら、母親がお赤飯を焚いたほどだ。
「おお、それは良かったが、結果が出たのって、もしかして、もう少し前じゃないか?」
喜びつつも、赤崎の目つきが少し鋭くなって金森を睨む。
「三日前だと思う」
あっけらかんと返すと、赤崎がガックリと項垂れた。
「お前な、俺は金森響の試練の結果を、ずっと気にしていたのだぞ。平均点以下を取られたら、一緒に遊べないからな」
ため息交じりに頭を振る赤崎に、金森は不思議そうな表情を浮かべた。
「そうなの? 聞いてくれればよかったのに」
「遠慮して聞けなかったのだ、全く! 全然言ってこないから、駄目だったのかとハラハラしたぞ」
実は金森よりも、彼女のテスト結果が気になって、清川に数学のテストはいつ返ってくるのか、コソコソと聞き、金森に会うたびに、結果を聞くか聞くまいかで迷い、ずっとソワソワしていた赤崎だ。
かなり適当な金森の様子に少し怒りつつも、ホッと胸に手を当てた。
「それは悪かったわよ。でもまあ、私もちゃんと遠足に行って遊べるから、当日は、まあ、一応、よろしく」
「ああ、よろしくな。じゃ、また後で」
何だかんだと笑い合って、二人はそのまま廊下で別れ、それぞれの教室へ向かった。
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