彼女を覚えてる?


「僕の彼女を当てて欲しいんですけど……」


 はい? なんだいそれ。どういう冗談?


「いやいや、冗談なんかじゃないですよ! そのまんまの意味です!」


 ある冬の朝。朝のホームルームが始まるよりも先に、ある男子生徒がそういった相談を持ちかけてきた。

 聞いた瞬間の印象をいうと、また厄介そうな話だな、というのが正直なところだ。

 こういうタイプの相談は、決まってロクなものではない。解明は簡単かもれないが、事態の起こるまでの経緯が、どうもくだらなく重苦しいものが多い。

 そんなふうに考えていることを察したのかどうかわからないが、相談に来た彼が、付け加えるように言ってきた。


「僕、最近記憶を無くしたんですよ」


 へぇ……をねぇ……。それが何か大変なことなの?


「! 大変でしょ! 全部忘れちゃったんですよ?!」


 まぁそりゃそうだろうね。本来忘れても大丈夫なようにつけるものだからさ。で、それがどうやって彼女当てに繋がるんだい?


「……? 僕が無くしたのは記憶ですよ?」


 は? 記憶? 記憶喪失ってこと?


「だからそう言ってるじゃないですか! 全部忘れちゃったんですよ!」


 記憶喪失……そういう症状、というか、そういう状態に人が、時たまなることは知っていた。知ってはいたが、しかし、まぁ……信じてはいなかったわけで。てっきりフィクションにしかないものだと思っていたのだけれど。本当に記憶喪失に陥る人間がいるとは思っていなかった……。


 それにしても、なんだか随分軽妙洒脱に語るね。どうも深刻さを感じないのだけれど。


「そりゃあまぁ、心の整理はついてますからね。記憶を全部無くしたのも、数ヶ月前の話ですから」


 ふむ。記憶を全部、ねぇ……。だけど、言葉はかなり流暢に喋っているし、体も動かせているみたいだ。君が自分で記憶喪失だって言わなければ、誰もそうとは思わないだろうね。


「でも、人間関係とか、自分の名前とかも含めて、そういう類の記憶は、全部忘れました」


 へぇ……三角形の面積の求め方は?


「え……なんですか急に……なんでしたっけ」


 鎌倉幕府ができたのはいつ?


「……僕で遊ぶな! 真面目に取り合ってくださいよ!」


 ……真面目に取り合ってるつもりなんだけどね。で、いつか知ってる? 鎌倉幕府。


「…………っ! 覚えてるわけないでしょ……記憶喪失なんだから」


 どうやらわからないらしい。三角形の面積の求め方も、鎌倉幕府は知らないと。ただ単純に勉強不足なのかとも思ったが、記憶喪失を言い訳に使っている以上、それはなさそうだ。


 うん、ごめんね。わかった、話を聞こう。で、さっぱりわからないんだけど、彼女を当てるって何? 悪趣味なことじゃないよね?


「…………違いますよ。僕が記憶喪失になった日から、三日間、一人づつお見舞いに来た女子がいたんです」


 なんとも幸せな話だな、と僕は思った。恋愛相談と銘打っていても、ただの惚気話にくるやつは、多かれ少なかれいる。この男子生徒も、そのうちの一人なのではないか?


「そして、その女子生徒に自分が何も覚えていないことを一人づつ伝えると、彼女たちは僕にこう言ったんです。自分はあなたの彼女だ、って」


 言葉とはいえない相槌を返し、僕は考える。おおかた話は見えてきた。


「だから、その三人のうちの誰が、僕の本当の彼女なのかを当てて欲しいんです」

 なるほど、それで最初の発言に戻ってくるわけだ。


「当てられますか?」


 さて、どうだろうか。なんとも曖昧で、奇妙な相談だけれども、解決してあげたい気持ちはある。記憶喪失、つまりは、それにかこつけて自分が彼女であると嘘をつき、恋仲になろうという企みなのだろう…………とは思うのだが。


 いかんせん、彼にそこまでの魅力は感じない。いや、少ししか会話をしていない上に、顔すら見ていないので、そこで決めつけるのは時期尚早なのだろうが……。

 本当にモテる人間の、資質がない、とでも言うのか。


 もちろん、全くもって魅力のない、枯れている人間だと言うわけではない。彼女の一人や二人、その気なれば、真剣にさえなれば、作ることは容易いのだろうけれど、しかし数人の女子生徒がこぞって狙ってくる……となると違和感を覚えざるを得ない。


 ふむ。だとすると、そこが解決の糸口なのかもしれない。なぁ、君。一つ聞きたいんだけれど。


「またですか? ……なんでしょう」


 君は誠実かい?


 後日談ですよ。ちょっと聞いてくれませんか? 


「なんですか……見て分かりませんか? 超忙しいんですが」


 超忙しいとか使うんですね、唯崎先生。


 相談を受けてから三日後、僕は職員室にいる唯崎先生へ今回の件を報告しようとしていた。


 あぁ、先に言っておくけれど、何も真の依頼人が唯崎先生だったというオチではない。ただ、今回の件をそのまま彼に報告するのが、僕の良心によって憚られて、その最終判断を唯崎先生に任せようと言うわけなのだ。


「そんな体よく面倒を丸投げしないでください。それじゃ、私保健室にいかなければならないので」


 ちょっと待ってくださいよ。すぐ終わりますんで! 可愛い相談なので! 純情すぎて僕にはちょっとむず痒い話なんですよ!


「良心に憚れる話のどこが純情なんですか? ……まぁいいですよ。小休憩程度に聞いてあげます。長くなったらダメですよ」


 はい。善処します。そもそもの相談内容ですが――――――――


「…………はぁ、なんですかそれ。ライトノベルみたいな話ですね。都合が良すぎる感じが」


 ですよね。……ライトノベルとか読むんですか?


 意外と、イメージ通りの人間ではないのか。唯崎先生は。


 で、どう言う真相だと思います? まぁ、相談内容通りに聞くなら、誰が彼のパートナーなのか、ですけれども。


「…………はぁ、そんなに彼女たちのことを詳しく調べていないことから考えると、パートナーは誰なのか、と言うのは関係がないってことですかね…………全員違う、とかですか?」


 惜しいですね。ニアピンです。ヒントは、この話は不純だということでしょう。


「嘘つき村の住人ですかあなたは。さっき純情とかいってたくせに……えーじゃあなんですか。つまり、その三人全てが、彼の彼女だった、と。つまりはそう言う話なんですか?」


 ご名答。彼の元に現れた三人の彼女は、つまり全員が全員、彼のパートナーだった。というわけです。


「……はぁ、くだらない。最低ですね。三人も彼女を作るなんて、不誠実にもほどがあるでしょう」


 ええ、誠実さも、正直さもないですね。ま、三人も彼女を作ってしまうんですから、外面だけはちゃんとしているのかもしれませんが。

 それに、彼は運も結構いいんだと思いますよ。三日連続でお見舞いに来たといっていましたが、もしそれが他の女の子と被りでもしたら、そりゃ大変な修羅場になっていたことでしょうし。


「修羅場になった方が、その彼のためなのでは? 失敗をするというのも、反省のタイミングを得るというのも、運が良くなくては得られない経験ですし」


 失敗することを運がいいなんて表現するのは唯崎先生だけですよ。あぁでも、これでキッパリ、不純な人間から真っ当な関係を築く事ができるようになった、と考えれば、彼が記憶喪失になった不運も、帳消しになりますかね。


「ならないでしょう。絶対。損の方が何倍も多いでしょ」


 で、唯崎先生。このこと、伝えるべきだと思いますか?


「…………私には関係ない事なんですがね。介添先生は、どう思ってるんですか?」


 僕は、まぁ、伝えるべきだとは思いますよ。そして、反省してもらって、おおいに猛省してもらって、複数交際なんてことしないように注意しようかなと。


「あら、珍しく教師らしい」


 …………唯崎先生は、どう思うんです? 結局。


「そうですね。なら、こう言ってください」


 最低。そう簡単に記憶喪失になれない彼女たちを憂なさい。って。

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