愛が売ってた。

 愛が、売っていた。百六十一円で、コンビニに。


 東頭高校オリジナルブランドのコンビニ、『トーズマート』。そのお菓子コーナーの一角、そこにそれはあった。


 愛が、売っていた。百六十一円で。


 ……なんだこれは。愛? 愛ってあれか? 喜怒愛楽の愛か?


 あぁ、喜怒哀楽か。愛は入っていないんだっけか。


 その愛、と書かれている商品掲示のプレートには、値段と商品名以外しか情報が記されておらず、その正体がまったくつかめない。


 ならば、商品そのものを見て確かめればいい。そう思うのが順当なところだろう。しかしその愛は、陳列棚には並んでおらず、他の商品がそれなりな数残っている中、一つ、寂しさを放っていた。

 これは、あれか。愛ちゃん、愛という名前の人間がいて、その子のプロマイドが売っていた、とかか?


 それとも、もっと哲学的な意味を博していて、真の愛とは無から生まれるものだ。的なことを示唆しているのかもしれない。


 なんだか的を得ていない気がするな。だとしたらやっぱり、ラヴの愛ということか。うむ。やっぱりそっちのほうが、恋のキューピッドよろしく、的を得ているといえるだろう。それにしれも時代の進歩は目まぐるしい。ネットで買い物ができる時代が到来したと思ったら、今度は概念、感情をを売り買いできるようになるとは。


 にしても、愛が百六十一円とは、少し安い気もする。結構なお手頃価格だ。仮にも愛だぞ? 愛情だぞ? 感情の中でも最たるものだろう。この辺りは、恋愛相談を生業とする……いや恋愛相談が生業ではないのだった。養護教諭。僕は養護教諭だ。そんな養護教諭である僕からすれば、これは納得がいかないぞ。


 いや、むしろ高いのか? 元来、愛から始まって全ての感情というものは、無償で享受されてきたもので、されるべきものだから、そんなものを取引するとなれば、この値段はいささか横暴というものだろう。


 原価零円。提供価格百六十一円。確かに。こうやって表してみれば、詐欺まがいの行為だ。


 第一愛なんて何に使うんだ?


 結論、愛は有償だとジュースくらいの価値しかない。


 さて、今日も面白いことに出会ったし、会計を済ませようかな。そう思って、僕はレジへと向かっていく。


「あ、せんせー! こんにちはー!」


 僕を見つけて元気に挨拶をする彼女、四橋渡が、レジの奥にいた。昼頃だというのに、その元気は相変わらずである。というか、ここ最近毎日このコンビニで会っている気がする。彼女、一体何連勤なんだ? 学生というものは、その中でも高校生というものは、学校生活サイクルの唯一の休憩時間である昼休みを、もっと有意義に使うものではないのか? まさか、元気で活発で社交的な、そんな彼女に、昼休みに談笑したり写真を撮ったりする、気の置けない友人が一人もいないなんてこと――――身の毛のよだつ恐ろしい現実が、会っていいのだろうか?


 だとすれば、もし本当にそうならば、ここは養護教諭で相談役の僕が、相談に乗ってあげることも、やぶさかでは――――


「あははー。大丈夫っすよー。私、友達多いんですよ。今時とか、友達みんな買い物に来てくれて売り上げも上がるんです」


 そうなの? 売上に影響するくらい友達がいるの? たしかに東頭には生徒が群を抜いて多いけれども、けれどけれども、そんなにコミュニティを築く機会があるわけでもないのも確かだ。

 友達を作るというのは、案外簡単なのかもしれない。そういえば、友情は利害関係で成りっている方が長持ちするという。


 それは、愛情でも同じことが言えるとか。

 あぁ、愛情で思い出したけど、なんか変な商品入荷してない? 愛って、でっかくそれだけ書いてるやつ。


「……愛? 愛はお金じゃ買えないっすよ。というかなんですか急に。もしかして遠回しな愛の告白っすかー? そういうアプローチならお断りですよ。私、こう見えて妻帯者なんで」


 いや、そういうわけじゃないけどさ。……妻帯者? 嫁持ちなの? 君女の子だよね? ……いや、この話はシビアか。つっこみは避けることにした。つっこみに何かと突っ込まれて、問題を避けられないのはマズい。言葉の綾として、収めることにした。


「こらー二橋ちゃん。お客様と雑談なんていただけないよ。レジ係は売り上げで評価なんだから、頑張らないとさ。おや、介添先生じゃないですか。また来たんですね。そういえばここ最近毎日来てませんか? 遅めのお昼ですか。む、大丈夫ですか? そんな不健康な食べ物ばっかりで……」

 そういう小言を述べるのは、普段現代文を教えている糸丸合図先生だ。一応東頭高校の教師ではあるものの、ここの店長であり、僕同様、暇を持て余している。


 まぁ合図先生の場合、暇を持て余すというよりも、以って遊んでいる、といった方がいいかもしれないが。


「……そういえば、愛、と聞こえましたけれど、もしかして、あれ、見たんですか?」

 あれ……つまりは、愛、のことだろうか。それとも、漫画部から新しく刊行されたあの雑誌のことだろうか。どっちも同じくらい目を引くものだけれど。


「あの愛はですね、新しくうちでやってる取り組みでして。ユニークで枠を思いっきり外した、トンデモ商品を出してみようっていうものでして。学生の軽いノリを利用した、商業戦略ってわけです。ええ、値段もそれなりに抑えめだったでしょう? これはつまり、買って後悔しない狙いがあるんです。あんまり高いようだとそもそも買われないですからね。原価もほぼ無いようなものですしね。……怪しい? いやいや、そんなことは無いですよ。そもそも、テストでやっているので、どうせ一週間もしたらもとにもどりますよ。ええ」


 ……そういうものか。となると、その戦略は大成功というわけか。あそこまで完璧に売れているのだから、合図先生の采配は見事なものだといえよう。


「愛を売るなんて趣味悪いっすね」


 それはそうだ。冗談のセンスがとんでもない。風刺が利き過ぎている。愛はコンビニでも買えるけれど。ではないが。


「売り切れ……売り切れてたんですか? 愛。……すごいなぁ。実は、ちょっと危惧してたんですよね。さっぱり売れないじゃないかとばかりに。その証拠に、実は追加分の在庫はもうないですしね」

 愛……ねぇ……ここ最近ご無沙汰だな。恋愛相談も、すっかり閑古鳥が鳴いてるよ。ところで、愛ってどんな見た目なの? 一応形ある物ではあるんでしょ? まさか、愛って漢字をそのまま売ってるとかではないだろうね。


「見た目……あぁ、実は、そのー、把握してないんですよ。そういう商品を並べようってところまでは、僕も居たんですが、具体的な話をする前に、急用が舞い込んできまして。バイトリーダーの匙山江吹君に任せたっきりになってしまい、入荷日の今日を迎えたたというわけです」


 仮にも店長であり、責任ある顔役がそんななのはどうかと思うが、しかしそれでは仕方がない。バイトリーダーの江吹君は午前勤務で、僕が普段来店する時間帯とは嚙み合わない。だから、あんまり親睦は深くはないのだが、それでも名前を聞いただけで誰かが分かるくらいには、彼は有名だ。


 江吹君はかなりのイケメンだ。それでいて高身長、成績も上位層。スポーツでは、上の下くらいの実力を持ち、チームスポーツではサポートに徹し、ワンマンでは準優勝辺りを堅実に取る。そういう完壁ではないにしろ完璧に近いというバランスの取れた感じが人気の男の子だ。


 恋愛相談室を一度も使ったことがないくらいには、順風満帆な学生生活を送っていて、羨望のまなざしを常に当てられている、影のスター的な存在だ。


「そうだ。介添先生、お得意の調査術で、愛の正体を暴いてみたらどうですか? 最近、暇が増してきているんでしょう? 良い暇つぶしになるのでは?」


「教師が暇、っていうのは、どうなんすかね?」


 暇つぶしに愛の調査……なんだか詩的な響きだな。合図先生のその提案に乗ってみるのは、案外アリなのではないだろうか。最近、新しい養護教諭がかつて僕の住処だった保健室を占領していて、その影響で唯一の仕事もなくなって、遂には相談以外にやることがなくなった僕の身としては、特段悪い話でもない。


 結構難しそうでもあるしね。調査が難航して、没頭できるのなら、それに越したことはない。

 なら、やってみますか。愛の調査。愛とは何かを見つけに行ってみよう!


「それだけ聞くと、B級映画っすねー」

「B級もないんじゃないかな。三橋ちゃん」

「四橋です」




 後日談。というのは正確ではないのかもしれない。というのも、今回の件は、なんとその日のうちに解決出来てしまったからだ。そうなるともう、後日ではない。本日である。真実を明かす後日談は、本日談となってしまった。


 それくらい、あっけない話だった。


 では、誰に話すわけでもないけれど、本題に入ろう。


 まずは、あの陳列棚が空っぽだった理由。つまりは、ユニークで特異性があるものの、それが理由でとっつきにくい、愛、という商品が午前中に、しかも噂の広まる間もない入荷日に、すっからかんの売り切れになっていた理由。


 それは、ただ単純で、誰かが買っていった、というものだ。


 誰かが万引きしたわけでもないし、そもそも入荷をしていなかったというわけではない。

 一足す一が二であるように、小石を落とせば地に落ちるように、介添臣の校内の立場が変わらないように、因果関係が成り立っているのだ。


 ただ、あえてこの事実に面白味を加えるのであれば、愛をかっさらった人物が、個人であることだろう。


 市田須一いちたすいち。女子生徒だ。彼女が、午前のうちに愛を買い占めたのだ。一つ百六十一円の愛。個々としては大した値段ではないにしろ、しかし数十個にも及ぶ在庫分さえ彼女が買っていったというのだから、出費は相当だろう。彼女、別にお金持ちの家系というわけでもないらしいし、なにか特殊なバイトをやっている訳でもない様だから、おそらく相当の覚悟を以って、行為に及んだのだろう。


 ……別に悪いことをしたわけではないのだから、行為に及んだというのは表現が違うか?


 とまぁ、次に、なぜ彼女が得体の知れない愛を、それなりな出費を覚悟してまで買いつくしたのかといえば、有り体に言って、愛、である。


 なんだか、愛愛愛愛と言いすぎて、ややこしくなってきた。


 では、詳しく解説していくけれど、まずは彼女がかつて僕にしてきた、相談について触れなくてはならない。


 相談。つまりは恋愛相談。そう、僕は彼女を知っていた。数か月前、かの恋愛相談室に、彼女は訪ねてきた。


 相談内容はずばり、好きな人へのアプローチの仕方、というものだ。当時の話では、彼女には好きな人がいて、その思い人へのアプローチの仕方がわからない。なにをしたらよいか、教えてほしい。みたいな、至極ありふれた事を言っていた。その相談に対し、僕は、とりあえず、大胆な事は勇気がでないだろうから、少しづつ小さな積み重ねで、最終的には告白くらいまではたどり着けるように努力しよう。と、お決まりの定型文で返したものだ。


 ……いやいや、この場合、勇気ある相談に真面目に答えろ。などという批判は適用されない。なぜなら、これ以上の最適解が存在しえないから。しようがないから。


 で、勘がよければここで気づくだろう。因と果がぴったりくっついたというわけだ。

 市田須一は、匙山江吹の事が好きなのだ。


 『トーズマート』のレジ係は、担当時の売り上げや、レジ打ちの頻度によって評価が決まる、欠陥の多そうな基準を採用している。


 この話は、とんでもなく口が軽い合図先生のせいで、校内の周知の事実となっている。


 で、その基準というか仕組みというかを利用して、彼女は江吹君へかなり遠回しな、ある意味では積極的な、そんなアプローチを施した。


 江吹君がレジにいるタイミングで、愛を大量購入したのだ。

 愛を買って、愛を与える。


 つまりは、そういうこと。


 愛を金で買って、私利私欲に向かうのではなく、ただ、だれかに与えたくて、愛を買った。


 大仰に、かつドラマチックに言ってしまえばそうなのだろう。

 はたしてそんな、影からの応援というか、日向からの声援というか、そんな愛のこもったメッセージが、かの江吹き君には届いているのだろうか。


 今回の件から僕が得た教訓は、愛は留まることを知らず、知ってはいけないということだ。 


 愛を買ったならば、その愛は誰かに与えるべきで、与えられた者は、また別の誰かに、その愛を与える。与える側は、愛の見返りを求めてはいけない。


 愛は無償だ。金で買える愛など、大した使い道もない。


 それこそ、彼女のように、遠回しなアプローチ以外には。


 …………よし、以上、調査結果だ。そう僕は、誰もいない相談室の壁に向かって語り掛けていたのをやめた。


 そういえば、愛の見た目について調査するのを忘れていたな。


 はてさて、調査のついでに判明すると思っていたのに。これは予想外だ。

 でももう、どうでもいいか。


 色恋沙汰とは行かなくとも、ちょっとした面白話ではあっただろうしね。


  人生の半分は十代で終わるらしい。僕の役目は、その半分のうちの、数分の一を、つつがなく過ごせるために、相談に乗ってあげることである。


 ……今回は誰の相談というわけでもないけれど。


 相談は、悩みなくして始まらない。


 所詮、僕の暇潰しでしかないけどね。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る