ある高校の、恋愛相談室にて。

青ニシン

変化しない山吹。

 東頭ひがしら高校にある設備は、他の高校と違い、あまりに特殊だ。

 例を挙げると、ボディービルダー部、法律部、カヌー部などのやや専門的な部活動。生徒会は無く、東頭會ひがしらかい。本格的なシアタールームや、校内限定ブランドのコンビニもあったりする。


 これ以外にも生徒と教師に寄り添ったサービスを提供する設備がいくつもある。

 そして僕、保健室の先生こと介添 臣かいぞえ おみは、そのサービスの一つである恋愛相談を行う現場、東頭ひがしら高校別館五階にある恋愛相談室にいた。


 相談室は狭い。元々ここは、どこかの教室の準備室で、もう使われなくなった際に、何か使い道がないかと当時の学園長が模索した結果できた場所だ。広さも四畳半あるかないかで、しかもそれを横に半分で仕切っているから、圧迫感が著しい。

 横に区切られている。そう、相談室は壁があり、向こうの様子はわからないように

なっている。懺悔室さながらである。


 相談役の僕は隣の教室から相談室の奥へと入り、相談がある生徒は、普通に前の扉から入る。

 で、一介の養護教諭である僕が何故ここで恋愛相談を請け負っているのかといえば――――

「…………」


 引き戸の開く音。どうやら迷える子羊の登場らしい。

「こんにちは……」


 声から察するに男子かな。そう僕は予想する。実をいうと、男子からの相談はあまり得意ではない。何故かといえば、彼らの持つ悩みというのが、往々にして下世話なものであるからだ。そういう相談は、僕にするんじゃなくて男子同士でやってろ、というのが本音が、常に僕の中にはある。


 だから、この子もそうなのかな、と僕は覚悟を決めた。

 しかしどうにも、そういうわけではないらしい。


「あの……俺、彼女がいるんですよ。中一から付き合ってて、その、自慢じゃないんですけど、めっちゃ可愛いんです」


 パートナー持ちからの相談。何も珍しいことではない。むしろありがたいくらいである。それにしても、中一から付き合っているのか。中学の恋愛なんてほとんどがごっこ遊びのようなもので、長続きするのは滅多に無いとはよく言われているが、高校まで続くのはすごいな。


「それで、えっと……相談なんですけれど、俺の彼女付き合って結構長いんですけど、その、俺が出会ってから性格とか、見た目とかそういう俺の知っているいろんなところが、全く変わっていないんです」


 とてつもない一大事を目撃したのか、と思わせるほど、厳かにかつ重大そうに話す男子生徒。なんだか惚気話の方向に向かっているなと感じながら、僕は彼に、それは良いことなのではないか、といった旨を伝えてみた。


「いや、違うんです。なんというか、その、長くカップルでいると、自ずと相手の色んな面を見れる訳じゃないですか。良い面も悪い面も両方とも。それは絶対に避けられない事なんです。相手の事をよく知らない、なんてことは長く付き合った恋人同士では絶対に起こり得ないんです」


 彼は何を伝えたいのだろう。僕はいまいちピンと来ずにいた。そんな僕の心情を、壁越しで顔も見えないというのに、彼はそれを悟ったらしく、説明を付け加えた。

「えーっと……そうですね、だから、彼女は全く変わっていないんです。俺の一番好きな状態のまま、まさしく時が止まったみたいに変わらないんです」


 ……まぁ額面通りに考えてみよう。つまりは、彼の彼女さんは、付き合ってもう何年も経つのに、その魅力が失われていない、否、変化、もっというなら風化していない。ということだろう。それだけ聞いたらただの羨ましい話だが、しかしそれで終わらなかったから、彼はこの相談室に足を運んだのだろう。僕はこの通りで合っているかどうかを確かめるために、彼に成否を聞いた。


「はい。大方そんなところです。……羨ましい? ………いいや、そんなことないです。付き合ってもう六年にもなります。それだけ長く一緒にいて、彼女にはなんの変化もないんですよ? 俺は変わりました。随分と。だけど彼女は変わらない。それってものすごく悲しいことじゃないですか? 俺は彼女の事を愛しているのに、彼女に変化をもたらすほどの影響力を、俺は持っていないってことなんですよ? だから、彼女にとって俺は、いてもいなくてもいい存在、ってことになって……俺との関係も、時間も、全て否定されるのかもしれないって考えると、もう……」


 次第に、彼は泣き出してしまった。この時の僕の心情は、複雑で騒然としていた。例えるなら、深い海の中で、とにかく下の砂を波に飲まれつつも無駄に掘っていくような、そういうやるせなさで埋め尽くさんとしていた。うん、彼の言わんとしていることは、もう大体理解した。僕はこの件を、一端の養護教諭として、恋愛相談室の相談役として、解決するべきだ。そう、決心した。




 後日談。彼の告白の内容から、ある程度推理して、その彼女とやらを突き止めることに成功した。


 彼の彼女について、僕との会話である程度の予測を立ててみた。まず、中一から付き合っていて六年たっているとのことなので、三年制である東頭高校の仕組みから考えて彼は三年生だろう。そして高校生のカップルということなので同級生だ。さらに、中学が同じだろうから、教師の特権を濫用し、絞り込みの追い込みをかけた。そこまで仮定して考えて、数々の風を漂う噂をかき集めて、結果、二人の女子生徒に行きついた。


 そう、二人である。調査が荒いんじゃないかと思われるかもしれないが、しかし、言ってしまえば彼女らは一人のようなものなので、僕の調査は完璧だったと言えるだろう。


 まぁご明察の通り、彼女らは姉妹である。そして、双子でもある。それも、そっくりもそっくり。漫画みたいに片っぽが伊達メガネを掛けてやっと区別が付くくらいに瓜二つだ。


 だが、これが一体どう彼女が変化しない話につながるのかと言えば、それも簡単で、一言で表すことができる。


 姉妹が互いに、彼の彼女を演じていた、ということだ。


 では、これが真実だとして、姉妹がそんなことをするに至った経緯を語ろう。

 さて、では彼女らが相談に来た彼と、取っ替え引っ替えで恋人になっていたとして、付き合い始めた時はどっちだったのか。まずはそういう原点から解説していこう。


 最初に付き合ったのは、姉妹の姉の方である。当時、妹の方は二年ほど、姉が付き合っていることなんて知らなかったらしい。まぁ隠したくなる気持ちもわかる。

 で、彼女を演じる、というと彼氏を騙しているようで何だか悪い気がするので言い換えると、つまり、彼女を交代制にするきっかけとなった出来事について。

 これもまた取り立てて面白い話でもない。ただ単純に姉の方の多忙によるものだ。

 時期としては付き合って三年目、中学三年生の受験期真っ只中だ。きっかけとしては十二分に事足りるだろう。


 彼女ら姉妹は思いの外性能がよく、実際に会って話をした僕から見ても才色兼備文武両道のイメージは、確かに彼女らには合っていると言える。

 で、そんな彼女ら、主に姉の方なのだが、圧倒的に足りないものがあった。

 それは時間である。


 姉は妹と比べ、少し友人が多く、微小習い事が多く、少々床についている時間が長かった。そういう塵のような物事が山のように積み重なって、姉の時間は妹よりも早くに浪費されていった。だがそこで彼氏への愛が冷めることも醒めることも冴えることもなく、純情に慎ましく続いていったのだから、偉大だ。


 人伝に聞いた話だからたぶん脚色はかなりのものだろうけれど、しかし火のないところに煙は立たないという。


 で、そんな風に多忙に奔放していた姉が、彼氏との関わりが薄々薄くなっていることに気づいた。そこで、姉と比べ余裕のある何もかもそっくりな妹に、自分の代わりを、代替品になることを、頼んだ。


 だが流石にそれは無理があった。それに気づいた姉妹は、自分たちが見本とする彼女像を、つまりは定めたのだ。


 そう、その彼女像というのが、僕に相談に来てくれた彼の言うところの、一番好きな状態の彼女、というわけである。

 さて、これで僕の報告は終了だ。どうだい? 納得はいったかな?


「……はい。ありがとうございます。……あの、彼女らの通り名について……いや、やっぱ何でも無いです。ところであの……このことって誰にもばれないんですよね? はい、わかりました。本当にありがとうございます」


 そう礼を言って、彼は引き戸を開けて出ていった。彼はこれからどうするのだろう。僕はおおよそ、事実を述べたし、何か隠してもいない。全てをありのままに伝えただけで、その後、彼らの関係がどう変化するのか、動向がどう、推移するのか、そんなことは頭の片隅にさえいれていない。


 うん、そんなこと。そんなことでしかない。それは彼等彼女らの問題であり、僕の知ったことではない。預かり存ぜぬ、対岸の火事、人の苦楽は壁一重、だ。


 さて、これで懸念事項は一通り片付いたかな。これで、また暇を持て余した保健室の先生へと舞い戻ったわけである。……いや、人の悩みで暇つぶしをしている僕の場合は、暇に弄ばれている、というべきかもしれない。


 そういえば、確か彼、最後に何か言ってたな。

 通り名とかなんとか。なんだなんだ? 彼女らは町内ヤンキーの番長か何かなのか?


 ……もしや、アレの事か?

 僕が彼女らの事を知るために、噂の収集をしていた時のことだ。数多ある有象無象の中に、一風変わった噂があった。


 いとまの山吹姉妹。

 さて、どういう意味だろう? 僕、国語は成績に数字がついていたかどうか知らない位苦手だったし、本も小学生の頃に読んだ、児童図書以来、読んでいないし。

 まぁ、彼もどうやら気にしていない様だったし。考慮には値しない事だろう。きっと。


 考慮には値しない……で、思い出したけれど、僕は今回の件を調査するに当たって、僕は彼女らに直接インタビューの場を設けた訳だ。そこで僕は、彼女らに所謂恋愛事情を赤裸々に語ってもらった。


 だが、どうだろう。たとえ僕が教師だとしても、しかしそう簡単に、デリケートで、それこそ赤面する程白々しいことを、関係がほとんどないこの僕に、語ってくれるだろうか? そんな疑問が、この僕にはあった。当時の僕はそれを疑問にこそ思ったけれど、次第に忘れていた事だった。


 ……もしかして、この件は全て嘘だった? 

 相談室来客の理由で、 意外にも多いのが、僕に対する悪意ある嫌がらせであるというものだ。僕が直接出張って色々頑張っているから、それを面白がっているらしい。


 思えば教師相手に正直、なんてのも嘘くさい。大半の生徒は、あまり教師に好感を持っていないものだ。特に僕の場合はそれが顕著に現れている。

……まぁもう、どうでもいいことか。


僕は、考えるのをやめた。もうすでに、彼女らの名前と今回の事の顛末は、ぼんやりとしか覚えていない。

 チャイムがなった。窓の外は夕焼け。総下校の時間らしい。


 さて、僕も家に帰りますか。


 人生の半分は十代で終わるらしい。僕の役目は、その半分のうちの、数分の一を、つつがなく過ごせるために、相談に乗ってあげることである。


 相談は、悩みなくして始まらない。


 所詮、僕の暇潰しでしかないけどね。

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