15.天使の命

「何とか運んできましたけど……。それで、ここからはどうするんですか?」


 黒居の家。そこの和室に敷かれた敷布団の上に、天束エインを寝かせ、黒居はもう何かの準備を始めていた。


「……アンジュさんは、天使が死ぬとどうなるかはご存知ですか?」


 黒居は、部屋にあった鞄から、見知らぬ薬品や器具を取り出している。


「傷については学びましたけど……。流石に、そこまでは……ちょっと」


「なるほど。では、人間が死ぬとどうなるかはどうです? 知っていますか?」


 自分は何を問われているのか、と言いたげな不思議そうな顔で答えるアンジュ。


「肉体が死んで朽ち果てる……ですよね?」


 えぇ、と言った黒居は、再び天束エインの近くへ寄る。その手には、変な色の薬品が入った注射器が握られていた。


「天使はです。肉体が朽ちることはない」


「逆……ですか?」


 銀髪の天使の腕に針を刺す。確かに、天束エインは、息をしていないという点を無視すれば、まるで眠りについているかのような見た目だった。


「天使は神の被造物です。だからこそ、役目を終えた”体”は、神へと返さなければならない。しかし、魂は別だ。それは人と同じで、死後は輪廻転生の輪へ還り、新たな生命となって生まれ変わる」


 黒居の話を聞いたアンジュは、はっと目を見開き、


「待ってください……。肉体が朽ちることがないのなら、それなら……!」


「……察しのいい天使さんですねぇ。まぁ、エインさんが入れ込むのも分からなくもない」


 彼は空になった注射器を床へ置く。


「そうです。アタシがやろうとしてるのは、エインさんの魂だけをこの体へ呼び戻すこと。魔法を使って、ね」


 しかし、そんな魔法を聞いたこともないアンジュは、彼の発言を疑っている。そもそも、死者を蘇らせる魔法は、理を乱すものとして、”知ること”すら許されないはず、なのだが。


「黒居さんは……なんでそこまでしてエインさんを……?」


 彼女は疑問に思った。純粋な疑問だ。この行為が、黒居にとって益があるのか、と。彼はこの問いに、少しうつむきながら答える。


「親切心から……と言いたい所ですが。正直な話、彼女の力が重要だからですよ。アタシが小耳に挟んだ情報が真実なら、の話ですが。いずれにせよ」


 と言った黒居は立ち上がり、


「彼女を助けたい、という思いは確かです。アタシのことは信じなくても構いません。ですが、今は、この瞬間だけは、その”思い”を信じてはくれませんか」


 全くふざけず、真面目な顔で言う黒居に、少しアンジュは驚く。しかし、彼女も思いは同じだ。


「もちろん、手は貸しますっ! けど……。そんな大それた魔法を使う力なんて……」


「大丈夫。きっと”彼ら”がカバーしてくれます」


 黒居は懐から二冊の”本”を取り出した。その内の一冊は、アンジュにも見覚えがある。傲慢のアロガンツと、暴食のアペティットの死んだ場所に落ちていた魔導書。


「エインさんは、意味を持たない魔導書とかなんとか……って言ってましたよ? その本」


「えぇ。アタシもそう思っていました。ですが違ったんです」


 彼は二つの本をエインの近くに並べる。


「これに魔法が記されていたわけじゃない。これそのものが、術式の一部として機能していたんです。本来の文章を掻い摘んだだけなら、意味を理解できなかったのも納得でしょう?」


「あ、頭がこんがらがりそうですぅ……」


 肩を落として疲れた顔をするアンジュだったが、黒居は特に気にもせずに話を続ける。


「魔法術式で動く悪魔に、魔導書を組み込む……。二級悪魔が力、そして言語機能すら持ち始めたのはこれが理由です」


「つ、つまり……?」


「獣のような雑兵を、優れた兵士にまで昇華させた魔導書です。その力を利用させてもらいましょう」


 黒居が魔導書に施していた準備が終わったようで、彼は天束エインの隣へ座り込み、魔法を唱える準備をする。


「アンジュさん。耳を塞いで。目も。アタシが”良い”と言うまで、決して空けないでください」


「へ!? わ、分かりましたっ!」


 赤髪の天使は耳をふさぎ、壁を向いて縮こまる。大げさすぎるかもしれない。だが。彼が今から使う術は、決してアンジュに”知らせる”訳にはいかない。


「──禁術・運命反転リバース・フェイト


 天束エインの体が青白い光に包まれていき、彼女の横に置かれた魔導書が勝手に開く。そして再び、黒居が口を開く。


「……汝、清きなる魂よ。在るべき場所、在るべき姿を思い出せ。使命を果たさんと再び願うのなら──」


「──我は汝に、再び祝福を授けよう」


 空気が揺らぐ。この部屋だけではない。この家、いや、この世界の空気全てが揺らいでいた。降り注ぐ雨は一瞬で止み、黒居の家の上空に生まれた”雲の隙間”から、まばゆい光が降り注ぐ。


「わっ!? 黒居さんっ! 何が起きてるんですか!?」


 降り注ぐ光。揺らぐ大気。部屋に生まれた風が、全てをもみくちゃにしようとする。


「アンジュさん、まだです! 決して振り向かないでくださいッ!」


「は、はいいい!」


 恐怖に怯えるアンジュ。しかし黒居はこの状況に怖じけることもなく、ただひたすらにエインにかざした手を動かさずに居た。


「くっ……! ──帰ってきてください! エインフィールドッ!」


 彼が叫んだ瞬間、風が止み、光が消える。そして。


「…………ぁ」


 天束エインが、口を開いた。


「はぁ。なんとか成功、ですかね」


「く……ろぃ? ぁ……んじゅ?」


 まるで眠りから覚めたような様子で、彼女は二人の姿を見る。


「エインさん? エインさーんっ!」


 エインの声が聞こえたと思えば、彼女のもとへ駆け寄り、抱きつくアンジュ。


「エインさん……! エインさんだ……! うっ……ひぐっ」


 銀髪の天使は、体を起こし、抱きつきながら泣くもう一人の天使を抱きしめる。


「なんであなたが泣いてるのよ……。全く」


「ただいま、アンジュ」


 天束エインは、黒居に支えられながらも立ち上がる。エインが見た彼の手は、火傷の痕のようになっていた。


「どうやら、アンタにも助けられたみたいね」


「いやいや、大したことはしてませんよ」


 謙遜する黒居。


「……ありがとう」


「エインさんにそう言われると、少しむず痒くなりますね。明日は槍でも振りそうだ」


 銀髪の天使は、ニヤニヤしながら笑う彼の頬を一発叩く。


「あ痛いっ! 容赦ないですね、ホント!」


 けれど彼女は、ふぅと深呼吸して、自分の頬もはたく。



「……さぁ、反撃開始よ。天界より来たりし戦乙女。ドロシー・フォン・ヴァルキュリア」

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