16.立ち上がる天使、立ち昇る反撃の狼煙
「え、エインさん? でも、どうやって戦うんですか?」
黒居に礼を伝え、彼の家を後にした天使たちは、神流川に来ていた。いつも天使──天束エインが思考にふけっている場所でもある。
「あの
「けど、いくら強いものだったとしても、あのドロシーちゃんに魔法なんて……」
不安がるアンジュの言葉を、エインは遮る、
「そう。悪魔と違って彼女は強い。並大抵の魔法なら、前のように打ち消されて終わりでしょう。でも、一つだけあるの。彼女に通用するであろう魔法が、一つだけ」
「どんな……魔法なんですか?」
天束エインは、それまで座っていた椅子から立ち上がり、手を夜の空へ掲げてみせる。
「──名を、”
そう言うと、彼女は手を掲げたまま、”それ”を唱える。
「……
そして、天束エインの手の平に発生した魔法陣。そこから放たれたのは、
「はぁ……」
およそ、強くもなければ、危険でもなさそうな、光の細い筋が放たれただけであった。しかも、持続時間も短く、一瞬の内に霧となって消えてしまう。
「……見た通り、唯一の問題点は、私もこの魔法を使いこなせていない、ということ……ね」
しかし、それに対するアンジュの反応は、エインの想像したネガティブなものではなく、
「す、凄いですねっ! エインさんっ!」
目をキラキラと輝かせ、子供のようにエインを尊敬の眼差しで見つめる、といったものだった。
「……まだ完成すらしてないんだけどね」
「それでも、凄いですよ!」
ニコニコと笑うアンジュ。夜の河川敷で盛り上がる二人。一息ついたエインは、赤髪の天使へある質問を投げかける。
「そういえば、あの戦乙女は今もこっちに? それとも、もう帰ったのかしら?」
アンジュは推測を述べるしか無かったものの。
「うーん、多分ですけど、帰ってないような気がします……。それに、帰っていたとしても、エインさんが再び目を覚ましたことがわかれば、また人間界へ来ると思います」
「そうね……」
天束エインは、顎に手を当て、少し悩んだものの、これからどうすべきかを導き出したようで。
「アンジュ、少し留守を頼める?」
「る、留守ですか?」
「少し、この魔法の訓練に……ね。だからその間、あなたにドロシーのことを頼みたいの。お願いできる?」
「そ、それは……」
彼女の頭の中に、エインを斬ったドロシーの姿が浮かぶ。それは、彼女が見知った戦乙女の姿ではない。彼女が見知った優しい友人の姿でもない。それは、同じ天使を手に掛け、降りしきる雨と血の中で立ち尽くす、彼女の姿だった。
「……。ドロシーちゃんは……。どうして、あんな風になっちゃったんですかね……」
誰に問いかけるわけでもない。ただ彼女は、本当に理解できなかったのだ。かつての親友の変わりようを。行き場のない言葉が、彼女の口から漏れる。
ドロシーの話をする時のアンジュの顔は、いつになく暗い。しかし、そんな彼女の頭を、天束エインはぽんと撫でる。
「なら、探してあげるわよ。その理由を。でも、分かるでしょう。あの戦乙女は、自分より弱い者の話を聞くわけがない。なら」
「戦うしか……ない。ですよね。分かってるんです。でも……」
アンジュ・ド・ルミエールは肩を落とし、ずっと地面を向いている。春が終わり、涼しい風が吹いている。びゅうびゅうという風の音が、二人の間に響く。
そんな風に吹かれ、落ち込む彼女に、エインはどう声をかけるべきなのか迷っていた。そして、エインは、赤髪の天使の隣へと座る。
「信じなさいよ、あの戦乙女が友達なら」
「……へ?」
思いもよらない言葉をエインにかけられ、少し戸惑うアンジュ。しかし、銀髪の天使は、夜空に光る星々を見上げながら、続ける。
「──きっと、ドロシーにも、善良な心が残っている。そう信じなさい。必ず、昔のような友達に、戻ってくれると願って」
「エインさん……」
アンジュは、俯いていた顔を上げ、空を見ながら語りかけるエインの方を向く。
「あなたが、彼女の行いを”間違っているのだ”と思うのなら、そう言ってやるといいわ。まぁ、あの戦乙女の性格なら言い返してくるでしょうけど、それでもね。友人というのは大切なものよ。だからこそ、関係が壊れる前に、好きなだけ言い合って、喧嘩して、仲直りしなさいよ」
彼女はそう言い終えると、神流川の河川敷から立ち上がり、スカートをぱんぱんっ、とはらう。
「……柄にもないことを言うと疲れるわね。私、明日からの修行に備えてもう帰るから。アンジュ、よろしくね」
その場から去るエイン。その背後から、礼をして、感謝を述べる少女。アンジュの胸に、友人と対峙する恐怖はもう無い。
今は、友人の間違いを正そうという、思いが、彼女を後押ししている。心なしか、彼女の表情も穏やかになったように見えた。
「エインさんっ! ありがとうございましたっ!」
天束エインは振り向かず、そのまま手を振り、夜の闇の中へ消えていく。アンジュの声は、川の音と風になびく草の音にすぐに上書きされる。
しかし、彼女が胸に新たにした思いまでは、掻き消えることは無かった。
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