14.フェイト・オブ・エンジェル

 夜の住宅街。血を流して倒れる天束エイン。言葉を発する気力も消え、ただ地面に横たわるだけの元天使。そして、彼女の手当を試みようとする、アンジュ・ド・ルミエール。


「エインさんっ! エインさんっ!」


 地面に残る血痕。壁に染みた血飛沫の後。倒れる失翼の天使と相対していた戦乙女──ドロシー・フォン・ヴァルキュリアは、口を閉ざしたままだ。


「……ドロシーちゃんが、エインさんを……エインさんをこんな風にしたの……?」


「……」


「何とか言ってよ……何とか言ってよっ! ドロシーちゃんっ!」


 アンジュは、血で赤くなった手をぐっと握りしめ、ドロシーへ叫ぶ。彼女は、信じたくなかったのだ。友人が友人を傷つけ、殺そうとしたという事実を。


 まるで赤髪の天使の心情を表しているかのように、空から雨が降り注ぐ。彼女の頬を伝う水滴が、涙なのか、はたまた雨なのかは知る由もない。


 しかし、ヴァルキリーがそれを意に介することはなかった。


「ドロシー・フォン・ヴァルキュリア。任務は完了した。次なる命が下るまで人間界にて待機する」


「……何、それ。何なの……それ……」


 ヴァルキリーの言葉を聞いた赤髪の天使は、ゆっくりと立ち上がる。影でアンジュの表情はよく見えない。しかし。


「──っ!」


 アンジュが光の弓を生成し、弓を射る。一瞬の内に放たれた一本の矢は、ドロシー目がけて放たれ、そのまま彼女の。


 彼女の手に掴まれ、光の矢は霧散した。


「……よせ。無駄な事だ」


 ヴァルキリーがそう止めても、アンジュが矢を射る手は止まらない。天束エインの魔法が通用しなかった相手だ。自分の矢が効くはずもない。彼女は、頭ではそう理解していた。


 しかし、何本、何十本という矢が、ドロシーへ向けて放たれる。例え、その全てが払い除けられると知っても、その弓が、形を保てず消えるまで力を使い果たして。その翼が、元に戻るまで、力を使い果たして。


「我が盟友よ、もう止めよ」


 力を使い果たし、立ち尽くすアンジュの姿を見て、ドロシーはそう言った。剣を抜く素振りすら見せず、赤髪の天使へ背を向け立ち去ろうとしながら。


「ねぇ……ドロシーちゃん」


「命令さえ下れば……私も斬るの……?」


 戦乙女が立ち止まる。


「それがヴァルキリーの使命なら、ただ為すまでのこと」


「……分かんない。分かんないよっ! ドロシーちゃんっ!」


 戦乙女が再び振り返ると、雨に打たれながら地べたに座り込み、目に涙を浮かべて俯く少女が居た。


「卒業した時に約束、したのに……。一緒に天界を守ろう……って。四大天使さまのような、偉大な天使みたいになろう……って」


「……故に我は戦乙女部隊に入隊した。盟友との約束を果たすために。そして今日、掟破りを討った」


 アンジュの頭の中に、倒れた天束エインと、血飛沫の後。そして、返り血のかかったドロシー・フォン・ヴァルキュリアの顔が浮かぶ。


「……ドロシーちゃん、天界を守るって……何なんだろうね」


 夜の路地の二人の間に、ただ雨の音が響く。


「──あー、お取り込み中のところ、すみませんが」


 しかし、その静寂は破られた。その場に現れた、一人の男によって。


「何者だ。我は人払いの魔法を使ったはずだが」


「えーと、しがないただの人間……ってところですよ。まぁ、アナタにとっては取るに足らない相手です。……戦乙女さん」


 英国紳士のような格好をした、素性の知れない男──黒居が、そこ居た。頭のシルクハットを手で押さえて深くかぶり、鋭い目元だけを出して。


「我の素性を知りながら”人間”とは笑わせてくれる」


 ドロシー・フォン・ヴァルキュリアは、明らかな警戒態勢に入る。再び傘を剣に変え、それを黒居に向けて構えた。


「おっと怖い。もっと穏便に行きませんかね。そう、例えば話し合いとかで」


 黒居はジェスチャーをしてみせるものの、戦乙女の警戒が解けることはない。


「悪いな。話し合いは苦手なんだ。貴様のような胡散臭い相手の話を聞いていると、こうして」



「言葉よりも先に、剣を振るってしまうからな」



 天束エインの時と同じように、距離を詰めるドロシー。しかし、黒居は全く気にしていない。むしろ、余裕を見せている。


「やれやれ。これだから、血の気の多い戦乙女は嫌いなんだ」


 黒居はその場から動かない。しかし、彼の口が動く。


「──虚無の門ヴォイド・ゲート


 彼が何かを唱えたかと思えば、今にも斬りかかろうとしていたドロシーの周りに”黒い空間”が生まれ、彼女を飲み込もうとする。


「何だ……この術は……っ!」


 見たことの無い現象に困惑する戦乙女。


「あぁ。死ぬわけじゃないんで安心してください。それはただ、アナタをこの場から遠ざけるための魔法だ」


「なっ!?」


 黒色の空間へ向かって剣を振るうという抵抗も虚しく、ドロシーはあっという間に”それ”に飲まれて消えてしまった。


「さて……。問題はこっちです」


 黒居は、座り込んで泣いている天使と、彼女の横で倒れるもう一人の天使の元へ歩いていく。そして、天束エインの近くに腰を下ろしたかと思えば、エインの体の上に手をかざして、何かを確認し始めた。


「なるほど。厳しいところではあるが……何とかなりそうだ」


 その言葉が、雨の音に混じって耳に入ってきたアンジュは、後ろを向き、彼に問い返す。


「黒居さん……。それは……どういう」


「アンジュさん。手を貸してください。可能性があるとはいえ、猶予があるわけじゃない。すぐにアタシの家に運びます」


 いつになく真剣な顔で告げる黒居。


「ですがもう……エインさんは」


 息をしていない。人間なら死んでいる。そう。


「話は後です。今はエインさんを。少しでも可能性があるのなら、アナタはどうしますか」


「それは……」


 アンジュはぐっと息を呑む。


「助けたいです。エインさんを」


「なら良しです。行きましょう」


 エインの腕を肩にかけて、二人がかりで運んでいく。未だ雨は止まない。しかし彼には。黒居には、彼女を助ける、確実な方法があった。



 夜。萩目学園から神流川を挟んだ反対側。そこにあるビル街を、ドロシー・フォン・ヴァルキュリアはうろついていた。


「……」


 傘もささず、雨に打たれる彼女の頭では、アンジュの言葉が反復し続けていた。


「我が天使を斬ったのは……天界を守るためだ。そして、戦乙女としての使命を果たすため。我は神の剣。そして罪人を狩るもの……」


『……ドロシーちゃん、天界を守るって……何なんだろうね』


 ──違う。我は、私は、天界を守るという大義のために力を振るっている。なぜなら、そう教えられたからだ。学園の先生から。戦乙女の先輩から。そして、ヴァルキュリア家に生まれ、立派なヴァルキリーとして生きた先祖達から──。


 例え彼女がそう思い込んでも、その手からあの天使を斬った時の感覚は消えない。そして、それを行ったドロシーを見る、盟友の、”目”も。


「違う……我は……私は……天界を守るために」


 血がついた自分の手を見て、そう自分に言い聞かせる。これはヴァルキリーの使命なのだ、と。


「……?」


 ドロシーの耳の小型通信装置に、通信が入っていた。それは、新たな指令の合図だ。しかしこれは、彼女にとって到底受け入れられることではなかった。


「え」


『ドロシー・フォン・ヴァルキュリアへ通達。追加任務。抹殺対象。人間界へ駐屯中の天使──アンジュ・ド・ルミエール。天束エインと接触した可能性。危険性ありと判断。抹殺対象へ指定。繰り返す。ドロシー・フォン・ヴァルキュリアへ……』


 雨の中、呆然と立ち尽くす戦乙女の耳に、ずっとその音声が鳴り続けていた。降りしきる雨が止む気配は、未だ無い。

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