13.死すべき生命、死すべき定め

「エインさん、大丈夫ですか?」


「………」


 失翼の天使は黙っている。アンジュが心配するのも無理はない。彼女が学校へと来てからというもの、天束エインは誰とも口を利かず、ただ窓の外を眺めるばかり。


「あ、あのっ! ドロシーちゃんと何かあったのなら、私からあの子に言いますから。だから大丈夫ですよっ」


 昼の休み時間に、アンジュはエインの席の前で彼女を元気づけていた。


「なら、……そのドロシーという戦乙女ヴァルキリーについて教えて」


 ようやく彼女が口を開く。藪から棒な質問だが、アンジュは反応があったのが嬉しかったようで、件のヴァルキリーについて語り始めた。


「えーと。ドロシーちゃんは私の同級生でお友達……ってのは言いましたよね?」


「えぇ。朝のアレでね」


 エインの近くの窓に寄りかかり、懐かしそうな顔をしながらアンジュは続ける。


「ドロシーちゃんは天使養成学園を主席で卒業したんです。それぐらい何でもできる子でしたねぇ」


「……そんな雲の上の存在とよく友達になれたわね」


 頬杖を付きながら窓の外を眺めているエインは、姿勢はそのままながらも、アンジュへ質問を返す。てっきり彼女は、赤髪の天使がいつものように少しむくれるものかと思っていたが、そんなことはなかった。


「ドロシーちゃんは……その。あんな感じなので、誰も寄り付かなくて……。わ、私もあの頃はそんな感じだったんですけどね」


「”そんな感じ”はどっちにかかってるのよ。あの中二病じみた言動? それとも天ノ宮萌木のように孤独だったということ?」


「ふふっ、エインさんはどっちだと思いますか?」


 アロガンツを討ってからはそんなに関わることがなかったからか、先輩天使と話せて嬉しそうなアンジュ。


「……アンジュがあんな言葉遣いを使っている場面を想像できないわ」


「そうですか?」


「そうよ」


 少しだけ笑ってそう言う天束エイン。


「……ねぇ。天界の様子を最後に見たのはいつ?」


「きゅ、急にどうしたんですか?」


「いいから」


 困惑しながらも、顎に手を当てて考え込むアンジュであったが、腰から以前出した小型の端末を出し、手で操作し初めた。


「うーん、私が人間界へ来たのが、こっちの時間で言うと……。二ヶ月ぐらい前なので、それぐらいですかねぇ?」


 天束エインは窓の外を眺めるのを止め、アンジュの方を向いて質問する。


「……天使長が誰だったか、覚えてる?」


「天使長……さん、ですか?」


 さっき以上に考え込むアンジュ。


「確か……まだ決まっていなかったような? 前の天使さんが辞められて、次の候補の方が、って話だった気がしますね」


 そう、とだけエインは言い、


「アンジュ、次に天界へ帰るのはいつ?」


「えっ? えー、と。もうすぐ定期報告があるので戻ると思います……けど」


「分かったわ。今日はもう帰るから、あとはよろしく頼むわね」


 とだけ言い残して、鞄を肩にかけてそそくさと教室から出ていく。


「……へ?」


「え、エインさーん!? まだ昼休みですってー!」


 アンジュの声が、虚しく廊下に響いていた。



「はぁ。一体何がどうなってるのよ……」


 神流川。その河川敷に、天束エインは座り込んでいた。相も変わらずため息をつきながら。


「……アンジュが来てからの二ヶ月間。その間にベリアルが天使界に? そもそもどうや……って」


 そこまで言った彼女は、はっと、あることに気づく。天界へのゲートを開くために必要な力。天使の力。本来なら悪魔が持ち得ない力をなぜ、ベリアルが持っていたのか。



「私の……力……?」



 天束エインの頭の中に、最悪な想像が生まれる。自分の失敗により生まれた傷がどんどん広がり、それが天使界全てを蝕んでいるという、最悪な想像だ。


「強力な悪魔がここに現れたのは……それを知っている私を殺す為に……? だから奴等も私が羽根を失ったことを知っていた……?」


 彼女の中に、様々な”想像”が浮かぶ。長所でも短所でもある彼女の”思考に溶ける”力は、今は彼女そのものを苦しめる。


「あり得ない……そんなこと。ダメ。ダメよエインフィールド。落ち着いて……。こんな時こそ冷静……に……?」


 再び、彼女の中に悪い想像が浮かぶ。──自分と共に行動しているアンジュを、奴が見逃すだろうか? 仮に自分を殺そうとしているのなら、その自分と関わりのある者を逃がすだろうか?──と。


 天束エインの頭を抱える手が震えている。単なる妄想なら良い。しかし、彼女はベリアルを見ている。あの男の残虐性を、その目に焼き付けている。


 やりかねない。あの”男”なら。


「誰か……。誰かに……相談……しないと」


 目眩がしている彼女が、ふらふらと立ち上がる。そんなエインの頭の中には、もう一人の男の顔が浮かんでいた。


「……黒居っ!」


 天束エインが走り出す。いつまにか日は落ちかけ、時間は夕方になっていた。



「はっ……はっ……」


 街頭に照らされた夜の住宅街を銀髪の少女が走っている。萩目学園の制服を着て、鞄を肩にかけているその少女──天束エインは、矢継ぎ早に頭の中に生まれる想像を振り払い、ただひたすらに黒居の元へ向かっていた。


 あの男は天使の事情に精通している。素性は怪しいが、今はそんなことを考えている暇はない。アンジュを巻き込まず、どうにかして事を納めるには、協力者の存在が必要だった。


「……っ」


 天束エインは立ち止まる。それは怖気づいたわけでもなければ、疲れたからでもない。自分の目の前に、


「──再びまみえたな。失翼の咎人よ」


「ドロシー・フォン・ヴァルキュリア……っ」


 戦乙女ヴァルキリーが現れたからだ。夜の住宅街。人気のない裏路地。朝とは真逆のロケーションで、天使と戦乙女が相対する。


 瞬間。ドロシーが動く。軽く地面を蹴った彼女は、目にも留まらぬ速さで天束エインへ斬りかかる。しかし、彼女とて、それが分からないわけでもない。


「ほぅ」


 戦乙女の剣はガキンッ、と音を立て、魔導障壁に防がれた。ドロシーはそれごと断ち切るつもりでいたが、天束エインも無策でうろついていたのではない。


「……悪いけど、通してもらうわ」


 次は天束エインが先に動く。飛び退いたドロシーが警戒する中、エインが地面へ手を付け、魔法を唱える。


魔導魔槍マギカ・ランツェ陣形クライスッ!」


 ドロシーの足元に魔法陣が生成された。そして、その魔法陣から”槍”が生まれ、ヴァルキリーへ襲いかかる。だが。


「……やはりな」


 とだけ言うと、ドロシーは地面の魔法陣へ自らの剣を突き立てた。その瞬間、魔法陣は光の粒となって霧散していく。


「な……」


 驚愕するエインに、ただ淡々と告げるドロシー。


「甘いな。付け焼き刃の魔法が戦乙女ヴァルキリーに効くとでも?」


「……くっ」


「エインフィールド。貴様の魔術の腕は確かだ。それは我も認めよう。でなければ暴食のアペティットに今頃食われていただろうからな」


 ドロシーはしかし、と続け、


「それは悪魔相手の話だ。我は神の剣にして、戦乙女いくさおとめ。その場で組み合わせただけの魔導が通じると思うな」


魔導盾壁マギカ・シルトッ!」


 再び障壁を展開しようとする天束エイン。しかし、ドロシーはそれを呆れた顔で見て、


「貴様の技は確かだ。だが。我には到底及ばない。」

「見せてやろう。ありがたいと思え。咎人風情が、我の”技”をその目で見れるということを」


 ドロシーが剣を構える。しかし、構えたかと思えば、一度腰の鞘へ戻し──。



「一閃──」


 

 大気が揺れる。天束エインの後ろに合ったものが、全てドロシーの剣閃の軌跡通りに”両断”される。電信柱。ゴミ箱。ポスター。落ちる木の葉。


 ドロシーが剣を納める。瞬間。斬られた全ての物質が、”自らが斬られた”ことを今知ったかのように、崩れ始めた。


 そして。鮮血。ただ赤い鮮血が空中に飛ぶ。


「……てっきり斬ったつもりだったが。小型の障壁で切断を免れたか」


 天束エインは、他の物体のように、真っ二つになることはなかった。しかし。だからといって、傷が消えたわけではない。


 血を垂れ流す天使は、糸が切れたマリオネットのように、地面に倒れ込む。依然として血を流しながら。アスファルトが赤色に染まっていく。


 彼女が、言葉を発することは無かった。


「髪も斬れていない……。傷ではなく、断ち切られることを防いだのか。あっけない幕引きだな」


 ドロシーの剣が傘に変わり、彼女がその場を後にしようとした時、ある声が聞こえた。


「あっ! こんな所にいたんだね、ドロシーちゃん!」


 朝と同じだ。相対する天束エインとドロシー・フォン・ヴァルキュリア。そして、そこを運良く訪れるアンジュ。しかし。朝とは違うことが、一つある。


「ドロシー……ちゃん? その血……は」


 無言のままのドロシーの周りに残る血糊。剣から垂れた血が血痕を作っていた。もちろん、服に付いた返り血もそうだ。


 そして。ヴァルキリーがその場を離れようと動いたため、アンジュには”それ”が見えた。”それ”は倒れていた。”それ”は血を流していた。”それ”は──。


「エイン……さん?」


 ”それ”は、血を流して倒れる、天束エインの姿だった──。

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