2章・戦乙女篇

12.エンジェルズ・デューティ

 傲慢のアロガンツを倒してから少し経った後。アンジュは天ノ宮萌木や萩目さくらと遊ぶことが増え、天束エインから成績の心配をされていた。人間の学園と、天界の学園──天使養成学園では、学ぶ内容は意外にも似通っている部分もある。


 が、どういうわけか、アンジュの成績は横ばいどころか右下下がりの状態であり、暇な時間に勉強を教えているエインは常に頭を悩ませていた。


 では、そんな失翼の天使は何をしているか、と言うと。


「ん……。黒居、ここも違うわね」


 ここ数日、黒居の家に通い詰めで、敵が落とした魔導書について分析していた。


「魔導書の力を用いて奴らは生み出された……と推測したんですがねぇ。肝心のその力の生み出し方はさっぱりですよ」


 黒居の古臭……レトロな家。居間のちゃぶ台の上に様々な資料が置かれ、スーツ姿の男と学生服を着た少女がそこを囲むように座っている。

 いつものシルクハットを降ろし、頭をぽりぽりと掻く黒居のその姿は、さっぱり分からないといった様子。


「はぁ……。私も色々と魔導書は読んだことがあるけど、やっぱり分からないわね」


 怪我が治り、体調も回復した天束エインは、うーんっ、と少し伸びをして体を動かす。


「ていうか、私に天使として振る舞うなと言ったわよね? 協力する理由は何?」


「えらく急な質問ですねぇ」


 互いに魔導書を読みながら問答を続ける。


「まぁ、明らかに異常な事態だから……ですかね。人語を話す悪魔が二体連続で出現。しかも、三級ではなく二級悪魔ってなると、アタシも流石にね」


 ペラペラと紙をめくる音が響く。


「暴食のアペティットに、傲慢のアロガンツ。どっちも強かったけど、この間に天界から現れた天使がアンジュだけなのも気になるわ」


 エインのため息を聞いた黒居は、読んでいた魔導書を閉じて机に置き、


「それなんですがね……。実は、傲慢のアロガンツが死んだ日に天使の反応がありました」


 天使はページをめくる手を止め、彼に問いかけた。


「私やアンジュの反応じゃなく?」


 本で覆っていた顔から目だけを出している。


「詳しくはアタシにも分かりませんが、少なくともエインさん達でないことだけは確かです」


 そう、とだけ言い残し、天束エインは魔導書の解読作業へ戻る。黒居もそれに続いた。

 

 結局、めぼしい成果が出たわけではなかった。せいぜい、”分からないことが分かった”レベルだ。そうしている間にすでに日は落ちており、流石にそろそろと思った天束エインは黒居の家を後にした。



 そして、次の日。神流川を歩いて登校していた天束エインは、萩目さくらに呼び止められた。


「あっ! 天束さん! おはようございます」


 礼をするさくらに、エインも同じように返す。


「おはよう、萩目さん。どうしたの?」


 歩きながら話し始める二人。ニコニコとした顔で、萩目さくらは語りだす。


「萌木さんが、人の前でも凄く楽しそうに笑うようになったんです」


「へぇ。良いことじゃない」


「だから、お礼を言いたくて。エインさんやアンジュさんのおかげですから」


 立ち止まり、今度は深々と頭を下げるさくら。感謝されることに慣れてない天使は少し戸惑っている。


「いやいや、別にいいわよ。私は悪魔を倒すために手を貸しただけだから」


 それを聞いたさくらは、何かを思い出したかのような顔をして、


「そういえば、悪魔とか天使とか……って、本当のことなんですか?」


 純粋すぎる疑問に、目を逸らしながら困惑するエイン。


「い、いや……。どうかしらね。分からないならそれでいいわ」


 萩目さくらはにこっと笑い、


「ふふっ。でも、そんなことを私みたいな人間に話しても大丈夫なのでしょうか?」



「──大丈夫なわけがない」


 

 知らない声。それは少女の声。それは背後からの声。天束エインは反射的に後ろへ振り向き、その声の主を知る。


「掟破りの天使。ようやく我の前に現れたな」


 ゴシックなファッション。ゴシックな傘。中二病じみた口調。カールのかかった黒髪のツインテールに、赤色の瞳。


「……誰だか知らないけど、お引取り願えるかしら?」


 エインは萩目さくらへ先に行っててくれと言い、その場から彼女を逃がす。自分が対峙しているものが、並々ならぬ者であると、本能的に悟ったからだ。


「”誰だか知らない”とは、笑止千万。天界の掟破りし者を捌く断罪者。それが何者であるか、本当に貴様ほどの天使が知らないとでも?」 


「……何のことだか」


 しらを切る天束エインに、その少女は告げる。


「敗北した天使に許されるのは”死”のみ。地獄の悪魔共に天界のゲートを開く技術を知られない為。しかも貴様は、人間へ天使と悪魔の存在を口外した。なのに、なぜ生きている? 咎人となりし愚かなエインフィールドよ」


「悪いけど、私には私の目的がある。地獄を牛耳る、ベリアルを倒すという目的がね」


 咄嗟に、手を前に突き出すエイン。魔法を唱えるための構えであり、彼女は”魔法透明マギカ・バニッシュ”を用いて逃げようとした。だが。


「ベリアル”様”が? 冗談も大概にしろ」


「……。今何と言ったの?」


 ドロシーの言葉が、エインを踏みとどまらせた。自分を死に追いやり、仲間の天使を皆殺しにした、ベリアル。そんな奴を、天界の天使が”様”付けだって? と。


「──ベリアル様は新しい天使長だ。姿を消した貴様と、もう一人の候補だった天使に代わり、我々を率いている」


「なによ……それ」


 口を開け、冷や汗をかくエイン。理解できない状況だ。自分を殺そうとした男が、今は天使界のトップという状況に。


「……呆れたものだ。自らの罪を認めず、あまつさえ天使長を侮辱するとは。もはや、その生命、この断罪の戦乙女ヴァルキリーが摘み取ってくれよう」


 ドロシーが、傘を天に掲げた。まばゆい光に包まれ、その姿が剣に変わっていく。


「我が名はドロシー・フォン・ヴァルキュリアッ! 主神に仕えし戦乙女ヴァルキリーにして、罪深き魂を狩るものなりッ!」


「……くっ!」


 対する天束エインは、傲慢のアロガンツ戦で用いた、多重の魔導障壁を展開しようとする。天使と戦乙女ヴァルキリーがぶつかり合おうとしたその時。



「あっ! ドロシーちゃんだー!」


 少し離れた所から、赤色の髪をした少女が、大声で叫びながら走ってくる。


「っ!?」


 咄嗟の事に驚く二人。両者ともに、攻撃の手が止まる。


「なっ、我が盟友たるアンジュ!? なぜ貴方がこんな所に!」


 困惑するヴァルキリーに、アンジュは飛びついて抱きついた。まるで猫が人にじゃれるときのように頬をスリスリとしている。


「……あー。その。アンジュ。知り合いなの? その娘」


 呆気にとられたエインは、嬉しそうな顔をする赤髪の天使へ問い掛けた。


「はいっ! ドロシーちゃんは学校の、えーと、天界の学校の同じクラスで、私の初めてのお友達だったんですよっ!」


 その”お友達”は、抱きつくアンジュをなんとか離そうとしている。


「盟友よ、少し離れ……てっ! 我は戦乙女として仕事中なの! ちょっと……! アンジュちゃん!」


「……ごゆるりと?」


 呆気にとられっぱなしの銀髪の天使は、もみくちゃにされている戦乙女と、もみくちゃにしている赤髪の天使を後に、学校へ向かう。


「待ちなさいエインフィールドっ! 我は諦めないからなーっ!」



 戦乙女ヴァルキリーの断末魔が、朝の静かな神流川にこだました。

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