11.悪魔狩り

「な~んだ、もう作戦会議は終わった?」


 霧が晴れ、再び現れた天使達を見るアロガンツの顔は、退屈そうな表情だ。


「えぇ。そんなところね。短い時間だったけど、まぁ、準備はできたわ」


 それに頷くアンジュ。しかし、アロガンツの表情は変わらない。人間の少女のような顔は、遊び道具を失った子供のよう、といったところ。


「へぇ。そうなんだ」


 しかし、そう言った少女の顔は、一気に”殺意”を抱いた顔へと変わる。



「ボク、アペティットのように殺されるつもりはないから、そのつもりでいてね?」



 瞬間。傲慢のアロガンツが動き出す。地面をたっ、と蹴り、一気に天束エインとの距離を詰めた彼女は、それを防ごうとするアンジュの矢を跳ね除けている。


「え、エインさん! 全然効いてません!」


 あたふたした様子で弓を射るアンジュとは対象的に、もう一人の天使は冷静でいた。


「落ち着きなさい。まだ想定内よ」


 その天使の言葉を聞いたアロガンツは、悪魔のような笑みを浮かべ、


「”想定内”……。じゃあ、これも想定の内かな?」


 傲慢のアロガンツの腕が、またも槍のようなものに変質する。蠢く肉塊のような形ではあるが、先端は鋭く、その威力は、先程防いだ天束エインも知っていた。


「魔導盾壁(マギカ・シルト)っ!」


 だから、彼女は、同じように、魔法陣を用いて”盾”を生み出した。悪魔の攻撃は防がれる──はずだった。



「!?」



 ──アロガンツの腕の槍が、天束エインの生み出した盾を貫いていた。それは、そのまま、驚愕している天束エインの左腕へ刺さる。


「エインさん!」


 後方へ飛びつつ、アロガンツへ矢を放ち続けるアンジュを、悪魔は自分の腕を鞭状に変質させ、はたき落とす。


「あーあ、可哀想に」


 楽しそうな笑みを浮かべているアロガンツを、天束エインはただ睨む。


「はぁっ……はぁっ……」


「ははっ、ボクの槍を防げなかったのが不思議かい?」


 手を大きく広げ、左腕を抑えながら前屈みになっているエインを見下ろしながら、彼女は余裕を見せつけるように語り始めた。


「キミの魔法は見掛け倒しなのさ。失った天使の力を埋めようと工夫はしているけど、しょせん付け焼き刃の魔法だ。そんなもので、ボクの槍を防げるわけがない」


「なんですって……?」


 傲慢のアロガンツは笑い出し、


「ははっ、はははっ! 本当にキミは気がついていなかったのかい? さっきのは、ボクが手加減していたから防げたのさ!」


 愉快そうな表情を浮かべ、、天束エインへ襲いかかる。その手を”槍”や”剣”のような、様々な武器に変えて。銀髪の天使は応戦してはいるものの、ハッキリ言って形勢は不利だ。


「うぐっ……」


 それに加え、魔法の多用による急激な疲労と、腕の痛みが、彼女の敗北へ拍車をかける。


「こんなのにやられるなんて、アペティットも気の毒だなぁ!」


 悪魔の攻撃の手は緩まない。彼女は、そんな中生まれた、天束エインの一瞬の隙を見逃さなかった。


 出血と疲労で一瞬だけよろめいた天束エインの脇腹を、傲慢のアロガンツの”槍”がかすめる。肉が抉れるほどの傷ではないが、今の彼女にとっては、致命傷となりかねない。


「くっ……!」


 一瞬だけ足元に魔法陣を出現させ、後方へ飛び退く。左腕と右の脇腹を負傷した彼女は、もはや立っていられることが奇跡に近い。


「まだ立てるんだねぇ!」


 視界が霞みつつある銀髪の天使にも、アロガンツが目の前に居ることは分かった。悪魔が手を伸ばし、天使の首を掴む。かつて、ベリアルにそうされたように。


「な……なにをっ」


 そう問われたアロガンツは、満面の、しかし邪悪な笑みで答えた。


「何を? 悪魔に敗れた天使は……死ぬだけだよ?」


 意識が遠のく。天使のまぶたは少しづづ落ちてきており、脳裏には、かつての地獄の記憶が蘇る。そして、アロガンツの掴んでいない方の腕が”鎌”に──。



「──アンジュ! 撃って!」



 次の瞬間。今にも鎌に変質しようとしていたアロガンツの腕目がけて光の矢が放たれ、腕に刺さる。奇しくも、天束エインにしたことと同じように。


「なっ……にっ!?」


 光の矢の刺さった腕は、武器への変質の途中で止まり、グズグズと肉の塊となって地面に落ちていく。


 そう。傲慢のアロガンツは、自分の身に起こったことに、意識が集中していた。一瞬の間だ。しかし、だからこそ反応が遅れた。ゼロ距離に居る天束エインが、自らの腹に手のひらを当てていることに。


「何のっ……真似だ」


「アンタの技、そっくりそのまま返すわ」


 天束エインは、目を閉じ、


「魔導魔槍(マギカ・ランツェ)っ!」


 そう唱えると、アロガンツに当てていた彼女の手から”青い槍”が出現し、悪魔の体を貫いた。


「な……あ……っ……。く、クソがァァっ!」


 アロガンツは、自分の腹に空いた穴を見て叫びだす。大量の血を吐きながら。


「ぼ、ボクは……傲慢のアロガンツだぞっ! こんな所で……こんな所で……」


 先程までの愉快な顔とは違い、憎しみと怒りに満ちた表情で天束エインを睨みつけるアロガンツだったが、その天使は、フラフラになりながらも、淡々と悪魔に告げた。


「言ったでしょ。”想定内”だと」


 それを聞いた悪魔は、もはや声すら出ない状態だったが、それでもその殺気に満ちた顔は、体が消滅するまで天束エインを睨み続けていた。



「はぁ……うっ」



 悪魔の完全な消滅を確認すると、天束エインは地面へ倒れ込む。


「エインさん! しっかりしてください!」


 そんな天使へ、見習い天使が駆け寄ってくる。


「はは……。ごめんね、アンジュ。無理やりな作戦を立てちゃって」


 痛みに耐えながらも、少し笑って、彼女はアンジュの手を取る。


「大丈夫ですから! だからとにかく今は……今は安静に……」


 駆け寄った時からずっと治癒魔法をかけ続けていたアンジュだったが、腕の傷も脇腹の傷も見た目以上に深く、出血が止まらない。


「ど、どうしよう……。どうにかしないと……どうにか」


 涙目でひたすら治癒魔法を唱える赤髪の天使だったが、それでも流れる血は、地面をどんどん赤く染めていく。


「うっ……いやだよぉ……エインさぁん……」


 その時。そんな涙目の天使の目の前に、黒いワンボックスが走ってきた。勢いよく開かれた後部座席のドアからは、天ノ宮萌木が降りてくる。


「アンジュさん! エインさんを乗せて! お母様の病院へ連れて行きますわ!」


 奥には心配そうにしている萩目さくらの姿も見える。アンジュは急いで天ノ宮と一緒にエインを車の中に運び、病院へ向かった。


 エインに必ず見つけてくれと言われた、敵が死んだ跡に残る魔導書を持ちながら。



「? はっ!?」


 病室。床から天井まで真っ白な個室で、ベッドに寝ていた天束エインは目を覚ました。腕と脇腹を触ってみたが、傷自体は綺麗に塞がっていた。それ自体はアンジュが魔法で塞いだのだろうと、エインは思った。なぜなら。


 病室の椅子に座り、自分のベッドでうたた寝をしている彼女なら、そうするのではないか、と脳裏によぎったためだ。


「心配かけちゃったみたいね」


 エインは、どちらかといえば、疲労のほうが問題だった。天使の体は傷の治癒は早いものの、疲れはすぐには取れない。おまけに、魔法の酷使によるものだとなおさらだ。


「……ほにゃ!? あ……エインさん……」


 幸せそうな顔で眠るアンジュをエインが撫でていると、赤髪の天使の方が飛び起きる。


「うぅ~! 無事で良かったでずぅ~!」


 まだエインは病人ではあるのだが、お構いなしに抱きついてくるその姿を見て、彼女は少し笑った。


「それで、天ノ宮さんや萩目さんは?」


 それがですね、と神妙な面持ちになるアンジュ。


「実は、萌木ちゃんが萩目さんと寮で暮らすそうですよ?」


「りょ、寮? それはまた急な話ね」


「そうなんですよ。萌木ちゃん、ご両親にこの話をした後、返事も聞かずに出てきちゃったそうです」


 ため息をつく天束エイン。


「また、破天荒なお嬢様ね」


「友達として、萌木ちゃんは私がお世話しますよ~!」


「アンジュの方がお世話される方なんじゃない?」


 自信満々に言って見せたアンジュだが、すぐに涙目になる。


「酷いですよエインさ~ん!」


「ふふっ」


 そして。その後もエインと話したアンジュは、彼女が起きたことを知らせるため、看護師の詰め所へ向かった。去り際に、「似たものが落ちてましたよ」と、魔導書を置いていって。


 それを手に取った天束エインはペラペラとページをめくり、また意味を持たない魔導書であることを確かめ、元の位置へ戻した。


「人形の悪魔……。落ちている魔導書……。私のことを知っているような口振り……」


 天束エインは、窓から夕焼けに照らされた街の景色を眺めながら呟く。


「やはり、アイツが私を……」



 彼女の頭の中には、地獄で邂逅したあの”男”の姿がよぎっていた。



「ぼ、ボクは死なないんだよ……っ!」


 その日の満月の夜。街の暗がり。血の匂いがする路地裏では、片腕を失った人間のような生き物が壁にもたれかかっていた。


「あの天使……必ず殺すからな……。ボクの腕を……っ!」


 彼女──傲慢のアロガンツは消滅する直前、自分の力を僅かに逃していた。数時間かけて体の形まで戻したが、ハリボテのようなもので、中身はすっからかんだ。


「地獄へ帰り餌を食らって……必ず戻ってくるからな……」


 悪魔が息を切らす音と、吹き抜ける風の音。それ以外の音が聞こえないはずの空間に、女性、というより、少女の声が響く。


「──地獄へ帰る? 笑止っ!」


「!?」


 アロガンツが声のした方、上を見ると、夜空を背景に、月に照らされた少女がそこに居た。逆光で姿はよくわからないが、傘をさしており、ゴシックなファッションをしている。暗闇に光る彼女の赤い瞳は、ただアロガンツを見下ろしていた。


「天使か? 悪魔か? いずれにせよ、簡単にボクを倒せると……」


 謎の少女は、左手を腰に当てながら、傘を握っている右手を天高く付きあげる。



「我は主神に仕えし神の剣っ! 我が名はドロシー・フォン・ヴァルキュリア! 世界に仇なす邪な魂を狩る戦乙女(ヴァルキリー)なりっ!」



 そう叫んだ彼女──ドロシーの持っていた傘が、羽根の意匠が施された剣へと変わる。それと同時に、ドロシーの背中からも、白い大きな羽根が生えてきた。


「ヴァルキリーだと……舐めるな」


 よ、とアロガンツは最後まで言い切ることができなかった。それを言う前に、すでにアロガンツの体は真っ二つに両断されていたためである。


 いつの間にか下まで移動していた彼女は、アロガンツを倒すと、羽根をしまった。それに連動するかのように、剣は傘の形へ戻る。


 黒色の髪に、赤色の瞳。そして左目の眼帯。少し訳ありなヴァルキリーが、人間界へ降り立っていた。


「……こちらドロシー。任務を開始する」


 それは。


「目標は”掟”を破った天使の抹殺。対象名は──天束エイン」



 失翼の天使を、殺す為に。

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