3.天の使いの使命

萩目はぎのめさくら……か」


 授業間の休憩中。そんなことを呟きながら、天束あまつかエインは窓の外を眺めていた。朝のホームルームも終了し、特に問題なく自己紹介も終わった……が。


「講義自体はまぁ、簡単ね。流石に天界のそれと比べたら、だけど」


 萩目はぎのめ学園が天束あまつかエインのような存在を受け入れていると言っても、実際は普通の学園ないし学校とそこまで差異があるわけでもない。学ぶ内容もまた然り、である。

 だが。“転校生”という属性は、いつも注目を浴びがちなもので、それは彼女も例外ではなかった。



「転校生のあ……天束あまつか? さんだよね! よろしく!」


 と、元気ハツラツな同級生。手を振って返す元天使。


天束あまつかエインさん、どうぞよろしくお願いいたします」


 と、おしとやかなお嬢様風の学生。戸惑いながら頭を下げる元天使。


「転校生、よろしゅうな!」


 と、肌が少し焼けた、ガタイの良い野球少年のような男子学生。疲れた顔で挨拶を返す元天使。



「……人間の会話がこんなに疲れるものだとは」


 エインは、物憂げな顔で窓の外を眺めながらため息をつく。周囲には騒然とした音が満ちていた。


「……そういえば。一つ、気になることを言っていたわね」


 最初に天束あまつかエインに話しかけてきた元気ハツラツな女学生。彼女と話したことをエインは思い出す。


「──そういえば、天束あまつかさんはどこの道を通って通学してるの?」

「え、ええ。そうね……大きな川の近くを通っているのだけど」

「えぇ! あの川の近くを!?」


 もしかしたら、あの川はここら辺ではかなり有名なもので、名前を言えないことで怪しまれたのかもしれない──と天束あまつかエインは考えたが、その学生から帰ってきた答えは意外なものだった。


「あの辺、幽霊が出るって噂だから通らないほうがいいよ?」

「へ……? 幽霊……ね」


 意外な返しに面を食らった、というような表情になるエイン。


「そうなんだよ! なんでも、風も吹いていないのに服を引っ張られるとか、近くに誰もいないのに、どこからともなくボールが転がってくるとか」

「そんな噂ばっかり聞くんだよねぇ」


 幽霊という予想外のワードと、その女学生の忙しなさに驚きつつも、元天使はしっかりと話を聞き、一応答える。


「それはその、気のせい……とかではなく?」

「うんうん。色んな人がそれっぽい現象に会ったって言ってるからね」


 冷静に問いかけ直す天束あまつかエインの姿を見て、その学生は少し首を傾げる。


「もしかして、天束さんって幽霊得意なタイプ?」

「得意というか、まぁ、なんというか、あの」


「まぁそんなこと関係ないよね。変な話ばっかりしちゃってごめんね」

「い、いや」


 と、言うと、次の科目を担当している教師が入ってくる。そろそろ準備しろよ、という声が聞こえてくると、その女学生は自分の席へと帰っていく……そのとき。


「あ、そうだ」

「私は神園かみぞの神園かみぞのめいっていうの。よろしくね。天束あまつかさん」

「えぇ。こちらこそ」



 放課後。天束あまつかエインは特に失態もなく、ボロも出さず、学園での一日を終えた。


「特別な行事もなくて助かったわ」


 教室を出て帰路へつく彼女の前に、ある人物が現れた。周囲の学生がざわめき立っている。

「朝ぶりですねっ! 天束あまつかさん!」

「げ……」


 ひときわ目立つ学生。萩目さくらがそこに居た。


「開口一番にそれって、ちょっと酷くないですか!?」

「……ごめん」


 しょんぼりする萩目さくらに、天束あまつかエインはある問いを投げかける。


萩目はぎのめさん、幽霊の噂って知ってる?」

「幽霊……ですか?」


 問われたさくらは、少しキョトンとした顔になりながらも、


「……あ! 神流川かみながれがわの噂のことですか?」


 今度は天束あまつかエインの方が驚いた顔になり、


神流川かみながれがわ……っていうのは、朝の?」

「はい! 確かに、あの辺りで不思議なことを体験したって言う人は多いですね」


「そうなのね」

「どうもありがとう。萩目はぎのめさん」


 礼を言って立ち去る天束あまつかエインを、まだ萩目はぎのめさくらは引き止める。


天束あまつかさん、ところで」

「……何かしら?」

「朝の“あれ”って一体何だったんです?」


 ギクリという顔になるが、必死に堪える元天使。


「い、いや……」

「いや?」


「手品か何かだったのかもしれないわね! あ、アハハ!」


 その瞬間、全力で学園の玄関へと駆け出す天束あまつかエイン。


「あぁ! ちょっと!」

「教えていただくまで諦めませんからね~!」



「はぁ……疲れた」


 疲れた顔を浮かべるエインは、肩を落としてため息をつく。


「あの娘、まさかあんなにしつこいとは……」


 そう言ったところで、彼女はあることに気づいた。


「あ……神流川かみながれがわか」


 ブツブツ独り言を呟いている間に、エインはいつの間にか神流川かみながれがわまで来ていたようだ。


「……幽霊か」


 昼間の神園かみぞのめいの発言。神流川かみながれがわに幽霊が出る、という噂。


「迷える魂を導くのは、天使の役目……。昔そんなことを習った気もするわね」

「……いえ。羽根なしの私に出来ることなんてもう何も……」


 そんなことを言っていると、彼女の腕がぴくっ、と動いた。


「……?」


 それに気づいた彼女が後ろを見ると、“それ”は居た。


 その青白い肌は、全く生気を感じられないが、その見てくれは、完全に人間の幼い男子のものだった。


「まさか……幽霊?」


 そう天束あまつかエインが問うと、その幽霊は瞬く間に、走って神流川かみながれの橋の下へ逃げていく。


「……はぁ。仕方ない。放ってもおけないか」


 やれやれという仕草をしつつ、橋の下へエインが行ってみると、その“幽霊”は地面にうずくまっていた。


「……お姉ちゃん、僕の事が見えてるんでしょ?」

「見えてるわよ」

「じゃあやっぱり、“しにがみ”のお迎えなんだね……」


 驚いた、と言いたげな顔をする天束あまつかエイン。


「……は?」

「だってパパとママが言ってたもん。悪い子は死んだ後に“しにがみ”が来るんだぞって」


「じゃあ、良い子はどうなるのよ」

「良い子のところには、”てんし”さまが来るって言ってた……」


 それを聞いたエインは、はぁ、とため息をついた……かと思うと。


「キミ、何か悪いことをしたの?」


 その“少年幽霊”の前に行き、座り込んで話し始めた。傍から見れば変なヤツだが、橋の下なので誰にも見えないだろう。


「退屈だったから、ここに来た人に……いたずらとか……したし」

「なによそれ。いたずら程度で死神に来られちゃおしまいでしょ」

「……よく分かんない」


「あのねぇ。……要は、キミの所に来るのは死神じゃなくて天使だってこと」


 そう言うと、少年が顔を上げる。


「ほんとうに?」

「ま、私は嘘が嫌いなのよ」

「そうなんだね……。そうなんだ……!」


 良かったぁ、と胸を撫で下ろす少年幽霊。


「なら……」

「あ、あの! お姉ちゃん!」

「……何よ」


 少年の提案は、彼女にとって意外なものであった。


「お迎えが来る前に、たくさん遊んでほしいなぁ……って」



「お姉ちゃん! ボール取るの上手だね!」

「ぜぇ……はぁ……。キミもね……」


 幽霊を”浄化”するために少年と接触したはずの天束エインは、いつの間にか──彼とキャッチボールをしていた。

 キャッチボールだけではない。様々な遊びに付き合わされた元天使の息は、完全に上がってしまっている。


「次は何でお姉ちゃんと遊ぼうかなー!」


 そんなエインとは対照的に、元気が有り余ってウキウキな少年。


「今キャッチボールを始めたところなのに気が早いわね。もうオニ……ごっこ? もカクレ……ンボもやったじゃない」

「だって、誰かと遊ぶのって久しぶりだから!」


 そんな喜ぶ少年を見ていると、彼女も何も言えないようだ。


「全く。ここまで来たらとことん付き合ってあげるわよ」


 そう彼女が言った途端、少年がボールを取れずに落としてしまう。


「どうしたの……って」


 少年の腕を見ると、右手の手首から先がすっかり”消えて”しまっていた。


「あ──お姉ちゃん、ごめんね。もうお別れみたい」

「ぼく、何となく分かるんだ。お迎えが来るまで後どれくらいなんだろうって」


「だから、お姉ちゃんに遊んでもらえて、楽しかったなぁ」


 少年の幽霊は無邪気に笑い、天束あまつかエインの方を向く。


「ありがとうございました。やさしい天使のお姉ちゃん」


 彼女は消えゆく少年へ手を伸ばす。


「あ……待って」


 その手を伸ばした先には、もう彼の魂が霧散した後の光の粒しか残っていなかった。──と。次の瞬間。


「何!?」


 低い唸り声のようなものが、彼女の耳に飛び込んできた──。

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