第9話 番外編:二人の行く末

 雨が降った。事あるごとに貯めていたバケツの中をひっくり返したような冷たい雨。二人は・・・ムアバとヴィーチェは行く宛てもなく、それまで住んでいた家に戻った。会話はない、セイムが居た頃の明るい雰囲気もなかった。雨でぬれたウエディングドレスとタキシードがぐっしょりと濡れて重たいまま無言でテーブルに着く。言葉に出すまでもなく、二人の気分は最悪だった。


 今はお互いが信じられない。当然だ。この三ヵ月どころか出会った頃から嘘を吐かれていたのだから。初めは小さな嘘だった。ムアバは自分の公にできない職業を隠し、ヴィーチェは自身の出生を隠した。咄嗟の嘘でも二人の心には後ろめたさはあったため、いつかは話そうと考えていた。ただ問題なのは二人ともだったことだ。両成敗だなんてとんでもない。


自分は相手を許せる立場ではないと真面目に考えてしまっていたのだ。ただそれだけ自分の過去が人に避難されることであると自覚している証拠である。


 ムアバの妹の病気を治すためにと多額のお金が必要で手を出したのが奴隷商売。妹が居なくなってからも続き気づけば何十人、何百人と売ってきた。誰でも交友的に話すため業績も好調であり、同業者に引けを取ることはなかった。口は上手くても体が貧弱では舐められてしまうため、筋トレを欠かさず行ってきた。いつの日か、こんな商売を辞められるようにと願いながら。


 ヴィーチェはジプシーと呼ばれる移民の子供だった。物心ついたころに親に捨てられ、生きるために商売女となったのだ。夜が始まると酒場で露出の多い踊り子の服を身にまとい、下品とも取れる踊りで金持ちの男を誘惑し、体を許してはお金を取る。大抵体がだらしない男は目線を送れば興味を持ってくれるし金を持っているためカモだった。激しい夜とは正反対に昼は、自分の体を綺麗に見せるために行為や暴力などによって出たケガや痣などをチークで隠したり、避妊薬の調達など夜の仕事に対しての準備を行っていた。いつか絶対男どもにやり返して自分の親を殺すために。


 二人とも自分の身の上話をすれば許してもらえるだなんて思ってはいない。互いに愛しているからこそ、畏敬の念を抱いているのだ。そんな張り詰めた空気の中口を開いたのはヴィーチェだった。


「別れましょう」


「・・・」


 ムアバはわかっているけどその択は取りたくないと考えていた分、経験上冷酷な一面を持つヴィーチェの方が速かった。結局、自分が心から愛した男でも男は男だ。でも自分も悪いから甘えたことは言わない。ずっと居てもきっと、お互いをダメにしてしまうから。


「でも、いや、そうだな。別れよう。ごめん、ヴィー。今まで黙っていてごめん」


「いいの、私だって悪いから。バイバイ、ムアバ。楽しかった」


 ヴィーチェは自身の部屋に行き着替えて、生きるために必要な荷物だけをまとめて家を出て行った。ムアバは彼女の部屋でずぶ濡れになったウエディングドレスを抱いて後悔と自責に押しつぶされて人知れず泣いていた。こんなはずじゃなかった。自分の経歴を偽っていただけじゃない、もっとよりよい別れ方があったはずだと。ヴィーチェから切り出させてしまったと。無理やりこじつけるように自分を責めたが、数時間後には荷造りをしていた。


ヴィーチェも泣かなかったわけじゃない。家を出てから中央都市に向かう最中に在りし日を想いもう思い出すことはないのだと、記憶の中の笑顔をもう見られないのだと唇を噛みながら泣いていた。


 ただ二人ともセイムを責めるつもりはなかった。セイムの正体を知り記憶喪失という状態をあらかじめ教えられていたから、否、二人とも実の子供のようにセイムを想ったからこそだ。つまり、あの手紙の背面に書かれていた一行目のことなど気にも留めていなかったのだ。


ムアバとヴィーチェ、二人の一番の幸せは、あのぎこちなく朝食を食べるセイムを眺めていた時だった。だからこそ、セイムに顔向けできるように自分の罪を認め、次へ進んでいくことを決めた。それがセイムにできる唯一のことだと知っていたから。

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