第五章 乖離する因果
凡てを終わらせる。
柚葉を守るために。
娘の命より大事なものなどありはしない。
裡に秘めた思いを本懐させる。
形振り構っていられない。
私がすぐに為すべきことは−−
予めサインされた離婚届を秋彦に突きつけて、
「私と離婚してください。そして娘の親権は私に譲ってください。争うのであれば、裁判でもなんでもしましょう。貴方に娘は預けられない。ランドセルを背負わせて上げたいから」
それと、私は貴方が大嫌いでした。
そう言い残して私は柚葉とともに家を出た。
秋彦は何も言わずに離婚届にサインした。
まるで三行半を告げられることを予期していたみたいに。
愛美が裏で糸を引いているのは判明している。彼女も私を殺害した直後に自殺を図り、タイムリープし、私の動向を予想して秋彦に囁いた。そんなところか。あるいは、既に秋彦と愛美は不倫関係にあり、以前より執拗に離婚して欲しいと言っていたか。可能性を留意しておいても損失までは行かない。
愛美もタイムリープしていることも想定して動かなければ四週目の二の舞になる。
ここからは愛美との頭脳戦に突入と言っても過言ではない。
家財一式を新居に搬入してもらう。荷解きを両親と進めながら方針を決める。
柚葉の安全を確保しなければならない。そのためには心強い味方が必要となる。
そこで私は曲澤を味方にしなければならない。四週目で彼は何時でも自分が味方になってくれるとは限らないと意味深長な発言をしていたので躊躇したが、形振り構っていられない私は曲澤に今までのことを包み隠さず話した。
「大変でしたね」心中を慮ってくれるいつもの姿に私は胸を撫で下ろした。彼だけは変わらないでいてくれる。「最初に話してくれて嬉しいですよ」
今後のことを伝える。
「解りました。兄貴にも話しておきます」曲澤は言った。「おとこ手はひとりでも多くいたほうがいいでしょう? それに離婚されたのですからいいと思いますよ」
「何が?」惚けてみる。
「何でもありません」曲澤は首を振る。「チェック項目はたくさんありそうですから、ひとつずつクリアして行きましょう。皆瀬さんの件もありますから」
そうだった。忘れていた。何回やり直しても恭介に一途な点は惚れ惚れする。それだけ彼が魅力的なおとこであることは同意せざるを得ない。彼に振り向いて欲しいがために小芝居を打って、失敗に終わった経緯があるだけに。
もうひとつ解決しなければならないことがある。
色々なことが有り過ぎて、棚上げにしなくてはならなかった。
私を突き落とした者は誰か。
探偵を雇い、愛美の動向と私たちの警護をお願いした。すんなりと受けてもらえて安心する。警察にもお願いしたいが事件が起こってくれないと彼らは動いてくれないので、愛美が動いてくれるのを待つしかないのがもどかしい。
機先を制せればいちばん良いのだがそんな都合良く行かないので、じっと耐え忍ぶしかない。その間に解決に導きければ警察を動員せずに本人を渡すだけで済む。愛美も黙っているとは思えない。
最悪の結末を迎えるのを防ぐために探偵の調査能力は必要不可欠。四週目でひとりを死なせてしまった責任もある。
下準備は取り敢えず調った。
愛美がどう出るか次第。
二十四時間複数名の探偵がマンションを見張ってくれている。室内には女性の探偵がいてくれる。表向きは柚葉の子守りとしている。
私は誰が守ってくれるのかと言いますと、タイミング良くインターホンが鳴る。探偵−−姫島が危険を考慮して私の代わりに出てくれる。
「芥子家です」低音ボイスがモニターから流れる。「弟に言われて来ました」
「お入りください」姫島は言う。安全面を考えてオートロックのマンションを選んだ。この物件を探すのに苦労した。
数分後、インターホンが鳴る。玄関まで迎えに出る。玄関を開けると真顔の恭介と曲澤が立っていた。
「貴方も来たの」私は言う。
「兄貴が付いて来いと言うので」曲澤は言う。下方へ視線を向けると紙袋を提げている。それは何と尋ねると彼はお土産と言って微笑む。やや間があったのが気になるが、指摘されたことに驚いたのかもしれない。サプライズのつもりだったら申し訳なく感じた私は謝る。曲澤は気にしないでくださいと矢張り微笑みをうかべる。
恭介は無言で私たちの会話を聞いていた。
「仲、いいんだな」そう言って彼は靴を脱ぎ、姫島に促されるままにあとを付いていく。今の反応は嫉妬? いや、その年齢になって、況してや実弟にねえ、ヤキモチ?
曲澤は苦笑いを湛える。姫島が恭介を案内してしまったので必然的に私が弟を案内せざるを得なくなってしまった。
リビングにとおすと曲澤は感歎の声を上げる。
「家賃高いんじゃないのか?」恭介は窓際に立ち、風景を眺める。都心が一望出来るわけだからね。まあそんな反応しますよね。
「それなりに?」見栄を張りたくなるのは人間の性。
「大学の稼ぎでこんな家に住めるとは夢があるな」
「ちょっと、皮肉は言わないで」
「実際そうだろう。俺らの稼ぎでこんな広々とした室に住めない。どんな手を使った?」恭介は振り返る。視線が合う。猛禽類を想起させる鋭利な瞳。その視線が凶器だったら私は六週目を迎えることとなっていただろう。
「慰謝料と養育費」
「旦那の稼ぎ、そんなにいいのか」
「現場叩き上げの人で、そこから這い上がって一部上場企業に転職して、役職持ちですからね。稼ぎは良かった」稼ぎは。それ以外は鼻持ちならない人間だったが。生活に苦労しなかったのは秋彦の頑張りが給料に反映された。そこは感謝している。お陰で私は好きな研究に時間を掛けることを許されていたようなものだった。惜しくない言えば惜しい。柚葉の人生と天秤に掛けた時に大事なのは娘の人生。
「捨てるも惜しい人材だな」恭介は言う。「お前がそれでいいなら何も言わない」
「そう言ってくれると助かるかな」私は言う。
「名前は?」サングラスを外しながら言う。柴田恭兵かよ。
「柚葉」
「いい名前をもらったな」笑顔で柚葉の頭を撫でる。当の本人は知らない男性から頭を撫でられたことに怯えている。顔が怖いのは事実だ。笑っているのに恐怖に感じるのは可哀想な気もしなくはない。「何して遊ぶ?」
「あそばない」柚葉は覚束ない足取りで姫島の背後に回り込む。彼女が来た時から気を許していた。聞けば彼女も子どもがいる。探偵の仕事をしていると会えない日が多いから一緒にいられる細やかな時間を大切にしていると彼女は語ってくれた。
その話を聞いて思ったのは、五週目で彼女を死なせたことを非道く後悔した。
「どうして? 怖いか?」その言いかたが既に怖い。
「うん、こわい。おじさん、おかおがこわい」柚葉は臆面もなく言う。子どもは思ったことをすぐに口にする。「おねえちゃんとあそぶ」
柚葉は姫島を連れてリビングを出て行った。
「嫌われたか?」
「兄貴の顔は殺人レベルだからね」擁護する気のない弟の言葉に兄は舌打ちをする。
「何か飲む?」ふたりに尋ねると、口揃えて、要らないと答える。
「様子見に来ただけだ。長居は考えてない」恭介は言う。「それより皆瀬の件だが」
「そのために来たの?」
「娘の顔を拝謁に来た」我が娘は何時から謁見するくらいの傑物になったのだ。
「中身、見ていい?」私は曲澤に訊く。
「見てもいいですけど、大したものではないですよ」
大したものねえ。
紙袋から飛び出たものは花瓶だった。ブランドものだ。ここのブランドの結婚指輪をもらったのを思い出した。嵌める機会は多くはなかったから秋彦に返還した。
「私が花を活けないの知っててこの仕打ち?」いったい誰の差し金だ。何か仕掛けられているんじゃあるまいな? 花瓶を具に調べていると怪訝な顔をされた。
「不審なものは入っていませんし、仕掛けてもいませんよ」曲澤は言う。
「信じる」
「はい」笑顔で応じる。
「話、いいか?」一段落したのを受けて容喙してくる。「皆瀬の話したいんだが」
恭介が話しはじめようとしたタイミングで姫島がリビングに這入って来る。
「お嬢様、遊び疲れたようですのでベッドに寝かせました」姫島は言う。お飲み物お持ち致しますねと言って、キッチンに進む。戸棚から四つのマグカップを取り出し、頂きものの紅茶をそれぞれに入れる。お湯が沸くのを待っている間に姫島はこれまた頂いたお菓子をテーブルに出す。
表向きは子守りとしているがしていることは家政婦と相違ない。
厭な顔ひとつせず彼女。プロフェッショナルを目の当たりにしている。
お湯が沸き、マグカップに注ぎ入れる。お盆に載せて運んでくる。
私たちは黙って、待っていることにした。テレビを点けようと思い、テーブルに手を伸ばそうとするが、テレビはまだ届いていないのを思い出す。
湯気の立ったマグカップを三人の前に置く。姫島は私の隣に腰を下ろす。
「では、どうぞ」
「どうぞと促されてもなあ。大した話じゃねえんだよ」恭介は足を組む。
「僕は知らない」曲澤は言う。「兄貴しか知らないんだからね」
うるせえと恭介は言う。口の悪さは健在だ。心を開いている証左でもある。
「皆瀬に数日前に呼び出されたんだ。行きたくもなかったんだが、行かないとあとでうじうじ言われそうな気がした俺は言われたとおりに指定の場所に向かった。高級レストランは想像していなかったけどな」恭介は言う。「ドレスコードを無視して向かったから、場ちがいな人間が場ちがいな人間どもと会食する羽目になるとは夢にも思わなかった。皆瀬は両親を連れていた」
「結婚の挨拶みたいですね」姫島は言う。
「実際、そのとおりだった。本当は赤坂の料亭にする手筈だったらしいが、俺が警戒すると予想として六本木を選んだと抜かしてたが、俺がバカな連中がうろついてる場所に行くわけねえだろと思ったが口にしなかった。静島がいた」
そうだろうな。
皆瀬怪童と麻美子が夫婦面している画を想像するが不釣り合い過ぎて笑ってしまいそうだ。
「昔の誰かさんを思わせる行動に俺は吹き出しかけたが何とか怺えた。奇妙な形で静島に会うと思っていなかったし、況してやあの皆瀬怪童の嫁になってるとも思わなかった。人生、何があるか判らないのを見せ付けられた気分だった。胸糞悪かった」
「結婚したいと皆瀬さんはご両親に話したと」私は言う。
「父親は俺らが付き合っていないのを見抜いていた。恐れ入った、感心すらした。けどちがった」恭介は言った。「皆瀬は気に入ったおとこをとにかく両親と会わせて、気に入ってもらえたら正式に結婚前提の交際がはじまるらしい」
「つまりあれ? 皆瀬家のしきたりなの?」曲澤が言うと恭介は頷いた。「まるで芥子家家みたいだ」
「だから断った。皆瀬怪童の眼鏡に適わないんだからな。お暇しようとしたら、静島に止められた。あいつは俺にこう言った。手を引いてくれと。意味が判らなかった」
皆瀬が恭介と付き合っていると言い触らし出したの原因は私か。愛美の術中に嵌ってしまった形だ。皆瀬怪童の次男と婚姻関係にあったのだ、姪を懐柔するくらい造作もない。麻美子を利用して怪童の腰を上げる。愛美の考えそうなことだ。早期に恭介を手籠にすれば私を陥れるのは容易い。秋彦を手放した私が次に取る行動など彼女にすれば単純明快だ。恭介とてひと筋縄で行かないことも織り込み済み。怪童が突っ撥ねることも。
麻美子という手札がある。ジョーカーほどの効力は見込めないがある程度の効果を発揮してくれれば御の字とすれば、どうってことはない。
「静島に訊いた。何から手を引けと。そしたらあいつ何と言ったと思う?」
「游河遊木巴から手を引いて。さもなくば貴方は危急にある、じゃない?」
恭介は眼を大きく見開く。図星のようだ。五週もおなじ時間軸をやり直している利点が最後の最後に効果覿面となるとは。思わぬ僥倖だ。
「危機に瀕することになると言われた。そんなの俺は関係ないから、縁談擬きを破棄してやった」恭介は言った。「あの日以降、皆瀬は接触して来ない。他のおとこでも漁りに行ったんだろうな」
軽々に恭介は言うけれど、その判断は拙かったかもしれない。私は姫島を横目で見る。彼女は何も言わずに頷く。
曲澤は深刻な表情をしていた。視線を合わせようとしても向こうは合わせようとせず、如何に上手く逸らせられるかを考えているような視線の運びかたをする。
「皆瀬さんのこと話してくれて有難う」私はお礼を述べると恭介は無口な口が綻ぶ。
恭介は本当に皆瀬の話をして帰って行った。
曲澤の顔に終始影が差していたのが気になった。
柚葉がトイレと眼を擦りながら起きてきたので娘をトイレに連れていく。
リビングに戻ると姫島は電話をしていた。先刻の話を報告しているのだろう。娘を寝かしつけに室に行く。
柚葉を寝かしつけていると知らぬ間に私も夢に落ちていた。
恭介と関係を築ける日が訪れると思っていなかった。
会う回数が増えるにつれて柚葉も恭介に懐くようになった。遊園地にショッピングモールに行った。何気ない日常が幸せと思うのは何時以来だろう。もう遥か昔に感じる。
愛美にこれと行った動きはない。曲澤も怪しげなムーブは現段階では見せていない。一瞬でも見過ごすまいと彼を監視まがいのことをしているが尻尾を出さないので、彼はちがうのではないかと思いつつある。
愛美の策略とは言え、秋彦が柚葉を殺した経緯があるので侮れない。信じたい気持ちもあるが、どうしても彼自身がずっと味方でいると限らないと発言したことが反芻される。
姫島をとおして細かい報告が入ってくるが何時何時情況が変わるか予想が付かない。気を確りしていないと足元を掬われる可能性は大いにある。
私と恭介が付き合い出すようになったのは柚葉が死ぬ一ヶ月前。厭な時期だなと思いながらも恭介をお父さんと呼ぶようになったのを契機にふたりで話し合って、交際することを決めた。
警護対象が恭介に広がったのは仕方のないことだ。彼は憮然とした態度を取っていたけど、何があってからは遅いと説得してどうにか納得してもらった。
いつものように週末を過ごしているとインターホンが鳴った。この頃にはもう恭介と同棲していたので訪問する人は曲澤くらいしか思い当たらない。恭介は実弟に交際を伏せているので彼が訪ねて来る可能性は著しく低いと見積もっている。
実際、訪ねて来たのは曲澤ではなく、前夫の秋彦だった。
姫島に頼んで追い返してもらおうとしたが、彼は我が物顔で闊歩する。
止めようと試みるも非力な私が秋彦を食い止めることなど出来ず、無力な自分に忸怩を覚え、リビングへの闖入を許してしまう。
終わったと思った。
日常は跡形もなく崩壊する。堰き止められていた水は未曾有の危機によって、放流されてしまう。決壊したダムはものの数分で街を水没へ導く。
「あんたが秋彦か」恭介は首を斜めに向ける。柄の悪さで言えば彼の圧勝だ。非力さで言えば私と大差ない。実験室に引き籠もって日夜研究を繰り広げている人間と飲み歩きつつも筋トレは欠かさない脳筋孕ませ野郎では圧倒的に後者が有利となる。
「お前は誰だ」死んだ眼をした秋彦。半年も経ってないのにこの落魄れよう。そちらの蜜は私が想像しているより甘かったか。愛美の魔手に引っ掛かるお前が悪い。くれてやったものを返品されても困る。クーリングオフは疾うに過ぎているのだから。
「芥子家恭介」恭介はサングラスを外す。「元旦那が未練タラタラか。哀れだな」
「黙れ」低くなりきれない声で言う。変声期を逃したおとこの低音は低音とは言わない。身体を鍛えているのだって舐められないようにするためだし、身体を大きくすれば柄の悪い奴らに絡まれることもない。そう言って秋彦は鍛えはじめた。
「誰に聞いたんだ」恭介は言う。「誰から聞いたんだと言ってるんだ、タコ」
「誰だっていいだろう。お前に関係ない」秋彦は言う。「柚を返せ」
「いまさら何を言ってるの?」私は叫ぶ。「親権者はこの私。私なの!」
「言うんだよ、あいつがさ。俺に言うんだよ。言うんだよぉおお!」秋彦は大声を張り上げる。「柚は何処だ。柚は何処だぁあああああああ」
リビングを手当たり次第に探す。
具に探す。
東京に現れたゴジラが街の破壊に愉悦に感じるように。秋彦もまた自分の領域ではないことを免罪符に。
恭介が止めに入るが持病で虚弱体質の彼では怪獣は倒せない。無様に投げ飛ばされる。ソファの角に後頭部を強打し、呻き声をあげる。そんなのお構いなしに秋彦は探す。
曲澤からもらった花瓶が空中を彷徨う様はスローモーションに見えた。
花瓶は冷蔵庫と派手に接触事故を起こし、短い人生を終えた。
「何処だあ! 柚葉は何処だぁ!」錯乱している秋彦を食い止める術はない。姫島の姿は既にない。柚葉を連れて遠くへ行っただろう。その序でに警察に連絡するよう伝えてあるので時間の問題だ。
「あいつが言うから。あいつが言うから、来たのに。いねえじゃねえか。柚葉を何処に隠したぁああ」秋彦は物凄い勢いで私に近付いて来る。恐怖で身動きが取れなかった。恭介は失神している。打つ手はない。
秋彦に胸倉を摑まれる。近くの壁に叩きつけられる。心臓が飛び跳ねる感覚がした。
「正直に話せ! 柚葉は何処だ!」充血した眼は生気がなく正気ではない。ドラッグでもやっているのかと疑ってしまうほどに錯乱している。愛美はいったい彼に何をしたの。「話せ! あいつに言われたんだよ。言われて来たんだよ」
「何を言われて来たの」声を振り絞る。か細い声だったが秋彦に聞こえていただろうか。「殺せってなあ! 柚葉を殺すよう言われて来たんだよ。ははははは」
高らかな笑いが無情に響く。景色は奇麗だと言うのに、この有様はなんだ。
何がどうなっているんだ。どんな道を辿っても結局はこうなるの運命なの。
どれだけ頑張っても愛美が一枚上手なの。
綿密に計画を立てた愛美が最後に笑うシナリオになっているの?
神様はこんな人間の心がない脚本を笑い転げながら書いてしまえると言うの?
五週目こそは、五週目こそはと望んで、挑んだと言うのに……
漸く大切だと思える人とどうしても貴方じゃないとダメと思える人と結ばれたと言うのに……
幸せになることは私は許されないの……
「手を挙げろ!」
「あぁん? 誰だてめえら」胸倉を摑む力が緩み私は滑り台を滑るように壁を伝う。
意識が朦朧するなか視線を向けると拳銃を手にした警察がリビングにいた。
夢、ではないかと思ったが間に合ったのだ。
安堵感で満たされた私の意識は遥か遠くへと誘われる。
眼が醒めると見知らぬ天井だった。
カーテンは引かれていない。
顔を横に向けると姫島がいた。
「游河さん、大丈夫ですか」瞳を潤ませながら彼女は嬉しそうな顔をする。室を出て行った。ナースと医者を呼びに行ったのだろうと思いきや、這入って来たのは刑事だった。
「大丈夫ですか、游河さん」姫島とおなじ台詞を吐く。
「痛みは残っていますが」私は答える。意識ははっきりしている。
医者とナースが這入ってくる。容体の確認をする。
「どれくらい眠っていました?」
「ざっと十日ほどですね」医者は言う。「お相手さんの意識は回復していません」
私より非道い状態だったから覚悟してはいた。死んでいないだけラッキーとしておこう。
「聴取は十分に留めてくださいね」医者に釘を刺される。刑事は解りましたと渋々頷く。姫島は涙を流していた。私としては貴女に何もなければそれでいい。
「秋彦はどうなりましたか?」
「現行犯逮捕しました」刑事は言う。「茫然自失の状態でしたが洗い浚い白状したのですが、名前を口にしないのです」
「名前ですか」秋彦は愛美を売らなかったのか。
「難航とまでは行かないのですが、少々手間取っているのは確かです」
「娘は大丈夫ですか?」
「私の家で預かっています」姫島は答える。安心した。
「変なことを伺うのですが」と若い刑事は前置きをする。「ティファニーの花瓶から盗聴器が出て来たのですが、ご存知でしたか?」
彼の言葉に今までに体験した記憶がフラッシュバックする。
点でしかなかったものが線で結ばれる。
「そういうことだったんだ」
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