第二章 病理する因果

 二周目は一周目の反省を活かし、ルーティンを変えずに生活してみることにした。その結果、死ぬ前とまったくおなじ結末を迎えるに到った。

 三周目は一周目に少し変化を加えてみた。柚葉は皆瀬綿雪わたゆきに殺されずに済んだのは良いものの、夏本番の八月に家族三人で万全な対策をした上で海に出掛けた。気温が最高潮の時間帯から雲行きが次第に怪しくなるのを見て、胸騒ぎがし出した。

 厭なことが起こる予感がした。私の予感は見事に中った。凪いでいた海が天候の悪化と共に荒れ出した。浜辺で砂のお城を秋彦と建設していた。すぐに砂浜に引き返せば良かったものの秋彦の判断が遅かった所為で柚葉だけが波に攫われてしまった。

 秋彦が救けに向かおうとしたが近くの人に止められた。予期しない大荒れで数十人の死者と行方不明者を出した。

 柚葉を悼むことすら出来なかった。夫婦関係は急激に冷えた。毎日のように喧嘩をし、次第に秋彦は家に帰らなくなった。帰って来ても暴力を振るわれ、罵声を浴びせられる。一周目、二周目より悲惨な情況に見舞われた。

 柚葉の死を契機に家庭も夫婦関係も崩壊してしまう。

 秋彦は二度と顔を出すことは無かった。あのおとこは屑の搾りかすと化していた。私が次にあのおとこの顔を観たのは画面のなか。見るも無惨な姿を全国放送で晒していた。

 私はと言うと大学に行けないほどに窶れてしまった。

 廃人になってしまった。

 そのまま餓死した。

 三周目がいちばん辛く、精神的に堪えた。


「悲惨でしたね」煮詰まったコーヒーを平然と出してくる辺り、曲澤の学習能力の無さに拍手を送りたくなる。彼だけが唯一何も変わっていない。安定すらしている。「二周目はまだしも、三周目の僕、無能を極めてますね」

「曲澤くんは本当にタイムリープしてないの?」

「してないですよ。していたら真っ先に言いますって」曲澤は言う。「そんな面白いことが自分の身に起こっていたら。当然じゃないですか」

 それもそうか。一週目の彼も論文を精査していたくらいだ。興味を抱くのも当然。抱かないほうが不思議だ。

「不味いコーヒーを出すの何時直るのかしら?」

「治りそうにはありませんね。自分で言うのはなんですが」開き直ったように曲澤は言う。「一周目の失敗の原因は僕にありそうですね」

「貴方の所為とは限らない」私は言う。「皆瀬さんが耳を欹てていた証拠がない」

「そうですけど、兄貴のことをうっかり話してしまったことが失敗に繋がっていると仮定した場合、僕が余計な話を振らなければ先生も娘さんも死ななかった」

「皆瀬さんが私を殺害する動機が芥子家准教授と交際していた、だとしても、怪訝しくない? 皆瀬さんはセクハラを受けていると発言したあとに、芥子家准教授を出した。ふたつの話に関連性はない」

「セクハラと言い寄られているを紐付けるのはこじつけに等しいですね」

「そうでしょう? 言い寄られていると言っていたに過ぎないのに、彼女は貴女の所為でと言った。変じゃない? それに数学科の彼女が」

「数学科? 皆瀬さん都市開発ですよ」

「は? そんなはずない。え、四周目は都市開発なの?」

「早とちりしないでください。皆瀬さんはずっと都市開発です」

「嘘を吐いていたの?」

「そういうことになりますね」

 何のために嘘を吐いたの。

 私に数学科と偽る必要はない。では誰のために嘘を?

 ぱっと思いつくのは芥子家。けど彼は応用科学だ。分野がちがい過ぎる。

「兄貴に言い寄られているという発言は嘘かもしれないですね」曲澤は言う。

「彼女の狙いはお兄さんではなくて貴方だと言いたいの?」

「想像力豊かですね。彼女は僕と兄貴が血縁関係にあるの知らなかったんですよ? 兄貴が僕の名前を出すとは思えないので知らなくても当然ではありますけど、先生に話しているのを踏まえるとあの人は正式な関係にあり、信頼出来ると確信しないと話しませんから、皆瀬さんは信頼に足る人に認定されなかったのだと思います」曲澤は推論を述べる。

「皆瀬さんの狙いは私にある……?」

「憶測の域でしかありませんね」曲澤は肩を竦める。「ただ、そうですね。皆瀬さんの身辺を洗うのはアリかもしれないですね」

「警察がするようなこと、一介の研究者に出来るわけないでしょ」

「そうですよねえ」曲澤は苦笑いをうかべる。

「そうよ。探偵に頼むわけにも行かないし」

「とある時間軸をループしているんですけどと話しても間に受けてくれるとは思えませんし、五周目以降繰り返さないとならないわけですから。先生にただただ負荷が掛かるだけです」

「記憶は引き継がれるけど、他の人はリセットされる」

「ネックはそこです。観測者が他にも存在するのであればアプローチが変わって来ますけど、そうではないじゃないですか。どうも僕は何回説明されても理解出来る特異体質のようなので、今のところなんとかなっていますけど。必ずしも僕が協力的になってくれる保証はありません」


 秋彦は一週間出張で家を空けることになった。本来行くはずだった人が忌引きで行けなくなり、秋彦が代理を務めることになったのだと言う。大事な商談なだけに秋彦は頭を抱えていた。どうもその人は交渉の魔術師と呼ばれるほどに、大きな商談を纏めて来ると秋彦は自慢げに語っていた。

 秋彦も以前は営業のエリートとして重宝されていたと話してくれたことがあるが、彼は秋彦以上で彼がいないと話が纏まるか不明瞭だと言っていた。

 会社的にも今抱えている商談は来期に向けて重要なものになると踏んでいるらしく、この商談が成功するか否かで戦況が大きく変わると話していた秋彦の表情は日常的に見ている彼とちがっていた。

 仕事してい時の顔は見たくても見られるものではないから貴重だった。

 秋彦が不在の一週間で彼の身辺くらいは洗えるだろうと思ったが、収穫はなかった。結婚式の招待客から芋蔓式に調べてみたり、過去に付き合っていた人の身辺を調査したが、人が住みはじめる前の真っ新な戸建てみたいに真っ白だった。

 私に探偵の真似事は無理だと悟り、本業に一任することにした。

 調査は年末までと指定し、不穏な動きがあればその都度報告してもらえるように取り決めた。

 本格的に調査がはじまって一ヶ月が経過したが探偵からの報告はない。


 週末、学生時代の友人と食事会をした。数十年振りに会うと年相応に年齢を重ね、昔の面影はなかった。

 時間が空くとその間に何があったかを三時間掛けてそれぞれがプレゼン形式で語り合う。貴族の社交場を彷彿とさせる。人間は自分の書いた小説を黙読するのではなく音読したくなる。見栄であったり、優劣を付けたがったりする生物だ。

 遺伝子に闘争本能が組み込まれているのだから諍いが絶えず存在するのもあたりまえの帰結だ。この食事会だって裏を返してしまえば戦争のようなものだ。領土を奪い合わないだけ平穏なだけで。

 人生を言い換えてしまえば戦争になる。

 蹴落として蹴落として、摑みたい冠を獲得する。そのくだらない争いを死ぬまで競い続ける。

 浮気にしたってそうか。秋彦は私に飽きたのだ。飽きたからより新鮮でより逞しくより美しい花を手にしただけで、おとこの生物本能として正しいのかもしれない。

「遊木巴は夫婦関係どうなの?」麻美子は私に問い掛けて来る。嘗てはプリマドンナなどと誉めそやされていた彼女も厚化粧の権化と化すのだから、美醜は大したものではないことを教授してくれる。美しい形態を維持したいから表面ばかりを取り繕い、内面は黒黒しく覆われていく。そんな恥部を晒す生き様を子どもに見せたくないものだ。

「どうって、変わりなく楽しく過ごしてるよ」例文みたいな発言が気に障ったのか麻美子は露骨に目の色を変える。麻美子は夫婦関係良くないのか勘繰ってしまうではないか。まあ深く突っ込むことはしないけれど。麻美子はヒステリーを起こすと手がつけられない。プライドが高く、スポットライトを浴びていないと気が済まない。スポットライト症候群と呼ぶんだっけ?

「遊木巴が家庭を持つとは思ってなかった」鈴音は言う。余計なお世話だ。「生涯独身を貫くとばかり思ってたから」

「そういう鈴音だって、恭介と結婚すると思ってたけどなあ」厭味のひとつくらい言ってやらないと腹の虫が治らない。

「恭介と結婚する話出たんだけど、浮気されちゃってねえ」過去は疾うに吹っ切ったと言わんばかりに鈴音は明るく言う。

「浮気されたと言えばさ、愛美、話しなさいよ」お局みたいなことをし出す麻美子。集団の輪のなかで中心にいないとプライドを保てない小心者さ嫌いではない。

「厭よ。そういう麻美子さんもご大層な不倫劇を繰り広げてたよねえ」愛美は反転攻勢に打って出る。「知らないとでも思った?」

「ちょっと何を言い出すの、愛美。みんなの前で話すことではないでしょ」麻美子の表情が引き攣る。「何もなかったことにしてとあれほど言ったじゃない」

「何もなかったことに出来るはずないでしょ」愛美は泣きそうになる。「貴女の所為でどれだけ辛い思いをさせられたか」

 事情を知らない私たちは顔を見合わせるしか出来なかった。話の先行きを指を咥えて給仕されるのを待つのみ。

「貴女がもっとご奉仕すれば良かった話でしょう。どうして私が非難を浴びないと行けないの?」麻美子は悪怯れることなく愛美が悪いと暗に示す。

「だからってうちの旦那を絆して虜にして良いわけないでしょ。食事会を開いたのも、鈴音たちの前で恥をかかせるのが目的でしょ。前夫より良い旦那を掠め取れたことを自慢したいがためにくだらない食事会を開いた。そうでしょ」愛美は感情のバルブを凡て開ける。行き場を失くした感情がグラスから溢れるのも仕方ないことなのかもしれない。場が騒然とするのも当然の成り行きだった。

「愛美を貶めようなんて思ってない。ただ久し振りに仲の良かったみんなと会いたかっただけよ。愛美こそ被害妄想が過ぎると思うけど」麻美子は言う。「私に八つ当たりするのではなく、貴女もいいおとこを捕まえれば済む話」

 麻美子はマカロンをひと摘みにし、愛美を見下ろすように口に運ぶ。

「不倫を受容しろと言うの⁉︎」顔を紅潮させる。「貴女みたいにふしだらなおんなに成り下がりたくないわ」

 帰る! 愛美は大見得を切って、高級バッグのなかからブランドものの財布を取り出し、お釣りは要らないと言って、万札を五枚テーブルに置いて、リズミカルにパンプスの音を響かせて帰って行った。

 残された私たちは苦笑いをただうかべるのが精一杯だった。


 食事会から三日後愛美から食事しないかと連絡が来た。波風が立っただけでお開きとなった食事会の埋め合わせをしたいと。断る理由もなかったので私はいいよと返信した。仕事をいつもより早く切り上げて、バスに乗って待ち合わせのカフェに向かった。

 他に誰が来るのか尋ねると私だけだと言う。

 麻美子は呼ばないだろうと予想していたけど鈴音を誘っていないのか。食事会でひと言も話さなかったりん子も。私だけに搾ったのは何か理由がありそうだ。

 食事会直後に探偵に追加で私の友人たちの身辺も調べてもらうことにした。

 愛美の口から出た麻美子の不倫話は裏がありそうだし、何より彼女の苗字に驚いた。

 愛美から詳しい話が聞ければそれはそれで問題ないが、突っ込んだことまで聞き出すのは難しいと読んでいる。

 私の行動ひとつでこうも展開が変わるのは既存のタイムリープに違反しているのではないだろうか。手当たり次第に一定の時間軸を繰り返す映画にドラマ、小説、漫画を片っ端から精査した。物語に登場するものの大半はおなじことを繰り返すなかで解決していくものが多かった。

 もっと掘り下げていくと『リープもの』と『ループもの』と分けられるようだ。『時をかける少女』も時間を移動する作品だったのを思い出し、少し調べてみた。かの名作は時間跳躍に分類され、タイムリープと呼べる。

 それに対して私はループしているからリープとは言えないように感じる。

 ループしていると言っても私の選択ひとつで結末が変更される。これを時間遡行だ、時間跳躍とおなじ括りにして良いのだろうか。

 観測をもう少し進めてみるが……

 現実で創作で描かれるようなご都合は早々起こるものではないようだ。

 記憶が引き継がれていようと敢えておなじ行動してみたが結末は変わらなかった。物語上では少しだけ捻じ曲げることをしていたので私もその方法を試してみても良いのかもしれないと思ったが、選択ひとつで切り開いていくほうが性に合っているように感じる。

 店内で待っていると思っていたら愛美は店の前で待っていた。

 私の姿を認めるや愛美は大きく手を振る。

「店内で待ってて良かったのに」私は言う。

「サプライズってことで」愛美は良く判らないことを言う。「どうしても遊木巴に伝えたいことがあって」

 私に伝えたいこと……?

「言いづらいこと?」

「言いづらいと言えばそうかもしれない」愛美は口を歪める。「会えば解るか」

 会えば解る?

 彼女は何を言っている。

 胸騒ぎがする。

 唐突の事態に心拍数が跳ね上がる。

 店内に這入る。店員さんが元気な挨拶をしてくれるが遠く聞こえる。愛美に案内される。ボックス席だった所為で誰がいるか判然としない。

 心臓の音がさらに強くなる。誰かに心音が聴かれていないか心配になる。

「秋彦くん−−」

 意識が遠のいていく。

 ボックス席から顔を覗かせたのは確かに。


 馬木田まきだ秋彦だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る