荘周之夢(中)
*****
「あ……」
虚を突かれると伸ばした肘に痛みが走って同時に持っていた木の枝を落とした。
「ほら」
同じように木の枝を手にした北周が苛立った声で続ける。
「あんた、いっつもここで間違えるよ」
私たちをよそに豹紋蝶はまだ咲き始めの萩の枝先に止まった。
「腕が痛いんで」
近頃少しだけ目線が近くなった年上の朋輩に告げる。
この世界での私はまだ満年齢にして十三歳なので初潮も来ておらず背も伸び続けている。
最近、また明らかに丈が大きくなり、手足が痛む。
長身の北周は眉根に皺を寄せたまま黙り込む。多分、この人にも成長痛には覚えがあるのだろう。
「少し休みましょう」
こちらの言い掛けに相手は黙って木の枝を手にしたまま独り舞い始めた。
これがこの人の“勝手にしな”という意味での承諾だ。
「ほら、あの人たちにも」
不意に庭に面した廊下の奥から声が届いた。
私と北周の二人はそちらを見やる。
中背程度だが、薄桃色の肌をした目の細い丸い顔に胸も尻も一際ふくよかな体つきをした、何となく体全体が
これは
こちらも良く似た濃桃色の
しかし、大体いつも二人でいるので「二伯」と一組にして呼ばれている。
正直、「二伯」というより「
こちらも迎える形で近付いて、二伯と南北の周で向かい合う配置になった。
バニラじみた甘ったるい蘭の香りが微かに鼻先を通り過ぎる。
これはこの姉妹に近寄るといつもする匂いだ。
私の正面に立つ朱い耳環の姉が至極おっとりとした調子で――その様を目にすると、育ちの良い人だと嫌でも判る――切り出す。
「私たちは今日でこちらのお勤めを終えることになりました」
濃く長い睫毛に覆われた細い目は柔らかに笑いの形を作り、ふっくらした頬に笑窪を刻んではいるものの、何だか苺大福の顔に出来た三日月形の穴と皺に見えた。
「皆さんもどうかお元気で」
これもまた三日月型に二つずつ穴と皺を入れた苺大福じみた顔になった妹も言い添える。
「はいはい」
北周は鴛鴦の簪を挿した小さな頭を横に振って付け加えた。
「早めに帰れるお宅のある方は羨ましいですね」
姉妹の顔が並んで笑ったまま凍り付いた。
だが、次の瞬間、朱い耳環の姉が微笑み直す――正確には細い目にはどこか憐れむような色を浮かべて薄桃色のふくよかな頬に笑窪を刻み直した。
「だから大事にするのよ」
飽くまでのびやかな姉の声に隣の妹もまた安堵した風に微笑み直して続けた。
「帰れる家と待っている父母をね」
向かい合う私たち四人の間を風が通り抜ける。
ひところの暑さが消えた代わりに乾いた、通り過ぎた後にうっすら肌の粟立つ肌触りだ。
「それでは、ごきげんよう」
これで本当にお
ふわりとバニラじみた香りが最後の名残りのように鼻を通り過ぎる。
黒々とした髪を豊かに結い上げたやや大きな後ろ頭といい突き出た大きな臀部といい、後ろ姿になると去っていく姉妹はますますそっくりになった。
と、青い耳環をした方の後ろ頭が言い放つ。
「だから、あの人たちに言うのは嫌だったのに」
“あの人たち”と一組にした呼び方が北周と並んで立つこちらの耳に
後ろ姿の小伯は耳から下げた青い玉を激しく揺らしながら続けた。
「生まれの
福耳を飾る朱い玉を静かに揺らした後ろ頭が制す。
「およしなさい」
尖った妹の声を窘める姉の声には優越感より苦い憐憫が滲んでいた。
隣を見やると、北周は象牙色の小さな面に冷ややかな笑いを浮かべたまま幾分背の伸びた私よりもなお長身の、手足の長い、しかし、女性にしては胸も尻も薄い姿を誇るように立っている。
ふと振り向くと、先ほど蝶が留まっていたはずの萩の枝にもうその姿は無かった。
赤紫の花が開き始めた藪の向こうに屑入れの籠を背負って日焼けた小さな
その小さな手より少し上を豹じみた紋様の蝶はひらひらと乾いた風に乗るようにして飛び去って行った。
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