母女之夢

「この娘にしよう」

 綻び始めた花々の甘い匂いを含みつつまだ肌には微かに寒い風と共に桃の花弁がちらちら舞い落ちる村の広場。

 呉から来たという兵士たちの内、四十路よそじの隊長らしい身形の一番立派な男がこの世界では十四歳を迎えた私の前で軍装の足を止めてゆっくり微笑んだ。

「少し幼過ぎるのでは」

 付き添っていたこちらは三十半ばの副長らしい男がこちらの顔から薄べったい胸、小さな尻の体つきまで眺め回してから問い質す。

「その方がこれから芸や作法を仕込む点では良い」

「それもそうですね」

 品物のように評される私をよそに一列に並ばされた同じ村の他の娘たちに無言のまま安堵の気配が漂うのを感じた。

 遠巻きに観ている村の人たちの中でも我が娘が選ばれなかった家族は胸を撫で下ろしている。

 隅の方でガクリと膝を着いた私の母はこちらを呆然と見詰めていた。

 東施のおばさんが隣に屈んで労るように母の肩に手を置いている。

 その傍らでは、村の娘たちで唯一並ばされなかった、年の頃は十六、七の東施大娘がやはり屈み込んで浅黒い手の太い指に綾取りの紐を掛けてぼんやりと我が両手の狭間に絡まった模様に見入っていた。

「お前が母親か」

 私の背を押して歩きながら隊長(正確な位階は判らないが取り敢えずは村に来た軍隊の中ではトップらしい人)は膝をついてまだ十四歳――といっても数え年なので今の満年齢に直せば十二、三歳――の姿をした娘を見詰めている母に近付いて尋ねた。

 武器を帯びた異国の男たちが歩み寄るにつれ、東施の母娘を除く村の人たちは水が引くように後退あとずさった。

「はい」

 春の柔らかな陽射しに照らし出された母の顔は急に十歳は老けたように蒼ざめ、陰になった娘と兵士を見上げる目は虚ろであった。

 隊長は鷹揚な風に私の肩に手を回して叩いた。 

「娘はこの度我らが大王様が蘇台に新たに建てられた宮殿に仕えることに相成った」

 こちらを見詰める母の瞳が空虚なまま奥に闇が広がっていく。

 未来の日本なら癌で余命半年と告げられた人はこんな表情をするかもしれない。

「こちらが身受けの俸銭ほうせんである」

 懐から出した皮袋を母の前に投げる。

――ガシャ、ガシャ。

 解けた皮袋の口から鈍い黄金色に輝く銭貨がこぼれた。

 ホーッと後ろに退いた村の人たちから驚きとも恐れともつかない溜息が上がった。

 これは呉の国の貨幣で総額にすれば恐らく村人にはかなりの大金なのだろう。

「ピカピカだあ」

 それまで綾取りの紐の模様に見入っていた東施のじょうさんが網目から抜いた、ふっくらと大きな赤ちゃんじみた色黒の右手を伸ばす。

「それは他所よその人のだよ」

 制したのは東施のおばさんだ。

 母は急に弾かれたようにせかせかと砂埃の立つ地面から銭貨を拾い集めて皮袋に戻して固くその口を締める。

 これが私の代金なのだ。

 母がこの村で一人暮らしていくには恐らく十分すぎる程だろう。

 そう思ったところで、母はまるで奉じるように今しがた自分に投げ落とされた袋を掲げた。

「隊長様」

 まるで命乞いするように声を振り絞って続ける。

「うちの子は村でも貧しくいやしい育ちにございます。呉の大王様の宮殿にお仕えするような器量などとてもございません。よそに相応しいかたがいくらでもいるはずです」

 桃の花弁が音もなく漂い落ちていく中で涙に震える声を聴いていると、この世界ではもう母に会えない、これが別れなのだということが分かって来て手足が震えてきた。

 お母さんが一緒だから何とかこの世界でもやって来られたのに。

 不意に横からグッと二の腕を掴まれる。

 振り向くと、先ほど私を貶した副官が駄目だぞという風に見下ろしていた。

田舎婆いなかばばは物知らずだのう」

 ハハハ、と跪いている母とさほど変わらない年配に見える隊長は笑い飛ばす。

「大王様がこの辺りの娘を一人は選べ、と仰せなのだ」

 慈悲を垂れる語調で続けた。

「ご寵愛の越女えつじょの一人が死んで、もう一人が寂しがっているのでな」

 ゲームの鄭旦のたおれる場面が浮かんだ。

 ただ、今、この世界の私は鮮やかな青の衣装を纏って剣で舞う女侠や艶やかな緋色の服を来た傾国などではなく粗末な身なりに丸腰の村娘だ。

 すぐ眼の前に跪いている母との間には雪の代わりに優しい薄紅の花びらが一枚、また一枚と落ちてくる。

「この娘の働き次第ではその袋のかねどころかここにも御殿が建とうというものさ」

 隊長がどこか猥談めかした口調で語って私の肩をまるで西瓜の中身でも確かめるようにポンポンと叩くと副官や他の兵士たちもどっと笑った。

 私と同じく丸腰で村人の中でも粗末な服を着た母はガクリと力を失ったように銭袋を掲げていた腕を下げる。

 桃花散る村の広場に呉から来た見知らぬ男の声が響いた。

「皆、ご苦労であった。これにて我らは発つ」


*****

 着の身着のまま、隊長と副官に挟まれる格好で馬車に乗り込んだ。

 昔(といってもこの世界からすると、二千五百年先の未来の日本での話だが)、ネットで見た中国の死刑囚もこんな風に刑務官に挟まれて刑場に輸送されていたのを思い出す。

 最後は郊外に行って頭を銃で吹き飛ばされるような、広大な国にあってはちりほこりのような扱いの死だ。

 まあ、この時代なら一発で頭が吹き飛ぶ銃なんて西洋伝来の文明の利器はまだないから刀で首を斬られるとか槍で刺されるとかだろうな。

 すぐ前に繋がれた土と汗と糞尿の入り混じった馬の臭いのする空気を吸って吐き出していると、そんな死が自然の一部のように思えてくる。

「あの子はどこに行くの?」

 東施の一人娘はいとけない口調だが既に大人のそれに変じた声で尋ねた。

「あの子はね、器量良しで心映えの良い子だから夷光いこうちゃんと同じ立派なお城に行くんだよ」

 東施のおばさんは精一杯の笑顔で答える。

「夷光ちゃん」

 村一番の醜女と嗤われる娘は淋しげな声でその名を口にした。

い娘はい所に行けるの」

 こちらにも聞かせる風に語るおばさんの声は語尾に行くに従って震える。

 横に座り込んだままの母はワッと泣き崩れた。

しゅうのおばさん、泣いてる」

 東施大娘は無心なドングリ眼でその様に見入る。

「出せ」

 私のすぐ隣で冷厳な声が告げた。

 ピシリと鞭打つ音が一瞬、春の午後の生温い空気を切り裂くように響くと、馬車が走り出す。

――ガタゴト、ガタゴト……。

 振り向いたままの視野で銭貨の詰まった皮袋を前に泣いているお母さんと茫然とこちらを見詰めている東施母娘、そして少し離れた場所で一難去った風に安堵した面持ちで身を寄せ合っている村の人たちが遠ざかっていく。

「待て!」

 突如、東施の娘が叫ぶと肥った体で転げるように駆け出した。

「待てえっ!」

 離れた場所からも一際目立つ大きな瞳からボロボロと大粒の涙を溢しながら、彼女より二、三歳下の少女の姿をした私の乗った馬車を追ってくる。

「バカ! およし!」

 叫びながらやはり走ってきたおばさんと顔を真っ赤にした私のお母さんの二人がかりで自分たちより大きな体をした哀れな娘を押さえ付けた。

「待でえええっ!」

 東施大娘は臆することなく武装した男たちの乗った馬車に向かって叫び続ける。

「もういいの、復輝ふっきちゃん」

 視野の中で小さくなっていく私の母が心は幼子で止まった他家の娘を抱き締める。

「随分と馬鹿な女だなあ」

 腰掛けても私より座高も大きい両隣から嗤う声が降ってきた。

「ありゃ死ぬまで変わらんだろう」

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