第7話

 もう助からない。

 そう思って目を瞑るが、唇には一向に何の感触も感じなかった。

 おかしく思って目をそっと開けると、前にあったのは先輩ではなく、龍太郎の後ろ姿だった。


「りゅーちゃん…?」


 私の呼び掛けに応じて、龍太郎はこちらを振り向くことなく、


「遥、遅くなってごめん。」


 と呟いた。

 その声色には申し訳ないと言う気持ち、間に合って良かったと言う気持ち、そして静かな怒りを孕んでいるような気がした。


「りゅーちゃん…?へぇ、じゃあその子が遥ちゃんの幼なじみ君か!」


 龍太郎の奥で、先輩がゆっくりと立ち上がっていた。

 よく見ると、口元に血がついている。


「遥、ここは俺に任せて先に校門のところで待ってろ。」

「え、でもりゅーちゃん…」

「早く!!」


 龍太郎の声に背中を押されるように、私は校門に向かって一心不乱に走った。

 龍太郎を待っている間、私は気が気でいられなかった。


 日も沈みかけて空が暗くなってきた頃、龍太郎は帰ってきた。

 顔の至る所に殴られた痕がついている。

 余程酷い喧嘩だったのだろう。

 それから暫く歩き、無言のままいつもの神社前の階段を上り、境内に並んで座った。


 もっと早くに、龍太郎の言うことを聞いていればよかった。

 いつかはこうなると分かっていたのに、だらだらと関係を続けてしまった私への苛立ちと、龍太郎への申し訳なさで、前が向けなかった。


 すると突然、ひやりと冷たい感触が首筋を襲った。


「ひゃっ?!」


 思わず叫んで後ろを振り向くと、ジュースを右手にもった龍太郎が立っていた。

 いつの間にかジュースを買いに席を外していたらしい。


「ちょっと、びっくりするじゃない!」

「いや、そんな驚くとは思わんだろ。」


 笑いながら龍太郎は私の隣に座る。

 カラスの群れが鳴きながら、薄暗い空を横切る。

 少しの気まずさを残しながら、私はぎこちなく龍太郎に話しかけた。


「ねぇりゅーちゃん、その傷…」

「ん?あぁ、見た目だけでそんなに痛くないから気にすんな。」


 龍太郎は全く気にしていないという様子で、あっけらかんと言ってみせた。


「いや、そういう事じゃないんだけど…」

「え?」

「…ごめん。」


 私は下を向いたまま言った。


「もっと早くにりゅーちゃんの言うことを聞いてたら、こんな事になんてならなかったのに…痛っ!」


 下を向いていると、龍太郎に頭を小突かれた。


「お前が謝ることじゃないだろ。」


 龍太郎は真面目な顔で言った。

 龍太郎が、あまりに真剣な顔だったので、私は龍太郎から視線を逸らすことが出来なかった。


「確かにもう少し早く気づければよかったけど、結局はお前に手を出した神谷先輩が悪いんだ。まぁ、怪我とかが無くて良かったよ。」


 龍太郎は少し頬を赤らめて言った。


「その…まぁ、何回でも守ってやるから。」


 龍太郎のクシャッとした笑顔を見た時、私は確信した。


 私は、また恋に落ちたんだ。


 それに気づいた時、龍太郎にどうしても触れたくなって、龍太郎の胸に顔をうずめた。


「何でそんなにクサい言葉しか言えないのよ…っ」


 その一言を皮切りに、私は思い切り声を上げて泣いた。

 気づくと、空が真っ暗になっていた。

 いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。

 ふと横を見ると、龍太郎は横になり、こちらを向いて眠っていた。

 静かに寝息をたてている龍太郎の顔がどうしても愛らしくて、私は龍太郎を少し抱き寄せた。


 龍太郎の頬に手を置き、そっと額にキスをした。

 

「龍太郎、好きだよ。」


 分かっていた事なのに、いざ口に出すとやはり恥ずかしい。

 私はそれをかき消すかのように、龍太郎を叩き起した。


 飛び起きて背中をさする龍太郎を横目に私は、


「もう帰るよ。」


 と龍太郎の手を引いた。


 その後、龍太郎には何の罰もなく、神谷先輩は入学が決まっていた高校への進学が中止になった。



 そこで目が覚めた。

 どうやらあの時の夢を見ていたみたいだ。


 

 結局、私は今まで龍太郎に気持ちを伝えることが出来なかった。

 好きだと言ってしまうと、今の関係が崩れてしまうかもしれないから。

 事実、私が告白した時も私の事を友達だと思ってたって言ってたし。

 でも、もう手加減しない。

 今までよりももっと距離を詰めて、嫌でも私の事を意識させてやる。


 私は顔を洗いながら、洗面台に着いていた鏡を見つめ、頬をぱちんと叩いて気合いを入れ直した。

 リビングに戻って朝ごはんを食べていると、お母さんがニヤニヤとこちらを見つめている。


「…なに?」

「いや、昨日何があったか知らないけど、龍太郎君と頑張ってね!」


 とウインクしながら言う。

 昨日の事を思い出し、私の顔が無くなるのが分かる。

 私は両手で顔を覆いながら、部屋に戻って制服に着替え、急いで家を出た。

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