婚約者の密会現場を家族と訪ねたら修羅場になりました

kouei

婚約者の密会現場を家族と訪ねたら修羅場になりました

「ここね…」

 私はメモに書かれたアパートメントの一室の前に立っていた。


 心臓の鼓動が耳の側で鳴っているようだ。

 緊張のあまり、扉を叩こうとしている右手が震える。

 私はゆっくり深く息を吐いてから、扉を叩いた。


 トントントン


 暫くすると扉が開いた。


「はい…!…な、何で君がここに…」


 出てきた男は私の婚約者だ。

 髪は乱れて、ボタンを留めていないシャツからは薄っすらと汗ばんだ胸元が露わになっていた。

 

 私を見て驚く彼に構わず、部屋の中に入って扉を開けて行った。


 二つ目の扉を開くとベッドに女がいた。

 天蓋の向こうには…

「…!!…」

 私は言葉を失った。


「フォ、フォルティ…これは…」

 私の動きを止めるように肩に手をかけてきた婚約者。


 バシ!!

 私は、振り向きざまに彼の頬を思い切り平手打ちした。


「触らないで! 汚らわしい!!」


 私はこの不快な部屋を早く出たかった。

 なのに婚約者が私を引き留める。


「待ってくれ!」


「触らないでったら!」


 抗っても私を逃がそうとしない婚約者の手を振り切った瞬間、バランスを崩した私は部屋にあったテーブルの角に頭を強打。


 ガツッ!!


 薄れゆく意識の中、自分がこのまま死んでいく事を感じていた。


 何で私が死ななければならないの…?

 悪いのは彼とあの女なのに!



 !!!絶対に許せない!!!




 ―――…眼を開くとそこは、彼がいるアパートメントの部屋の前だった。




 何?! どういう事!?


 私は思わず持っていた鞄を落としてしまった。


 中から人が来る気配を感じた。

 私は慌てて鞄を拾い、部屋の角を曲がり壁際へ身を隠した。


 ガチャリ


 扉が開いた。


「…あれ? 気のせいか…」

 彼はまた部屋の中へと戻り、扉の閉まる音がした。


 時間が戻ったの? 私は生き返ったの? それとも悪夢を見ているの!?


 …いえ…悪夢だろうと何だろうと、今あの部屋に婚約者と女がいる事は現実だ。


 私は鞄から紙とペンを取り出し、二つの伝言を書いた。

 そしてそれぞれ早馬を頼み、早急に届けるよう依頼した。



◇◇◇◇



 二か月前、伯爵家の次女である私フォルティ・トリエスタンはリシール・ナクス伯爵令息と婚約した。


 私の父親の友人のツテで彼との縁談が持ち上がった。

 リシール様に初めて会った時、その魅力的な風貌にときめいた。


 少しウェーブがかかった金髪に情熱的なルビー色の瞳。

 完全に私の一目ぼれだった。


 それに二つ年上の彼との会話は機知ウィットに富んでおり、楽しい時間はあっという間に過ぎた。その日お別れする際には、すでに私の心はリシール様でいっぱいになっていた。


 リシール様もこの縁談を前向きに考えて下さり、婚約の話は順調に進んでいった。


 しかし、そこで問題が一つ起きた。


 リシール様の父親であるやブライディ・ナクス伯爵は4年前に再婚していた。

 奥様であるアデラ様は確か30後半と聞いていたが、まるで20代のように若々しく美しい。そしてその連れ子である義娘キャズリーヌ様は私と同い年の18歳。


 問題はこの義妹であるキャズリーヌ様が、初めて会った時から私に対して敵対視してきた事であった。


「お義兄様との婚約、お止めになった方があなたの為ですよ」


 家族の顔合わせでお会いした時に、“一緒に庭園を散歩しましょう”と誘われ、二人きりになった途端に言われた言葉だった。


 突然の事に、私は戸惑うしかなかった。


「どういう意味でしょうか」

 私は極力冷静に尋ねた。


「お義兄様は見ての通り、眉目秀麗な方です。その隣に婚約者として立つあなたは釣り合いが取れているとお思い?」


「…それはあまりにも失礼な物言いではございませんか?」

 私は思わず両手を握り締めた。


「あら、事実を申し上げているだけですわ。もし釣り合いがとれていると思っていらっしゃるのでしたら、今までご自分のお顔を見た事がないのね。でしたらすぐにでも鏡を買われた方がよろしいですわよ。おほほほ」


 耳障りな高笑いを上げながら、キャズリーヌ様は屋敷へ戻って行った。

 あの美しいアデラ様に似たキャズリーヌ様に言われては反論の余地もない。


 確かに、私の黒に近いダークブラウンの髪と瞳は総じて地味な印象を与えるだろう。

 

「だからって…あんな言い方…」


 こんな人と縁戚関係になるのかと思うと先行き不安になった。


 だけど私にはその不安な気持ちより、リシール様への気持ちの方がすでに大きくなっていた。


 それにキャズリーヌ様も、しばらくすればどこかの貴族令息と結婚するはず。それまでの辛抱と思い、私は彼との話を進めて行った。


 そして無事に婚約成立に至った。


 安心と幸せに浸っていたのもつかの間、キャズリーヌ様の私への失礼な態度は日に日に増していった。


 私への暴言や侮蔑の言葉は会う度に浴びせられた。


 招待されたお茶会では『ドレスコードは赤いドレス』と聞いていたのに、実際に参加してみれば、他の令嬢は薄い水色のドレスを着用しておりどれだけ恥ずかしかった事か…。


 他にも嫌がらせは後を絶たなかった。


 どうしてこんなにも彼女に嫌われるのか訳が分からなかった。

 けれど私は一つの可能性を考えた。


 彼女はリシール様の事がお好きなのではないかと。


 ご両親の再婚で兄妹にはなったけれど、血の繋がりはない。

 それにリシール様の人目を惹く容姿と洗練された立ち振る舞いは、とても魅力的だった。


 リシール様はキャズリーヌ様のお気持ちにお気づきなのだろうか。


 彼も男性として、キャズリーヌ様の美貌に心揺れる事があるのではないだろうか?


 一度芽生えた不安という小さな種は、私の心の中でどんどん大きくなっていった。


 それから私は、リシール様とキャズリーヌ様の仲を疑うようになっていった。


 リシール様とキャズリーヌ様が笑顔で会話をされている時

 ふとした時にリシール様がキャズリーヌ様に触れた時


 私の心は嫉妬と懐疑心に苛まれていった。


 そんな時、一つの朗報が届いた。

 アデラ様がご懐妊されたのだ。ナクス伯爵様はまだまだお若いですからね。

 そのお祝いのパーティーを内輪だけで行った。


「20歳も離れた兄妹なんて…珍しいよね」

 照れながらも嬉しそうなリシール様の表情に、私も嬉しくなった。


「リシール様の事ですから、きっととても可愛がられるでしょうね」


「僕もそう思うよ」

 リシール様の満面の笑顔を見て、将来私たちにも子供が出来たらこのように喜んで下さるだろう…と、私はまだ見ぬ未来に幸せを感じていた。


「フォルティ様、お話があるの。来てくださる?」

 そんな幸せな時間を土足で踏みにじる声が聞こえた。


「…キャズリーヌ様」

 おめでたい席なのだから、今日くらい大人しくして頂けないかしら…。

 私は心の中で深い溜息をついた。


「二人ともすっかり仲良くなったみたいだね」

 この時ばかりはリシール様の鈍さに苛立ちを覚えた。


「…失礼致します」

 私はリシール様に一礼して、キャズリーヌ様とその場を離れた。


 パーティーが行なわれている場所から少し離れたガゼボで、キャズリーヌ様が一枚の紙を私に手渡した。


「明日のお昼頃、ここに書かれている住所に行って。お義兄様の本当の姿が見られるから」


「え?」


「あなたは真実を知るべきよ」

 それだけ言うと、キャズリーヌ様はまた来た道を戻って行った。


「あの…っ」

 手渡されたメモには、どこかの住所とアパート名と部屋番号が書かれいた。

 どういう事? リシール様の本当の姿って…

 真実……?



◇◇◇◇



 そして私はこのアパートメントに来た。

 キャズリーヌ様の言う通り、彼の本当の姿を見る事になったわ。


 さらにその後、死ぬ事になるとは思ってもみなかったけど。


「フォルティ! こんなところに呼び出して一体何があったんだ?」

 声をかけてきたのは私の父だった。その後を母とリシール様の父親であるナクス伯爵がやってきた。


「皆さんも真実を知るべきだと思ったんです」

 私は笑顔で三人を迎えた。



 トントントン


「はい…!…な、何で君がここに…」


「扉を開けて下さい。私の両親と貴方のお父様もいらっしゃいますよ」


「な…っ!」

 彼の顔色が一気になくなるのが分かった。


「いいから早く開けなさい!!」

 私のただならぬ様子に両親とナクス伯爵は引いていた。


 強引に部屋の中に入り、前世で彼女がいた部屋に向かった。

 扉の向こうにはベッドで震える………アデラ様がいた。


 その光景を見て顔面蒼白になったのは私ではなく、ナクス伯爵だった。


「お、お前たち…な、何をして…!」


 今のナクス伯爵のお気持ち、痛いほど分かるわ。

 私も前世で、同じ絶望を味わったから。


 だって二人の関係が現実ならば、アデラ様のお腹の子の父親は、リシール様の可能性もある。


「ち…父上…」


「あ…あなた…これは…」


「い、いったいいつから…いつからお前たちは…っ」

 怒りのあまり、震え出したナクス伯爵。


 ナクス伯爵は暖炉の近くにあった火かき棒を握り締め、息子であるリシール様を殴りつけた。


 !!バン!!


「がはっっ!!」

 まともに顔を殴られたリシール様は床に突っ伏した。


 ナクス伯爵は倒れたリシール様を更に容赦なく殴りつけた。


 ガンガンガンガン!!


「や、やめてあなた!」

 アデラ様が蒼白を通りこして白い顔色をしながら、ナクス伯爵の暴力を止めようとした。

 ナクス伯爵の気迫に押された両親は固まっていた。


「黙れっっ! 売女が!!」


 バシッ!!


「きゃあ!」

 アデラ様の頬を思い切り殴り付けたナクス伯爵は、倒れた彼女の髪を鷲掴み、尚も怒鳴り声を上げた。


「いつからだ? あぁ!? 義理とは言え、自分の息子と…! その腹の子も息子の子なのか!? そうなんだな!?」


 バシ!!


 また顔を殴りつけ、今度は血を吐いたアデラ様。


「俺が気が付かなければ、俺の息子として産むつもりだったのか!!」


「ナクス伯爵! や、止めて下さい!」


 ナクス伯爵がアデラ様のお腹を蹴ろうとして、慌てて止めに入った父。


 母は自警団を呼びに部屋を飛び出した。


 血まみれになり、気を失って横たわるリシール様。

 顔を腫らし、血と涙を流しながら土下座してナクス伯爵に許しを請うアデラ様。

 尚も暴力を振ろうとするナクス伯爵を必死で止めている私の父。


 私は口に手を当てながらその様子を見ていた。


 自警団を呼んで戻ってきた母は、私がショックを受けていると思ったのだろう…「かわいそうに…」と泣きながら私を抱きしめてくれた。


「お母様…」

 私は母の胸に顔を埋め、声を殺し、肩を震わせながら……笑っていた。



◇◇◇◇



 自警団から事情を聞かれたナクス伯爵は、あくまで『家族内で起きた揉め事』で押し通した。…多少の金品に物を言わせて。


 その後リシール様はナクス家から除籍され、平民へとその身分を落とされた。


 アデラ様のお腹の子は、この世に生を受ける事はなかった。そして、アデラ様は辺境地にある修道院へと追いやられた。


 ナクス伯爵は不義の子が産まれる事を決して許さなかったのだ。

 ご自分の子かもしれなかったのに…


 キャズリーヌ様はアデラ様のご実家に戻った。


 そしてナクス伯爵が突然離婚し、アデラ様を戒律の厳しい修道院へ送り、息子をナクス家から除籍した事で妙な噂する貴族もいた。


 私は巨額な慰謝料をナクス伯爵から頂いた。

 口止め料も入っているのだろう。


 今まで伯爵令息として生活してきたリシール様が、突然平民の身分に落とされてどんな生活を送る事やら。せいぜい苦労して生きていけばいい。


 戒律の厳しい修道院へ放り込まれたアデラ様は、死ぬまで出てくる事は不可能だ。


 これで少しは前世での屈辱を晴らす事ができた気がする。


 あの修羅場の後、私はキャズリーヌ様とお会いした。


「キャズリーヌ様は二人の関係をご存知だったのですね」


 彼女は自分の母親と義兄との関係を知っていて、私がリシール様と結婚しないように妨害行為を繰り返していたそうだ。


「最初から話すべきか迷ったけれど、絶対に信じないでしょ? だからあなたに対して嫌がらせをすれば婚約する気もなくなると思ったのに、あなたしぶといんですもの。その後、本当の事を話そうと思ったけれど、さんざん嫌がらせした後で言ったとしてもまともに取り合わないと思ったのよ。だから直接、真実を見た方が早いと思って、あの住所を教えたの」


 確かにそうだ。

 最初からそんな話をされても信じられなかっただろうし、後になって言われてもやはりまともに取り合わなかっただろう。


「あのお二人はいつから…」


「……さぁ…いつからだったかしら。ある日…ふとした時に、二人の雰囲気に言いようのない違和感を感じるようになったの。それにお義父様がお留守の時に、二人がそれぞれ外出されるようになった事も不自然だった。だから、一度お母様の跡を付けたわ…そしたら…」

 そう言い淀むと、スカートを握り締めたキャズリーヌ様。


「なぜナクス伯爵に言わなかったの?」


「正直…自己保身よ。だって、お母様とお義兄様との関係を暴露したら、離婚は必至。お義父様とは血がつながっていないから、私は母の実家である子爵家にまた戻る事になるわ。やっぱり伯爵家の生活を覚えてしまったら、生活レベルを下げるのってなかなか難しいと思うのよ」


「ではなぜ、私に教えたの? 私が知れば全て明らかになって、あなたが守りたかった生活が壊れるって思わなかった?」


「………許せなかったっ お母様が……の子供を身籠った事が! 自分より一回り以上も若い…血のつながりはないとはいえ自分の義理の息子と…っ それにお義父様が知れば、決して生まれてくる事はないわっ」

 まるで爆発しそうな感情を抑えるかのように、身体を震わせながら私に語った。


 私は、ただ黙って聞いていた。


「…もうお会いする事はないと思います。お元気で」

 一通り話し終えると私はキャズリーヌ様にお辞儀をし、その場を後にした。


 街中を歩きながら、私は思った。


 キャズリーヌ様はリシール様の事が本当にお好きだったのではないかしら?

 もしかしたらキャズリーヌ様もリシール様と関係があったのではないか…と。


 先程彼女はこう言った。


『許せなかったっ お母様が【彼】の子供を身籠った事が!』


 あの言葉は、母親が若い男の…義理の息子の子供を妊娠した事が許せないのではなくて、愛する男性ひとの子供を妊娠した事が許せないと、私には聞こえた。


 あの時のキャズリーヌ様は、嫉妬から来る怒りを滲ませた女にしか見えなかった。


 そうなると私に嫌がらせした事も、どこまで私のためだったのか…怪しいところよね。


 ………どっちにしろ私にはもう関係ないけど。


「あ、婚約指輪を返していなかったわ」


 私はまだ左手の薬指に残っていた指輪を外すと、頭上に広がる空に向かって放り投げた。


 指輪は一瞬光ってそのままどこかへと消えて行った―――…




















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