第2話 約束

 ドン!  ドン!

 綺麗にも力強く猛暑の終わりを告げる花火が上がる夜。

 村のみんなが感嘆し心が一つになる。

 玄魔だけは隣で「わ〜綺麗〜!」と花火を見てうっとりしているすずちゃんに魅了されていた。

 玄魔は心を追いつかせる為大きく深呼吸する。しかし一向に落ち着くことはできず、とにかく勇気を振り絞り呼びかける。

「……すずちゃん!」

 すずちゃんは夏の終わりを感じさせる涼しく湿った風でなびく髪を耳にかけながら玄魔の方を向く。

 次々に輝く色とりどりの花火の光はすずちゃんのぱっちり大きな瞳を宝石に変えていた。

「なぁに?」

「お、俺、これからも絶対すずちゃんを守るから……大きくなったら俺と結婚して下さい!」


 

「…………え?なあに?」

 今夜一番大きく咲いた花火と周りの歓声に俺のプロポーズは散ってしまった。



 **********


 

 

「あ!にいちゃんいた!」「げんにぃ〜!」

 花火も終わってしまったようで、先生と弟妹達が来てしまった。

「さ、帰りますよ」

 先生たちの合図と共に玄魔たちはその場を後にした。

 帰り道に街灯はない。生い茂る草木や、鳥や虫の演奏も相まってかなり不気味さを感じる。

 持って来た数個の懐中電灯を頼りにみんなで団子になって歩いた。

 小さい弟妹達は怯えて玄魔や先生の手をぎゅっと握らないことには歩けなかった。

 すずちゃんは花火でかき消された言葉は何だったのか玄魔に何度か問うが、今更ながらに羞恥を感じる玄魔には明日の夜また言うよと約束するのが精一杯だった。「そっかぁ〜、楽しみだなぁ〜。ふふっ」と答えるすずちゃんの顔は暗くてはっきりと見えないが、からかっている表情であることは容易に想像できた。


 可愛い弟妹達がたくさんいて、優しいシスターがいて、好きな人がいる。

 玄魔にはこれ以上ない幸せだった。何も変わらずこのままがいいなと。

 溢れ出そうなほどの幸せで胸がいっぱいになる。愉悦感に浸り自然と夜空を見上げた。

 


 夜空は輝く星でいっぱいで……蜘蛛がいて……


 

 一気に血の気が凍る。

「むーちゃん!」

 玄魔の声と同時に勢いよくこちらへ目掛けて下降してくるデカすぎるその蜘蛛に堪らず目を瞑る。頭上で鈍い音が鳴ると、左横の地面から激しい振動が伝わってきた。目を開けるとむーちゃんは玄魔の頭上から音もなく着地する。一方の蜘蛛の悪魔は数メートル離れたところで砂埃を掻き分けながら起き上がっていた。

「玄魔離れてみんなを守ってて」

 優しく落ち着いた口調で指示を出し、悪魔の方へ向かうむーちゃんの背中は細身の女性とは思えないほど大きく見えた。

 

 正直もう不安もほとんど無い。

 むーちゃんは確実にあいつに勝つ。

 よって玄魔たちが取る行動はただ一つ。足手纏いにならないように離れて待機すること。むーちゃんに自由に戦ってもらう、これが必勝法だ。

 

 化け物じみた大きさの蜘蛛は悍ましい人面でこちらを睨んでいる。

 五メートルはあるであろう体の持ち主がどうやって空からやってきたのかと言う疑問はすぐに解消した。

 蜘蛛の糸とそれで作られた蜘蛛の巣だ。玄魔たちはあたりを懐中電灯で照らすと幾つもの蜘蛛の巣が張り巡らされていることに気づいた。

 知らぬ間に巣にかかった獲物になっていたのだ。

 蜘蛛はトランポリンの要領で四方八方にある蜘蛛の巣から別の巣へと飛び移る。

 糸で軌道をコントロールしながら段々とスピードを上げ、たちまちブンブンと風を切る音しか聞こえない速さまで加速していく。



 蜘蛛の風を切る音が大きくなるにつれ強くなる風圧は周りの木々を激しく靡かせている。しかしむーちゃんは一切動じない。

「これはなかなか鬱陶しいですね」

 むしろ呆れ気味のむーちゃんは慣れた手つきでポケットからナイフをクルクルと回し出す。

 吸い寄せられるかのようにナイフはむーちゃんの手にパシッと収まると瞬く間に持ち手のハンドルだけが二メートルほど伸び、ナイフは一瞬にして槍へと形を変えた。


 1秒、いやもっと短かっただろうか、ほんの一瞬だけむーちゃんの周りを踊り回った槍は辺りの蜘蛛の巣を一掃する。

「相性悪かったですね」

 相変わらずの優しい口調は悪魔に同情すらしているように感じさせた。

 一瞬にして自分の巣が消え去ってしまった悪魔はバランスを崩すも、得意の糸ですぐに体制を立て直す。

 だが、ここからは本当に一瞬で、と言うかさっきから一瞬の出来事ばかりなのだけれど、むーちゃんは音も無く悪魔の後ろに移動していた。すると悪魔の上半身と下半身はゆっくりとずれていく。あまりにも速いむーちゃんの斬撃に悪魔自身も自分が既に死んでいることに気づいていなかった。悪魔はむーちゃんが後ろにいる事に気づけたのは上半身だけが地面に転がってからだった。


 

 むーちゃんは汚れていない手をパンパンと払い仕事完了と言わんばかりにあっさりと戻ってくる。

「さて、帰りましょうか」

 しかし玄魔は目の前の光景に再び心臓が冷たくなる。

「むーちゃんまだいるよ!」

「え……?」

 

 蜘蛛の悪魔は間違いなく二つに切断されている。しかし、顔はところてんの様にニュルっと体液と共に垂れ落ちるとその顔は立ち上がった。

 異様なほどに長い腕を垂らしながら立ち上がった蜘蛛の顔の後ろでは、膨れたお腹の内臓を毟りながら別の悪魔が出てきた。

 蜘蛛の腹から出てきたそいつは足が異様に長く、アルファベットのMの真ん中にちょこんと体が乗っかったような見た目をしている。

 蜘蛛は腕が異様に長い人型の悪魔と、足が異様に長い悪魔に分裂した。

 腕の長い悪魔はむーちゃんの髪を掴むと力一杯引っ張った。

 それに合わせるように足の長い悪魔がその長さと速さから繰り出す猛烈な蹴りをむーちゃんの腹部に容赦なく食わす。

 むーちゃんは吹き飛んだ先にあった樹木に勢い良くぶつかった。鈍い音に弟妹たちは泣き叫びむーちゃんに駆け寄ろうとする。しかしむーちゃんはフラフラしながらも何とか立ち上がると出せる精一杯の声で逃げなさいと叫んだ。


 腕の長い悪魔はすぐにまた髪を掴み顔を近づける。焦点が合わずコロコロと転がる悪魔の目はピタッと動きを止めむーちゃんを凝視した。

「ッ……み、みなさんが褒めて……くださるからッ……好きだっ……たんだけどなぁ」

 むーちゃんは大切な髪を槍で断髪した。

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