14

 その日は結局夕方まで外をぶらついてから帰宅した。アパートに彼女の姿はなく『店に行ってきます』という簡素な書き置きだけが残されていた。


 私は彼女の帰りを待ちながら最近覚えた煮込み料理を作る。名前を付けるならポトフ風となるのだろうか。材料を切ってコンソメで煮込むだけだ。それだけでも充分に食事になる。ただ、そろそろ食材も始末していかないと予定日になっても結構残り物が出てしまう。最悪カレーやシチューにすればいいと考えていたが、時期があまり宜しくない。鍋の中で腐臭を放つそれらを思い浮かべると、自分たちの死体を処理する人たちに申し訳ないと思えてきて、できればそういう余計な処理が必要となるものを残さないように整理をしておきたい。

 結局その日、私は一人でポトフもどきを食べ、就寝した。


 翌朝になっても彼女は戻って来ず、連絡しようとした携帯電話は不通だった。

 事態が急変したのはそれから三日後、実に死の予定日の前々日のことだ。

 インターフォンが鳴り、応対に出てみると、知らないスーツ姿の男性が二人、私の顔を観察するように見た。二人とも手帳を出し、刑事であることを示すと「少しお話を聞かせて下さい」と、丁寧な口調でお願いされた。


「大垣冬子さんをご存知ですね?」

「はい。先日まで同棲していました」

「同棲、ですか」

「はい。同棲です」

「監禁、ではなく?」


 事情がよく飲み込めなかった。

 刑事が言うには大垣冬子が昨日、警察に被害届を提出したそうだ。私に誘拐され、監禁状態にあり、何とか逃げ出してきたと語ったらしい。


「近所の方から、よく悲鳴が聞こえていたという証言もありますが、本当に同棲ですか?」

「私の認識では、そうでした」

「彼女が出ていく前に、喧嘩とか、されましたか?」

「特には。そうですね。以前彼女が働いていたコンビニから電話がありましたが、それくらいです」


 どういう変化なのか、それとも彼女ではない別の誰かによるものなのか、私には判別がつかなかったが、刑事の質問に私は率直に答えていくと、相手もこれは妙だ、ということに気づいたらしい。


「それでも一応手続きがありますんで、署までご同行願えますか?」


 拒否することなく承諾すると、私は表に停めてあったパトカーに乗り込み、警察へと連れて行かれた。

 取調室で十二時間ほど彼らに付き合うと、嫌疑不十分ということで一旦私は解放され、自宅に戻った。


 アパートには何故か大垣冬子がいて、私の姿を見ると目に涙を溜めて「ごめんなさい」と何度も謝罪した。だから私は謝るよりも説明が欲しいと求めたのだが、彼女は三十分ほどそのまま泣き続け、仕方ないから隣に座り、彼女の肩を抱きながら「もう大丈夫です」と言い続けることになった。

 落ち着いた彼女の口から出たのは「死にたくないし、あなたを死なせたくない」という言葉だった。

 いつの間にか彼女にとって私との同棲は死ぬまでの同居ではなく、理想の結婚生活へと繋がる現実に修正されていたらしい。


「あなたが好きなんです。園崎さん。わたしのために、生きてくれませんか?」


 自分が誘拐されたことにすれば予定日に死ぬ計画は一旦破棄できると入れ知恵をしたのは、彼女の働いていたコンビニの店長だった。しかも実はその男性と彼女には、交際に発展しそうな事実関係があったらしい。

 私は彼女の涙を拭い、私の話を落ち着いて聞くように言い聞かせてから、こう続けた。


「大垣さんにとって、私でなくとも、誰か、傍に寄り添い、共に生きてくれる人がいれば良かったのでしょうが、残念ながら今までそういった相手が現れなかった。そこに上手く私という存在が当てはまったように君は感じている。でもね、私は君を死のパートナーだと考えていただけなんだ。君に死ぬ気が失われたなら、それはそれでめでたいことだし、生きるべきだと思う。でも、だからといって私の死ぬ権利を侵害することは許せない。これはね、感情的な話ではないんだ。死にたくないとか、死にたいとか、そういう話じゃない。私は明日、七月七日に死ぬ。本当は君と心中のような形で死ぬ予定だったが、これは変更せざるを得ない。おそらく君は私の死をどこかで知ることだろう。けれど悲観してはいけないよ。私は死を選んだんだ。君とは違い、人生の決着を七夕に付けてしまうことに決めた。人が死ぬ、それも大切な誰かが死ぬことは悲しいし、辛いし、残された者にとってはその苦しみが長く続く。でもね、誰もが生きているように、誰もがいつかは死ぬ。生きることも死ぬことも特別なことではなく、それを特別にしているのは個人の感情なんだ。だから君には先に言っておく。大垣冬子さん、今までありがとう。でも今日でお別れだ」


 そこまで我慢していた涙は決壊し、彼女は私に縋り付いて泣き喚いた。死なないで欲しいことと、愛していること、それから大切な人だから等、彼女の陳腐な言葉が私に降り注いだが、私はそれらの一つ一つに分かっていると相槌を返し、ただただ受け止めた。

 一体どれくらいそうしていただろう。


「分かりました」


 彼女が諦めたように言うと、私から腕を離した。

 私はもう一度「ありがとう」と言うと、部屋を出ていく。

 合鍵は彼女が持っているが、もうあの部屋には戻れない。

 私は明日死ぬ為にどうすればいいか、考え始めた。

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