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 七月七日は朝から天候が優れなかった。小雨は止んだものの、天気予報も今夜は天の川を見られる地域は限られると言っていた。どんよりとした雲の下を、私は歩いている。昨夜はネットカフェで時間を潰し、僅かながら仮眠は取れたものの、何とも体が重い。

 けれども同棲していた大垣冬子というパートナーを失ったからか、気分はそこまで沈み込んではいなかった。寧ろ晴れ晴れとしているといっても良い。


 私には小さい頃から「何故死んではいけないのか?」という問いかけに答えてくれる大人がいなかった。シングル家庭で育ち、母親はいつも仕事に出ていて、物心ついた頃から私の傍には常に死が転がっていた。お腹を空かしてスケッチブックを食べていたこともあった。当時は社会の児童保護の機能が弱かったこともあり、同じような境遇の子どもは何人か命を落としていたことを覚えている。


 小学校の五年生の時だ。母親が亡くなった。過労だった。病院代も満足に払えず、無理をして、それでもここまで自分を育ててくれたことに感謝した。


 私は一旦施設に引き取られ、同じような親がいなかったり、虐待などの事情で親から引き離されたりしている子どもたちと一緒に育てられた。以前よりは死の遠い場所で、おそらく私の人生で一番生きていた時代だっただろう。それぞれ個の空間を大切にしながらも、完全には関係が独立していない。そういう居心地の良い距離感がそこにはあった。


 高校の、二年の時だ。父親が亡くなったという報告を受けた。だが私は父親について何も知らなかったし、母親はどんな人間だったとか何をしていた人物だったとか、一切を語らなかった。父は政治家だった。

 隠し子ということで、世間体も悪く、けれども父は私のことをずっと気にかけていたと云う。母と一緒になれない事情があったことは後々理解したし、学費を出してくれ、大学にも行かせてくれたので、その点については感謝した。

 ただ向こうの家庭は学費を交換条件に、二度と関係を口に出さないことを約束させられた。別にそんなことをしなくても私は父にも向こうの家族にも興味がなかったから、構わなかったのだが、ありがたく学費は使わせてもらった。


 大学で酒林と仲良くなったのは、お互いに一人でいるのが目立っていたからだろうと推測する。声を掛けてきたのは向こうからだった。何を最初に話したかは覚えていないが、サークルくらい入っておいた方が良くないかと言って、児童文学同好会に入った。別に小説や児童文学が好きだった訳じゃない。本はそれなりに読んでいたが、それほど活発に活動をしていなかったからだ。

 死の話をしたのも酒林からだった。

 彼は前述したように、死についての特別な思いを抱えていた。


「こんな話は誰にもしたことがないんだがな」


 そう言って、嬉々として死について、あるいは死刑や宗教について、語った。必然、私も酒林の興味のある分野について詳しくなり、死ぬことも悪くはないと思い始めた。それまでも“死”というのは私のすぐ隣にあったのだけれど、誰もがそれを避けて通っていたので、敢えて触れようとは考えなかったのだ。彼はそのきっかけを私に与えてくれた。今では恩人だとすら思っている。


 多くの人が「生きること」について語る。如何に生きるのか。どう上手く生きるか。生きがいを見つけるのか。

 成功例や失敗例を書いた本は沢山並び、多くの人が手を伸ばす。それは誰もが心のどこかで人生を良いものにしたい、成功したい、させたい、と考えているからだ。裏返せば、今というものには満足していない。


 ――生きていれば何か良いことがある。


 そんな風に人々は説く。死について考える人間に対して、考えるな、生きていればいいんだ、と言い聞かせ、その思考を奪おうとする。

 社会は“死”を遠ざけたい。


 ただその社会の強制を幸か不幸か逃れ、死について考える人々がいる。勿論別の強制力によって否応なく死を考える必然性に迫られた人が殆どだろう。そういった人たちは「生きたい」という欲望が強く、生きようとした結果の袋小路としての“死”を選択することになる。


 そう。多くは必要だから死ぬという人々だ。私や酒林のように迫られずとも“死”を選択しようという人間はいない。死を選ぶことは偉くも何ともないが、かといって生きているものが偉い訳でもない。死も生も等価で、そこに優劣はなく、殊更に特別視することはない。


 死を遠ざけようとして、逆説的に生を語るからこそ、生き辛い人が増える。

 それに気づいている人間は、だから死も生も自由に選択することが可能だ。どちらでも良い。構わないのだ。


 今日も酒林はいなかった。

 駅前には通勤や通学の人間が多く、こんな場所で酒林は私を殺そうとしていたのかと、感慨深い。人が多い時間帯の方がよく目立ち、ニュースバリューも高くなる。注目度が高ければ高いほど、その事件が凄惨であればあるほど、死刑の確率は高くなるだろうと酒林は言っていた。彼が私をどうやって殺すつもりだったかは、実は知らない。打ち合わせもしていないし、演技指導も受けていない。ただ私は彼に殺されるのを待てばいい、という役どころだった。


 と、制服姿の女性が声を上げる。高校生か、中学生か。小柄で、力も弱そうだが、彼女の前にいた男が鞄から包丁を取り出した。私は特に考えもなく、その男の方へと走っていって、


「おい! 殺すぞ!」


 何か叫んでいるその男の前に立ちはだかる。


「何だ! やるのか!」


 アルコール臭い。酒林は前日から飲まないようにすると言っていた。目の前の男は酒林ではない。

 私は振り上げた包丁の腕を掴もうとした。だが上手くはいかない。それは私の腕を切りつけ、続いて、頬、首筋と包丁が触れる。特に痛みは感じなかった。


「何故死んではいけないのか?」

「は? 何言ってんだよ! 殺すぞ!」

「死んではいけない、という前提が間違っている。だから私はこう答えるよ。死んでもいいと」


 男の目は小さく震えていた。それから息を吸い込むと、私に向かって包丁を突き出した。その切っ先に、私は突っ込む。


「酒林、君はまだ私を殺していない」

「俺はそんな名前じゃねえ!」


 胸に刺さった包丁を、男は何度も抜いては刺し、抜いては刺す。けれどどれも肋骨や皮膚に弾かれ、致命傷にはならない。


「酒林。それじゃあ殺せない。君は私を殺して死刑になるんだろう?」

「こいつ何なんだよ!」


 私は男に突き倒された。周囲で悲鳴が上がっている。男は馬乗りになり、私を何度も突き刺す。

 まだ。まだだ。まだ死は訪れない。


「酒林。まだ死んでいないぞ?」


 男は泣きながら私を刺す。何度も刺す。徐々に視界が暗くなってきた。寒くなり、震えてくる。それでも恐怖はない。


「酒林……死は、遠いな」


 男の声が聞こえない。女の悲鳴も聞こえない。

 けれども、まだ死は訪れない。

 今日は何日だろう?

 三月二十日なら、酒林に殺される日だ。

 空が明るかった。

 すごく綺麗な月が邪魔をしている。

 死んだらどうなるのか。

 誰も知らない。

 死は全ての終わりだろうか?

 それとも始まりだろうか?

 死によって何もかも解決するのなら、この話はこれで終わりだ。

 私は、果たして、無事に死ねたのだろうか?

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