第3話
「今日はここで泊まるよ」
トッテンカッターが足を止めたのは、安菜の身長くらいの小さな家の前だった。薄い黄色の壁に、真っ白な屋根とドア、窓枠という組み合わせで、なんだか卵みたいだと安菜は思った。
頭を下げて扉をくぐると、すぐに台所があった。木のテーブルの上には、何色もの糸が乗っている。トッテンカッターは椅子に座ると、どこからか取り出した細い針を使って、器用に糸を編み始めた。
背中を丸め、手元に顔を近づけたトッテンカッターの不自由そうな姿勢に、安菜はつい、声を上げる。
「ねぇ、それってチルサがやった方が楽なんじゃないの?」
「だって、わたし、こういう作業はできないもの」
編み物から背を向ける形で机の端に座ったチルサは、振り返りもしない。
「順番に糸を行ったり来たりさせるだけでしょ。ちょっとは練習してみたら?」
「トッテンカッターができるから問題ないじゃない。それに、わたしはわたしができることをちゃんとやってるわ」
「けど……」
安菜が言葉を続けようとするのを、トッテンカッターが「いいんだよ」と止めた。
「できる人ができることをやる。これがルールだよ」
「だって……」
「アーナだって、大きなものは動かせないし、狭いところには入れない。できないことを無理にする必要はないのさ」
庇ったつもりの相手に、こうまで言われてしまっては、安菜はもう反論できなかった。けれども、頭の中では、考え続けることをやめられない。
(そりゃ、私だって何でもかんでもできるわけじゃないけどさ)
(これから行く先で、この四人の誰にもできないことが出てきたらどうするんだろう?)
(助け合えば良いっていうかもしれないけど、手を貸してくれる人を探すのも大変じゃない)
(自分にできることが増えれば、もっと良いはずなのに)
(けど、私一人でできることなんてしれてるし)
(だけど、こう、適材適所で世間は回ってるわけで)
(かといって、それに胡座をかくばっかりじゃ、サボってるようなものだもん)
切れ切れに浮かぶ思考を順序立てて、まとめたところで、安菜はもう一度、口を開こうとした。
その途端、目の前の光景が、パッと切り替わった。真っ赤なカーテンに囲まれた、空間。椅子に座ったまま、安菜は目をぱちぱちと瞬かせる。
「そのまま、喋ってください。次の市でアップデートすべき価値観ですから」
声のする方に顔を向けると、映画の中のお妃様みたいなドレスを着た、小太りなおじさんが立っていた。身長の半分ほどの高さの王冠の下には、福の神みたいな人の良さそうな顔があって、なんだかとってもミスマッチだ。
ぽかんとしてしまった安菜に向けて、その人は両手を振ってみせる。
「ここはね、そういう市なんですよ。作ったまんま、変われないんです。けれどね、それだけじゃ、いつか壊れちゃうんですよ」
話しながら、彼は少しずつ移動し続けた。ちょうど安菜の正面に来たところで、腰を下ろす動作をすると、音もなくゴテゴテと飾りのついた椅子が現れる。
「前の王様は“みんな一緒”にしたんです。そうしたら、争いはないだろうからって。そのときの市に来た人間が“できる人ができることをやる”っていう考えを教えてくれたんで、わたくしはこういう市に変えてみたんです」
そういった彼(きっと
「これが、市が産んだ卵です。次の市長も中にいるはず。さぁ、あなたが見つけた価値観を、伝えてあげてください」
安菜には何がなんだか分からなかったが、彼に促されるまま、さっきまで考えていた内容を口にした。途切れ途切れに、たまに口ごもりながらではあったけれど、市長は何度も何度も頷いてくれた。
「この市は来た人間にも、何かを与えると言われています。本当にそうであれば良いですね」
市長がそう言って、頭を下げた瞬間、また安菜の周りの景色が変わった。
そこには、見慣れた金属の門があった。通るたび眺めていたままに、二枚の板が隙間なく閉じている。試しに両手で押してみても、動きはしない。
足元のスニーカーについた泥だけが、間違い探しのような差異を教えている。
(あの市に行って、帰ってきたんだ)
陽の明るさからして、大して時間は経っていないようだけど、きっと、それは、そういうものなのだろう。
(今度の体育では、桜庭くんにかけっこの秘訣を聞いてみようかな)
安菜はそんなことを考えながら、ランドセルを背負い直したのだった。
大小様々の冒険 @rona_615
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