28.『メッセージよ届け』
「――月野さん! きてるよ! きてるって!」
「わかっ、てるから、ちょっと黙って……! 【泥人形】!」
ふたたび振り下ろされた拳が私たちを襲う前に、月野さんと呼ばれた女の子が声を張った。
呼応するように地面を割って迫り上がった泥の塊が、人の形を作っていって、動き出す。
その大きさは『巨人』と呼べるものではあったけど、それでも3メートルか、4メートルか、そのくらいだった。
目の前の影と比べてしまうと、大人と赤子くらいの身長差はある。
ただし、大きさだけを比べるなら、だ。
「ねぇ、月野さん! 前から言ってるけど、この気持ち悪い泥の塊たちなんとかならないの!? 服が汚れちゃうじゃん!」
「きもっ……! 気持ち悪く、ないから! 私の子どもたちに、ケチ、つけないで!」
子どもたち。月野さんがそう呼んだ泥の人形は、確かに一人じゃなかった。
ここからも、あそこからも、とにかく大量に産まれて、私たちを守ってくれている。
叩きつけられる拳を受け止め、暴風をいなし、死を遠ざけてくれている。
これが魔術というやつか。
いつの間に人間はここまで進化したのだろう。
無から泥を生み出し、使役するなんて、私の知っている物理法則はどこかに行ってしまったみたいだ。
これではまるで魔法のような……あぁ、だから『魔術』というのか。
とにかく、圧倒的だった。
「――【泥千鉾】!」
「――――!」
無数の槍がものすごい速さで影に刺さる。
もしあの影が人間だったなら、これが決定的な一撃となって二度と立ち上がることはできないだろう。
しかし、あの影は人間じゃない。
「――月野さん! ねぇ、効いてないみたいなんだけど!」
とてつもない物量の土魔術にさえ一瞬も怯むことなく、影は何度でも拳を振り上げる。
その度に泥人形が1人2人と壊れていって、月野さんの額に汗が滲んだ。
それでも月野さんは魔術を行使して、紙一重のところで拳を避ける。避ける。
彼女の運動能力は、私には卓越しているように見えた。
私の何倍も高く跳び、速く走るのだ。
それでも月野さんは人間だった。
彼女の体力は、無尽蔵ってわけじゃない。
じわじわと削られていって、やがて完全に防ぐことが難しくなって、ついにはその拳がまっすぐ月野さんを襲って――。
「――【発火】!」
「――っ」
月野さんの隣にいた女の子――花田さんが手のひらに小さな爆発を起こして、なんとか直撃を回避する。
「……ありがと、花田さん」
「あんまり無茶しないでよ! 私も危ないでしょ!」
「ついでに、ちょっと時間、稼いでおいてほしい。20秒くらい」
「はぁ!?」
驚愕の表情を作った花田さんに背を向けて、月野さんが走った。
向かったのは私のほう。一直線に、すごい速さで。
「……あの! ごめんなさい、たぶん、倒せません」
そして、開口一番に潔くそんなことを言った。
私の目が丸くなっていたのか、あるいは声に出ていたのか、ともかく彼女は私の反応を見て、気遣うように言い直す。
「……攻撃しても、手応えが、ないんです。このままじゃいつか押し負けます」
言い直してなお、私の胸を絶望が支配した。
こんなすごい人でも倒せないなら、もはや死ぬしかないんじゃないかと、そんな弱音が出てしまいそうだ。
だけど、彼女の目はまだ光を見ていた。
まっすぐに、私の目を。
「あの影の足元、見えますか」
「え……?」
影の足元。
運動公園の真ん中のほう。
たしかあの辺りは野球場やテニスコートの間にあるランニングコースで、木々やベンチなどがぽつりぽつりと置かれている場所だ。
言われるがままに視線を移したけれど、でも私には見えなかった。
――見えなかったのだ。不自然なくらい影に包まれていて、真っ黒で、なにも。
「お姉さんには、あそこに行ってもらいます」
「え……!? わ、私が、ですか……?」
「はい」
「私、戦えないん、ですけど……」
「大丈夫、です。私たちが守ります」
意図が読めない。
私があの影の足元にたどり着いたとして、なにをすればいいのだろう。
命を張ってまで私を守り、たどり着かせる意味はなんだろう。
私にはまるでわからない。
わからない、けど――、
「――わかりました」
「じゃあ、行きましょう」
これだけ強くて、私を守ってくれている人が、最後の光明に見たのが私なのだとしたら、私はそれを信じる。信じるしかない。
意味とか、意図とか、そういうのは後回しでいい。
ただ信じて、走ればいい。
「――花田、さん! 走るから! ついてきて!」
「あんた……っ、偉そうなこと、言うようになったじゃん! もう!」
私は走った。
走って、走って、走った。
何度も何度も拳が降ってきて、その度に月野さんがそれを受け止めてくれて、彼女の手が回らない時は花田さんが助けてくれた。
素晴らしいコンビネーションだと思う。
2人はあまり仲がよさそうには見えないけれど、戦闘の相性はよさそうだ。
完全に素人の私から見て、だけど。
「――花田さん!」
「【発火】! 【発火】! ねぇ、私これしか魔術使えないって、忘れてないよね!?」
文句を言いながら、月野さんの届かないところを補う花田さん。
それを完全に信頼して、頼りにしている月野さん。
無敵だ。この2人に守られていれば、私はどこにでも走っていける。
大丈夫。助かる。きっとなんとかなって、葵と一緒に帰れる。
大丈夫。この2人がいれば――。
「――っ」
「――月野さん!」
私の隣を走っていた月野さんが、滑るように倒れた。
咄嗟に叫んだ花田さんの声色が尋常じゃなくて、私はぎょっと振り向く。
血まみれで倒れ込む月野さんの姿があった。
「え……え?」
私が困惑している間に月野さんは立ち上がり、また走り出そうとする。
だけどバランスを崩したように倒れて、また立ち上がる。
その姿が痛々しくて、苦しくて、私は叫んでいた。
「む、無茶しないでください!」
「……ごめん、なさい。ちょっと防ぎきれませんでした。でも大丈夫です。行きましょう」
「あんた、それじゃ戦えないでしょ! 一旦退くよ!」
花田さんも叫ぶ。
月野さんに近づこうとして、でも彼女はそれを手で静止していた。
「……影が、だんだん大きくなってきてる」
「――っ」
「……多分、今やらないと危ない。それに」
「それに……?」
「――聞こえる、から」
そう言って月野さんは天を仰いだ。
その視線の先には、真っ黒な影。
彼女を傷つけたそれに向ける目には、敵意みたいなものが感じられなかった。
「聞こえる……?」
「……うん。きっと、私と同じだから」
「……よくわかんないよ」
花田さんは悲しそうな目をしている。
月野さんの言葉の真意がわからないせいなのか、それとももっと別の理由があるのか、それはわからないけれど。
でも私は、ハッとした。
「……葵?」
聞こえた。
それは言葉じゃない。声ですらない。
だけど確かにあの場所にいるんだと、そう感じた。
葵。葵。
今行くからね。助けるからね。
「――――」
「ちょっ、ねぇ!」
早く行かなきゃ。
葵のところへ。
ふたりで帰るんだ。
それで、抱きしめるんだ。
謝ることもある。
叱ることもある。
でも、言葉をかけるんだ。
葵と話したい。
葵、葵――。
「――――」
ふっと我に帰った。
焦点が目の前の現実に合っていなかった私は、自分の愚かさに絶望することになる。
見上げていたはずの影はいつの間にかそこになくて、でも視界のほとんどは黒で埋まっていて、私の前には月野さんが立っていて、彼女が血を吹き出しながらその黒を受け止めていて――。
「……大丈夫、ですか」
「――っ、月野さん!」
「――――」
その光景と花田さんの叫び声で、私はようやく現実を思い出した。
そうだ。
私、影に。
月野さんが守ってくれて。
月野さん、月野さんが――。
「……ぁ」
「……よかった。守れてたみたいで、よかった」
「ごめ、ごめんなさ……私……」
「いえ――」
「――なにやってんの、このバカ!」
弾けるように、花田さんが月野さんのもとに駆け寄った。
私を守ったせいで、血まみれの月野さんのもとに。
「――【発火】!」
そして、月野さんが受け止めている影に向かって魔術を放った。
影はビクともしない。
「ねぇ、なんで無茶してんの!? あんたの命には、あんただけじゃない! 私と! この人の命も乗っかってんだよ!? イキんのは勝手だけど私まで巻き込まないでよ!」
「……イキって、ない。必死な、だけ」
「だったらせめて自分の手が届く範囲で必死になってよ! 私たちの実力なんて、素人に毛が生えた程度だってわかってんの!?」
月野さんの表情が歪む。
私はこの会話を、どんな顔して聞けばいいのかわからなかった。
「……確かに、この魔物は私たちの手が届く存在じゃないかもしれない。黄金――いや、下手したら……白金色探索者のパーティが必要になる、クラスかも」
「……じゃあ!」
「――でも!」
「――――」
「私たちに『ぜったい助ける』って言ってくれた人は、本当に私たちを助けてくれた! 生きることを諦めかけた時にくれたその言葉がどれほど嬉しかったか、頼もしかったか、私は忘れない! だから!」
月野さんが力強く1歩踏み出した。
少しだけ、ほんの少しだけ、押し負けるように影の拳が後ずさった。
「――私も、助ける! 一度助けるって決めた人を、ぜったいに!」
血が吹き出す。
肉が裂けているのかもしれない。
影のくせに相応の質量を持ったそれは、とてもか細いひとりの少女に受け止められるものとは思えない。
それでも、月野さんは力強く踏みしめた。
私を助けるために。
私と、葵を救うために。
「……月野さん」
頑張れ、なんて言えない。
助けて、なんて言えない。
私のせいで傷ついて、私のために痛みを我慢するのだ。
でも、私は月野さんに勝ってほしかった。
こんな想いで、覚悟で、私を助けようとしてくれている人に、敗北なんて情の欠片もないような未来を導くなら、神様なんか嫌いになってしまうから。
「……っ、ぁぁああぁぁあぁあ――っ!」
「――! ほんとに無茶しないで、月野さん! 死ぬよ!? っ――【発火】! 【発火】っ!」
だからせめて神様がいるなら、助けてほしい。
私じゃなくて、月野さんを。
そして願わくば、葵を。
ああ、神様。散々祈ってきてやったんだから、肝心な時くらい役に立ってくれないだろうか。
今まで大して役に立ってこなかったんだから、今日くらい。
いや、きっと今日この時のために、今まで私の願いを無視してきたのだ。
そうに違いない。
だから。
助けて。
助けて。助けて。
助けて助けて助けて助けて助けて助けてよ――。
「っ、ぁあぁあぁぁぁぁ――っ!」
「つ、月野さ――」
「――【
「――――ぁ」
瞬間、世界が裏返ったような錯覚に陥る。
なぜかと思えば、視界を埋め尽くす黒が、白に変わっていたのだ。
「――氷?」
そして私は気づいた。
あれだけ鬼気迫っていた月野さんの表情が一転、心底から安堵したものに変わっていることを。
そんな彼女を片手で受け止め、もう片方の手を伸ばした先に、影からの攻撃にビクともしない盾を造った女性のことを。
花田さんも、ポカンと口を開けて膝をつき、そんな女性を見上げていた。
「――ちひろちゃん。よくがんばったね。あとは私にまかせて」
「……紗那、さん。きて、くれたんですね」
「うん。ぜったい助けるって言ったもん。花田さんも、ちひろちゃんを守ってくれてありがとう」
「は、はい……」
月野さんがその女性に向ける目とは対照的に、花田さんはなんだか怯えた目をしていた。
それでも膝をついたのは安堵の証明だろう。
なにより今こうやって拳を受け止めながら余所見をする余裕から見るに、この人は並々ならない実力を持っていることを推し量れる。
「それで、お姉さんは……」
そしてその人の視線は、私に向いた。
ドキリと心臓が跳ねる。
私は関係者だ。あそこにいるのが妹なのだから。
だけど、私は何をすればいい。
何をするのが正解で、なんと答えるのがよいか。
きっと、それは自分で考えるより――、
「その影の……というか、えっと、姉です」
「なるほど、そういうことか。わかりました。じゃあ私がお姉さんを守るので、行きましょう。花田さん、ちひろちゃんをおねがいね」
私よりあの影に詳しいであろうこの人が答えをくれる。
そう予想した通り、彼女はすぐに察して、月野さんと同じ結論を出した。
■
「迷宮って、どうやって生まれるかよくわかってないんです」
影の攻撃を簡単にいなしながら、彼女はそんなことを言った。
「ほとんどの迷宮は遺跡みたいに古くて、すっごい昔から存在していただろうって言われてるんですけど、それにしては発見されたのがつい最近なので、色んな説があるんですけど……」
「そう、なんですか」
「まぁ、私たち探索者に求められてるのは研究じゃなくて資源の回収と魔物の駆除なので、正直あんまり詳しくはなくて――【氷烈刃】」
会話の途中で、薄い氷の刃が何度も何度も飛んだ。
その度に影は攻撃の手を緩め、数秒間の安全が私たちに担保される。
それでもたった数秒だ。息も切れてしまうほどに魔術を使い続けなくてはいけないはずなのに、この人はまるで無尽蔵の体力を持っているんじゃないかってくらい、汗のひとつもかかずにこなしていた。
迷宮の話は気になることだらけだった。
私の中の常識では、迷宮というのは現実から隔絶された空間だ。
さっきまでただの運動場だった場所が迷宮に化けるなんて、聞いたことも見たこともない。
そしてその中心にいるのが、妹だってことも。
「……もしかして迷宮というのは、人を媒介して生まれる……とか」
「――。この場所は、私たちがいつも潜っている迷宮とは別物です。あの影も、普通の魔物とは違うんです」
「どういう……」
「……私にもわかりません。ただわかるのは、あの影は私にも倒せないってこと」
「――――」
「――それから、あの影を倒せるのはお姉さんだけ、ってことです」
わからないことだらけだ。
生きていると、自分の力だけじゃ解決できないような壁によくぶつかる。
父も母もいなくなってしまって、どう生きればいいのかわからなくもなった。
だけど私には葵がいる。
だから、なんとか生きてこられた。
必死に、間違いながら、一歩ずつ、少しずつ歩いた。
そうやってようやく今日に辿り着いたのだ。
葵と一緒に、ふたりで。
「――お姉さん! この先はもう足元です! めちゃくちゃに危ないですけど、気にせず走ってください! ――私がぜったい、守りますから!」
「――はい。行ってきます!」
だからせめて、必ず帰ろう。
葵と。
■
まだ父と母がいた頃、私たちがこの街に来る前は、毎年冬になると豪雪が降っていたことを思い出す。
雪が小降りになった頃には、家族で雪だるまやかまくらを作ったりした。
まだ小さかった葵は、叱られると拗ねてかまくらに閉じこもっていたものだ。
「葵、出てきて」
私がそう声をかけても、拗ねた葵は無視するのだ。
そういうところが子どもっぽくて、まぁ年相応で、当時の私は少しだけ面倒くさかった。
だからって葵を無視していると、そのうち大泣きして余計に不貞腐れてしまうから、私は声をかけ続けた。
子ども心ながらに、妹のそんな顔は見たくなかったのだ。
「もういいでしょ。帰ろうよ」
最初のうちは意地になっていた葵も、1時間もすると不安そうな顔で外の景色を覗きにくる。
私を見つけると、安心しきったように白い息を吐いて、無言で手を引かれていく。
そんないつかの日を思い出した。
「お願い、出てきてよ……」
そして今、葵はまた閉じこもってしまった。
黒い空間、その中心の、真っ黒なかまくらに。
影の足元には、一際分厚く、黒く、濃い膜が張っていた。
私たちが作ったかまくらより少し大きい程度の小さなドームだ。
光も通さないこの闇の中に、葵はいる。
姿は見えないけれど、確かにいる。
私の声は届いているだろうか。
こうなる前に、もっと早く、私は声を届けられていただろうか。
今さら悔やんでも、意味はないだろうか。
「葵、一緒に帰ろうよ……」
それでも、私は届けたい。
この声を。想いを。
たったひとりの大切な家族に、私からの言葉を。
葵には私がいる。
私には葵がいる。
たったそれだけで、たったそれだけを愛しさを、私は葵に伝えたい。
「葵、私と――」
ふらりとよろめく。
立ちくらみのように、地面の感触が曖昧になった。
拒絶されているのか、あるいは飲み込まれようとしているのか、とにかくこの場所から意識が引き剥がされていく。
「――葵! 私と一緒に帰ろう!」
それでも私は叫んだ。
届け。届いて、私の声。
たったひとりでいい。
目の前の大切な家族に、葵に――このメッセージを届けて。
「葵――――」
――そして私は、闇に包まれた。
失恋の勢いでダンジョン配信者になった私が、女の子に命を救われて「女の子同士もアリじゃない?」と気づくまで あきの @junshin
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