25.『不完全に死ぬということ』
「……禁域?」
私の頭の中は、たくさんの『?』で埋め尽くされた。
凛ちゃんはきっと、なにか核心に迫る言葉を吐いた。
だからそんな表情をするし、私と目も合わない。
それはわかるし、だからこそ、私はその言葉を理解しなければならない。
そうじゃないと、私のために腹を括ってくれた凛ちゃんへの裏切りになってしまう。
凛ちゃんに失望され、愛想を尽かされてしまう。
なのに、私という人間は本当に嫌になるほど、その意が酌めない。
凛ちゃんの言葉の意味を、ただそのまま汲み取ることすらできない。
どんなに焦っても、私は凛ちゃんの期待に応えられない。
もう、逃げてしまいたい。
「……そう。紗那は、魔術といえば何を思い浮かべる?」
でも、凛ちゃんは私を見放さなかった。
ゆっくりと、ひとつずつ、子どもに世界の広さを教えるように、丁寧に問いかけてくれる。
今はそれに甘えるしかなかった。
「そう、だなぁ……やっぱり私は、氷魔術かな。でも迷宮で役に立つのは炎や土だって言われたりするよね」
「……へぇ。まぁ、五属性っていう定義は皆知ってると思うけど」
でも、とまるで秘密を共有するみたいに声を潜めた凛ちゃんが、立ち上がってベッドに腰をかけた。
少し沈んだ左側が、私を吸い込もうとしている。
手を伸ばしたくてたまらない。その手に、足に、肩に触れたい。
あるいは、いっそ私の上に座って、その体重を心ごと預けてくれたらいいのに。
「……魔術は、たった5つのカテゴリに分類されるほど、不完全で不自由なものじゃなかった」
「と、いうと?」
「……原初の魔術は、炎でも、土でも、氷でもない」
ならば当然、雷でも風でもないのだろう。
五属性に分類されない魔術。
理から逸脱した魔術。
心当たりは、ある。
たったひとつだけ、私はその魔術を知ってる。
「――治癒、魔術」
「……違う。確かに治癒魔術も、現代魔術からは逸脱した魔術だけど。でもそれは、もっと澱み深く、おぞましい魔術だった」
「じゃ、じゃあ、その魔術って……」
「――死んだ人間を甦らせる魔術。決して辿り着いてはいけない領域。人道に背き、魔に与することが、魔術の始まり」
■
その先の話は、語り部が凛ちゃんじゃなければとても信じられるものじゃなかった。
今や当たり前になりつつある『魔術』という技術の始まりが、死者を蘇生することだったなんて聞いたこともなかった。
私の中の常識じゃ、死んだ人間は生き返らない。
永遠の終わりこそが死であり、時間の針はどう足掻いても戻らないのだ。
だからこそ私は生きるし、誰にだって生きてほしいし、生きることは美しい。
神であろうと、魔であろうと、それを否定してほしくない。
私にとって『生きること』は、特別な意味があるのだ。
もし死んでも簡単に生き返れる世界だったら、私は心が折れたあの日から、きっと二度と立ち上がることはできなかっただろう。
でも、凛ちゃんが語ったのだ。
聞かせたくもなかった話を、凛ちゃんが私に教えてくれているのだ。
だったら、私の個人的な感性なんてどうでもいい。
凛ちゃんが語り、私が聞く。
それだけだ。
――たとえその先の話が、今までの話より遥かに衝撃的なものだったとしても。
「……人を自由に生き返らせることができれば、世界はもっと豊かになる。そう考える人がいた」
「……うん」
「それと同時に、死者蘇生の技術は、人が築いた文明の歩みを止めてしまうと言う人もいた。倫理的に看過できるものじゃないと唱える学者もいた」
「そう、だよね」
「この魔の力を、人間は使うべきなのか。永遠に答えが出ないはずの2択に決着がついたのは、死者蘇生の魔術が完全なものではないと判明してからだった」
「完全なものじゃ、ない……?」
言葉の裏に秘められた意味を探っていると、凛ちゃんが首を振る。
「その魔術で甦った人間は、不完全だった。手足が欠けていたり、脳の半分が欠けていたり。……人、とは呼べないような人もいたらしい」
「――――」
「だから死者蘇生の魔術は、使用も研究も正式に禁じられた。まだ情報が一般公開される前だったから、『死者蘇生』っていう夢の技術は実質的に闇に葬られたってわけ」
そこで話が終われば、凛ちゃんを通して歴史の真実を学んだということになる。
かなり衝撃的な話ではあったけど、でもそれで済む。
きっとそれじゃ済まないだろうことは、凛ちゃんの表情を見ればわかる。
「……だけど私のおじいちゃんは、密かに蘇生魔術の研究を進めた」
「……どうして?」
「どうしてもまた逢いたい人がいた、ってだけだと思うけど」
「……その人、って」
「私のおばあちゃん。若くして亡くなったんだって。――だから私のおじいちゃんとおばあちゃんの間には、子どもがいなかった」
もはやここから弾き出される結末は、ひとつしかありえなかった。
だけど私の心が全力でそれを否定しようとする。
そんな冒涜があってたまるか、という気持ち。
だけど、そうじゃなければ出逢えなかった人がいるという事実。
ぐるぐると渦巻く感情が、私に口を挟ませなかった。
「不完全なまま生き返って、不完全だから死んで。生き返って、死んで。また生き返って、また死んで。死にながら少しずつ成長していった歪な人間から産まれたのが、私のお母さん」
「――――」
「おばあちゃんのお腹の中にいたお母さんも、一緒に死にながら成長した歪な人間だった」
私は凛ちゃんに、なんと声をかければいいのかわからなかった。
そうだ、この話を凛ちゃんがしてくれる前に、私は何かとても大事なことを聞かれた気がする。
たしか、ええと、「――私がどんな話をしても嫌いにならない?」だ。
私は凛ちゃんのことを嫌いになんてならない。
それは自信を持っていたことだったし、事実、今私は凛ちゃんのことを嫌いになっていない。
凛ちゃんがどんな存在であろうと、凛ちゃんは凛ちゃんだ。
私が好きになった凛ちゃんと、今目の前にいる凛ちゃんはなにも違わない、凛ちゃんだ。
だけど、言葉が出てこない。
大好きで大切な人にかける言葉が、何も浮かばない。
どうしてかなと考えれば、腑に落ちる答えが見つかった。
――なんのことはない、結局のところ私は、自分のことしか考えていないのだ。
ここでかける言葉を間違えて、凛ちゃんに嫌われたくない。
凛ちゃんに嫌な思いをさせて、ほんの一抹でも怒りを向けられるのが怖い。
それだけだ。
馬鹿だ。
私ってば、本当に馬鹿だ。
凛ちゃんはどうしてこの話を私に聞かせてくれたんだ。
最後まで聞けば余計に、何がなんでも話したくないことのはずなのに。
ここで私が意気地を立てないでどうする。
凛ちゃんに伝えたい言葉なんて本当は、たくさんたくさんあるというのに!
「不完全な人間の、不完全な子どもから産まれたのが私。私はお母さんとおばあちゃんの、本当の姿を知らない」
「……凛ちゃん」
「……気づいた時には、ひとりだった」
「凛ちゃん」
「……ひとりでも生きていくしか、なかった」
「――凛ちゃん!」
凛ちゃんの細い肩が跳ねる。
ぎしりとベッドが軋み、振り向いた凛ちゃんのバツが悪そうな視線が絡む。
咄嗟に大声を出した私の肺が悲鳴をあげて、ごほごほと咳き込んだ。
ひゅーひゅーと肺が鳴る。
凛ちゃんは慌てて私に駆け寄り、ベッドの背にもたれて座る私の背中をさすった。
「……紗那、ごめん」
「けほけほ、ううん、あのね、凛ちゃん」
覗き込む凛ちゃんとの距離は、今までで一番近かった。
潤んだその瞳に映る私の姿がはっきりわかるほど。
ふたりの吐息があたたかく混じり合うほど。
まばたきをする睫毛の長さが、揺れる毛先のくすぐったさが、触れる指の温度が、細かく震える怖がりな唇が、ぜんぶぜんぶ確かめられるほど。
私はおもむろに両手をのばし、そのまま凛ちゃんを捕まえた。
「ちょ、ねぇ、えっ……さ、紗那?」
「凛ちゃんはひとりじゃないよ。これからずっと、ひとりじゃない。私がぜったい、凛ちゃんをひとりにしないから」
私の胸の中で、凛ちゃんがびくりと震える。
しばらくすると、凛ちゃんから熱いものが広がっていった。
私はそれが、痛みに感じた。
ずっとずっと我慢して、積み上げ続けた、凛ちゃんの痛みに。
■
「……私の目的は、死者蘇生の魔術に至ること」
「うん」
「そして、おじいちゃんを生き返らせること」
「うん」
「……おじいちゃんに、どうしてあんなことをしたのか、聞くこと」
「うん」
「私のやろうとしてることは、おじいちゃんの犯した過ちを繰り返すことになる。……その先には、虚しさしか残らないかも知れない」
「それでもいいよ。間違っても、正しくても、反省しても、後悔しても、たとえ最初からそうわかってても、それが生きるってことなんだと思う」
「……紗那。それでも、友達でいてくれる?」
「あたりまえじゃん。私は凛ちゃんをひとりになんてしないから」
「……ありがとう」
ちょいちょいとハンドサインを出して、凛ちゃんを呼ぶ。
ちょこちょことやってきた凛ちゃんの頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめる。
凛ちゃんは仏頂面ながら、目を瞑って大人しく撫でられていた。
なんか凛ちゃんに懐かれた。
まるで小動物みたいだ。かわいい。
よし。
「凛ちゃん、私の家に住みなよ」
「ん……ん?」
ぴょこっと顔を持ち上げる凛ちゃん。
とりあえず返事をしてみたはいいものの、何を言われたのか理解できなかった、みたいな顔だ。
「凛ちゃん、私の家に、住む」
「……私からしたら定住地があるのはありがたいけど。でも紗那は迷惑じゃないの?」
するっと私の拘束から逃れて、凛ちゃんはベッドの脇に立ち上がる。
あ、いつもの凛ちゃんだ。
「ぜんぜん。広さ的にはふたりでもよゆーで住めると思うよ?」
「そうじゃなくて、ほら、共同生活とかトラブルが付き物なんでしょ? 私、紗那と喧嘩したくないし……」
「多少はあるかもしれないけど、それも楽しそうじゃない?」
「……ん」
「悩んでるなら決定ね! ほら、今日から私の家が凛ちゃんのおうち! けってい!」
そう言って、私が強引に決断を下した――ふうを装った。
内心では心臓バクバクだ。
凛ちゃんが返事をするまでの数秒が、永遠のように長かった。
「……わかった。お世話になります」
ぺこりと頭を下げる凛ちゃんを見て、私は胸を撫で下ろすと同時に、とてつもない幸せに包まれる。
マジか、マジかマジかマジでか!
私、凛ちゃんと一緒に住めるんだ!
え、これもしかして同棲ってこと!?
凛ちゃんと同棲!? なんだこの神イベント!
いやいやいや、あんまり表には出さない方がいいな。
下心アリアリだと思われちゃう。
そりゃないわけじゃないけど、それが主な理由じゃないし!
「こほん。じゃあ、あとで凛ちゃんのボディタオルとかシャンプー買いに行こっか。あ、バスボムとかスクラブもあったほうがいいかな?」
「まぁ……え、なんでお風呂のことばっかりなの?」
「……」
「もしかして紗那……」
「違いますけど?」
「え、めちゃくちゃ綺麗好きなんじゃないの?」
「そうですけど?」
「どっちなの……?」
あぶねぇ。
一緒にお風呂に入る算段が露呈するところだった。
そんなに焦ることはないよね。
ふたりで住んでれば、そのうち1回くらいはラッキーなんちゃらを享受する機会くらい……。
「あるよね?」
「なにが?」
「ううん、ぜんぜんなんでも……うわあ!」
シラをきろうと視線を逸らした先で、そりゃもう恐ろしいほどに恨みのこもった視線と出会った。
それは半開きになったドアの向こうから、音もなくこちらを覗き込んでいる。
探索で培った私の索敵能力に全くひっかからないなんて、ここが迷宮なら私は死んでいた。
「……私のベッドでずいぶんと仲がよろしそうですね?」
「あ、明莉さん……! ちちち違くて! これはえっと、別に変なことしてるわけじゃあ……!」
「ふぅん。いや、別にいいですよ? おふたりの仲がよろしいのは素晴らしいことだと思いますから」
「そ、そうですか。明莉さんが優しい人でよかっ――ひっ」
「ええ、ぜんっぜん、私のことなんてお構いなく。同棲とか、お風呂とか、まっったく私は気にしてませんから。なのでお好きに楽しまれたらいいんじゃないですかあ? 私の部屋で存分にイチャついてもらって大丈夫ですよ?」
私は死ぬほど謝った。
凛ちゃんもなぜだか釣られて謝った。
明莉さんの機嫌は、私がおそるおそる明莉さんの手を握るまで直らなかった。
その後、ぎゅーをご所望されたことについては、あまり触れるべきではないのかもしれない。
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