22.『薄ピンク色の封筒』
「くしゅん」
あー、さむっ。
急激に気温が下がったせいか、私の身体と脳みそはまだ衣替えできてないみたいだ。
外は気が早いもので、アーケード街ではもうキラキラなライトアップが施されていたり、みんなの気分は完全に冬といったところ。
今日は土曜日ということも相まって、どこに行っても人混み、人混み、人混みだ。
こういう日は迷宮に潜るに限る。
「近くの迷宮はまだ探索しきってないけど……せっかくだし遠出してみようかな」
適当に腹ごしらえしたら出かけることに決めて、ひとまずはコンビニへ向かおうと靴を履く。
なんだか今日は食欲も薄いから、せいぜいラーメンとおにぎりひとつくらいで事足りそうだ。
玄関を出て、エントランスまで歩いたとき、私の郵便受けに突っ込まれた封筒に気づく。
どことなく見覚えのある薄ピンクのそれは、迷宮省からの郵便物だ。
私はそれを引っこ抜き、ひとまず鞄に入れて、コンビニに向かった。
■
「あ、紗那さん」
「げ」
後ろから声をかけられて、私の表情は固まった。
デジャヴ。ちょっと前にもこんなことがあった気がする。
「久しぶりですね! 今日は探索お休みですか?」
「祐人くん。久しぶり……」
声の主はやっぱり彼だった。
別に彼が苦手ってわけじゃないけど、私はプライベートで知り合いに出会うと気まずくなってしまうタイプの人間なのだ。
そして、彼は悪気なく私に精神攻撃をしかけてくる。
とにかくお腹にぐっと力を込めて、私はそれに備えておく。
「今日はパンダなんですね! 似合ってますよ、もふもふで!」
「ぐあっ……あ、ありがと……」
「あ、髪切ったんですか! すっきりしていいですね!」
「うん、梳いてもらった程度だけど……」
「あれ? 眼鏡変えました?」
「君、なんでそんな細かいとこまで見てるわけ!?」
怖いわ! 観察眼と記憶力が常人のそれとは思えなくて怖いわ!
この子が黄金色探索者なのも納得だわ!
これも一種の職業病なのだろうか。
細やかな変化や違和感にもすぐに気づく能力。
そう考えれば、探索者としてはかなり優秀といえる。
それを私に発揮しないでほしいけれども。
下手なこと言えないし、パジャマで外を出歩けないじゃん。
「あれ? 紗那さん、もしかして体調優れないんですか?」
「ん? ううん、ちょっと寒くてくしゃみが出るけど、別に悪くないよ。どうして?」
「前回に比べてお弁当の数が少ないので。少し顔も赤いですし、それに話し声が平均して2度ほど前よりも低いです」
「君すごいな!」
恐怖を超えて感心の域までたどり着いてしまった。
ストーカーでもここまで徹底してないと思う。
それはそれとしてぜひ直ちにやめてほしいものだ。
さもないと、本格的に彼を見る目を変えないといけなくなる。
「早めに帰って休んだ方がいいですよ。冬の風邪はあまり長引かないですけど、拗れたら厄介ですし」
「うん、でもまぁ、大丈夫だよ」
「そうですか……ならいいんですけど」
「心配してくれてありがと」
「いえっ、当然のことですから!」
そう、彼は心配してくれているのだ。
アプローチがちょっと気色悪いけど、善意100%で声をかけてくれているに違いない。
それ自体はありがたいことだから、私は素直にお礼を言った。
彼は当然のことと言うけど、人を心配するのは決して当然のことじゃない。
相手に相当興味があるか、相当性根が優しい人じゃないと、他人を本気で気遣うことなんてできないのだ。
「じゃあ、私行くね」
「はい、お大事にしてください」
そう言って、私はコンビニを後にした。
■
『白金色探索者への昇格の打診』
封筒の中に入っていた紙切れには、そんなことが書いてあった。
「おおっ!?」
正直、また換金手数料が上がるってお知らせだろうな、なんてあたりをつけて開けたものだったから、私にとってそれは衝撃的だった。
そりゃ、嬉しい話だ。
黄金色探索者にとって、白金色への昇格というのは夢、もしくは最終目標なのだから。
これより上は才能だけでは太刀打ちできない世界。
血も滲むような努力と、確かな実績が必要になる。
そういう意味では、どうしてこの話が私のもとに降って湧いたのかわからない。
それなりに戦える自信はあるけど、黄金色探索者の中で飛び抜けて強いわけでもない。
目立った実績があるわけでも、上位層からの推薦があるわけでもない。
どうして私なんだろう。
そんな疑問は、その先に書かれていた内容を読んでも、あまり解消できなかった。
「献身的かつ積極的な人命救助活動、か」
たしかに目に見える範囲で困っている人がいれば極力駆け寄ろうとしてきたし、この手が届くならいくらでも伸ばしてきたつもりだ。
だけど、そんなことでよかったのだろうか。
そんなことなら、私じゃなくなってやってる人はいるのに。
「私が白金色かぁ……」
今すぐになれるわけじゃない。
適性検査と実技テストをクリアしたのち、新しいライセンスカードが届いたら晴れて白金色探索者、というかたちだ。
だからというわけじゃないけど、どうも自覚が芽生えなかった。
というより、なぜだか心が満たされなかった。
私だって夢見たはずなのに。
探索者として成り上がっていく様を何度も空想して、生きる活力にしてきたのに。
どうして今、こんなにも心が晴れないんだろう。
「……凛ちゃんに会いたいなぁ」
こういう時、浮かんでくるのは凛ちゃんの無愛想な顔だ。
どうしてか彼女の顔を浮かべている時は、不思議と心の穴が埋まるから。
あれから数週間、私は凛ちゃんと会えていない。
一緒に迷宮に潜る約束はしたものの、彼女にもやることがあるから、そう頻繁に会うことは叶わないのだ。
しかたのないこと。それはわかってる。
だけどそろそろ凛ちゃんを補給しないと、私は泣いてしまいそうだ。
「私って、こんなにナヨナヨしてたっけ……」
どんどん自分が弱くなっていく感覚。
私はこれを知っている。
人は誰かを想うとき、どうしようもなく弱くなるのだ。
ほんとうに、取り返しがつかないほど。
「……ダメだ。このままじゃダメ。よし、迷宮行こっ!」
結局、私が生きるのは迷宮あってこそ。
凛ちゃんほどじゃないけど、迷宮こそが私の故郷といっていい。
普通の生き方から外れたあの日、そう決めたんだから。
後ろを向いて悩むのはやめ!
さぁ、気合い入れていきますか!
なんたって私は、もうすぐ白金色探索者になる女だからね。
しっかりと自分を持って、強く在らなきゃいけないはずだ。
そして、私にはそれができる。
少なくとも迷宮省はそう判断してくれた。
期待してくれる人がいるなら、そのぶん頑張らなきゃいけない。
腹ごしらえも終わったことだし、今日も迷宮探索だ。
ポーチに必要なものを詰めて、私は再び靴を履いた。
■
「――【氷烈刃】」
魔物がまっぷたつに切り裂かれ、ぼとんと落ちる音が戦闘終了の合図となった。
これは私に限った話じゃないけど、戦闘に慣れるほど一戦にかかる時間は短くなっていく。
魔物を戦闘状態に切り替えさせず倒す、というのが理想だからだ。
今回は、1秒もかからなかった。
:安定してるな
:やっぱり鮮やか
:今日はどこまで行くの?
流れるコメントを目で追いながら、適当なものを拾う。
「うーん。初めて潜る迷宮だからあんまり無理したくないなぁ。深層まで行ければいいけど、まぁ様子見ながらってことで」
今日はある程度のマッピングを済ませるに留めて、本格的な探索は明日以降にしようと思っている。
あまり根を詰める意味もないし、近くのホテルは3泊も押さえてあるから、時間だってある。
加えて言うと、この迷宮はまだ開拓が進んでない。
魔動式エレベーターはおろか、救護拠点すら存在しないのだ。
ほんの少しの怪我が取り返しのつかない事態を招く危険性もある。
最近はこういった迷宮に潜ることが多いけど、それでも毎度細心の注意を払いながら探索をしているのだ。
そんなわけで、今日のところはあまり深く潜るつもりはない。
とは言ってもここは既に35層、切り上げるならこの辺りだろう。
「……血の匂い」
踵を返す直前で、嫌というほどに嗅いだことのある鉄の匂いがツンと刺した。
迷宮探索に慣れたつもりでも、この匂いばかりはいつまで経っても慣れない。
慣れないほうが、いいと思う。
まるで誰かを呼んでいるように主張するその匂いをたどって、たどり着いた先には壁にもたれかかる女の子がいた。
天井にまで飛び散った血は、目も覚めるほどに赤かった。
:あっ……
:あぁ……
:かわいそうに
:もう助からないだろうね
歩み寄りながら観察したところ、出血源は首もとらしい。
傷は深く、流れ出る血は命をこぼしてるようだ。
ひゅーひゅーと喉を鳴らし、肩は浅く上下している。
私はしゃがみこみ、その手を握った。
「だれか……いるの……?」
「はい。いますよ」
かすれた声。
もうほとんど喋る力はなくて、握った手が握り返されることもなかった。
「おねがい……しばらく、そこにいて……くれる……?」
「わかりました。ここにいますよ」
「ありが……とう……」
いつだったか、私は人の死に慣れてしまったと自己評価を下したことがあった。
あれは、嘘だ。
いざその時になったら、どうしたってやりきれない思いでいっぱいになってしまう。
「……やっ、と」
「はい」
「やっと……終われる……」
「……今まで、お疲れさまでした」
「あぁ……次はまた……あの人に……」
「――――」
ぽとりと握った手が落ちる。
目から光は消えていて、肩が動くことももうなかった。
死んだ。
また目の前で、ひとりの探索者が命を落とした。
「……」
:あれはしゃーない
:もう助けようがなかったもんね
:準備不足と実力不足、自業自得ではある
:まだ35層だしなぁ
:こおりちゃん結婚しよう
:こおりちゃんは俺と結婚するんだが
こういうとき、自分の配信のコメント欄がひどく嫌になる。
どこまでいっても『迷宮配信』はエンターテインメントでしかないのだ。
そしてその仕事を選んだのは私自身であり、偉そうに講釈を垂れる資格なんてないことくらい理解しているから、何も言うことはない。
もし私が死ぬことがあれば、それもまた娯楽として消費されていくだろう。
自己責任、自業自得だ。
「……じゃあ、先に行こうか――あれっ?」
いつまでもうずくまってはいられない。
気持ちを切り替えて先に進もう、あるいは地上に戻ろうと、とりあえず足に力を込める。
立ち上がろうとして、なぜだかバランスを崩して、私はその場に手をついた。
「うー……なんか立てなかった……」
:ん?
:え?
:おばあちゃんかな?
:どういうボケ?
「失礼しちゃうなあ……これでもまだ、ピッチピチですよっ、と……あぇ」
再び立ち上がろうとして、また転ぶ。
まさか魔物による攻撃か、なんて思ったものの、近くにそんな気配はない。
ただ、なんだか頭が重くて、手足にも力が入らなかった。
「なんだぁ……? なんで立てないんらぁ……?」
:ちょ、マジで大丈夫?
:脳の機能障害じゃね? 頭に攻撃食らったとか
:それ平気なん?
:いやヤバいっしょ
:こおりちゃん死ぬの?
「死ららい死ららい、全然らいじょ、ぶ……」
サーっと血の気が引く感覚とともに、目の前が砂嵐になる。
真っ暗になって、何も考えられなくなって、体が動かなくって――。
――そして私は、暗闇に落ちていった。
:普通に風邪じゃね? 今日ずっと鼻声だったし
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