19.『オール・アイ・ニード・イズ・ピース』
私の人生は、きっとどこを切り取っても売り物にならない。
生まれた時から平凡で、もしかしたら平凡よりも少し水準が低くて、出会う人出会う人に道ばたに落ちてる石ころ程度にしか認識してもらえたことはないのだろう、と思う。
中学生のころ、教室の片隅で本を読んでいたら、こんな会話が聞こえてきたことがある。
「あたしの誕生日って夏休みに丸かぶりしてるからさー。学校で祝ってもらえなくて悲しいわー」
贅沢な悩みだな、と思った。
彼女のその言葉に「拗ねんなよー、一緒に遊園地行ってあげるからさー」と続けてくれる友達がいるのだから。
私は6月生まれだけど、家族以外に祝ってもらったことはない。
とはいえ、友達が欲しいのかと言われれば、別にそんなつもりもなかった。
いたらいいなとは思うけど、友達付き合いというのは労力のかかるものらしい。
喧嘩して、心をすり減らして、仲直りしなくてはいけないのだ。
仲直りという儀式が上手くいかなかった場合、立ち回りが上手い方がみんなに庇われて、もう片方は肩身の狭い思いをする。
それが人の世の常であると、何かの本で読んだ。
無理だ。
人付き合いの立ち回りを学ぶには、私は少しばかり自己が形成されすぎてしまった。
学校というのはイメージの社会である。
これもまた何かの本で読んだ一節だが、要するに学校という集団生活の中では、『イメージ』や『雰囲気』といった漠然とした要素でのみ人の役割が決まる、というものだ。
そういう意味では、私は『窓際に座って一人寂しく本を読むぼっち』という役割をそつなくこなしてると言える。
もしその役割から逸脱した行動を取れば、まずは意外に思われるだろう。
そしてその後の展開といったら、悪目立ちして馬鹿にされるか疎まれるかの2択しかない。
だからこれでいい。
我ながら価値の薄い人間だとも思うけど、少なくとも不自由はしてないし、これでいい。
なにより私が望むのは『つまらなくも平和な毎日』だったので、それは十分に叶えられていたはずだ。
そう思っていたのに、高校に進学すると少し話が変わった。
『窓際に座って一人寂しく本を読むぼっち』という役割は、『成績は最低でも上の下でなくてはならない』。
だから私はそこそこの偏差値の女子校に入学した。
トップクラスではないけど、上位にはギリギリ位置付けられるくらいの、そこそこなところ。
必死に勉強した割にはパッとしない結果だなと思いつつ、私がパッとした結果を出せるわけがないから、納得して頷くことはできた。
中学と高校は、まるで別の世界だった。
まず、異性が存在しないというところ。
中学では、誰々があの人に告っただの、カレシとドコまで進んだだの、そんな耳を覆いたくなるような下世話なゴシップが窓際に座ってるだけでも流れ込んできた。
よくまぁ他人の噂でそこまではしゃげるものだと、半ば感心に近い気持ちを抱いたこともある。
高校でもそんな話題がゼロになったわけじゃない。
でも確実に少なくなって、さらにはその話題になった時も、中学の時にはあった妙なギトギト感もなくなっていたから、大分過ごしやすくなった。
同性との接し方に変化があったことは、私にとって向かい風だった。
中学の頃は『目立たないクラスメイト』だった私が、高校に進学するとなぜか『目立っているクラスメイト』になっていたのだ。
といってももちろん人気者になったわけじゃない。
高校1年の春、壮絶なスクールカースト争奪戦の中に、私が潜り込める隙間はないのだから。
じゃあなぜ私が悪目立ちしはじめたのかというと、どうやらその争奪戦が関係していたらしい。
私と同じ中学だった子が、1軍の女子に擦り寄るために、他の子のウワサをあることないこと嘯いていたようだ。
やれアイツはビッチだとか、やれアイツは嘘つきだとか。
その被害者の中に私の名前も連なられていて、そのせいで私が3年間必死に演じた役割は、たった1日にして瓦解した。
腹立たしいことにコイツは立場が上の人間にゴマをするのが上手く、そんな突拍子もないウワサはあっという間に広まった。
「月野さーん、ちょっと来てよ」
花田うららに声をかけられたのは、その頃だった。
いつもと同じ席、変わらない窓の外、何度も読み返した本。
まるで昨日を繰り返しているように機械的だった日常は、これによって激変することになる。
「……」
平静を取り繕えていたかはわからない。
実際のところ心臓はバクバクで、今にも朝食べた食パンがジャムごと飛び出るんじゃないかと思った。
転ばないように気をつけながら、一歩ずつ自分を支えるように歩く。
たった数メートル先のその席に辿り着くまで、私の頭の中を莫大な量の文字が通り過ぎていった。
「月野さんって、ウリやってんでしょ?」
「……え?」
言われている意味がわからなかった。
知識として、それが所謂売春の隠語であることは知っていた。
だけど、それが私に向けられる理由がわからず、呆気に取られる。
いやらしい笑みを向ける花田うららの顔を見ながら少し考えてみれば、あぁなるほどなと理解が及ぶ。
もちろん心当たりはないし、全くもって事実無根だから、考えられる理由はひとつ。
私がかけられた毒牙は、つまりそういった類のウワサなのだ。
「……やって、ない」
「まぁ、そう言うよね。でも皆そう思ってるよ?」
「……っ」
皆、なんて曖昧な言葉、どう受け取っていいのか分からない。
だけど曖昧だからこそ、この時ばかりは目に映るクラスメイト全員が敵に思えた。
「大丈夫、まだほかのクラスには伝わってないみたい」
「……」
「黙っててほしいよね?」
「……」
「もし先生にも伝わっちゃったら……ね?」
「……っ!」
花田うららの取り巻きがクスクスと笑う。
その中心で一番あくどい笑みを見せる女が、ひどく醜く見えた。
ともかく、この瞬間に私の役割は上書きされてしまったのだ。
■
それからの半年間、私はなんでもやった。
パシリ、嘘告白、つまらない一発芸。
とにかく、やれと言われたことは何でもやった。
不幸中の幸いというか、一線を越えた命令はなかったので、何とか心は保っていた。
どうして私は従っているんだろう、なんて疑問に思った瞬間もあったけど、すぐに考えるのをやめた。
なるべく平和に過ごすためには、大人しく従っておくのが最善なのだ。
だんだん飽きられてきて、どんどん私の扱いが雑になってきて。
本気で嫌われているんじゃないかと疑ってはいたけれど、なぜだか命令は続いた。
花田うららにとって、私は壊れても構わないオモチャなのかもしれない。
それ故か、一線こそ越えないものの、やることがどんどんエスカレートしていることは確かだった。
嘘告白に快諾してくれた子には種明かしの時にビンタをされたし、一発芸を皆の前で披露した後、しばらくはクラスメイト全員の視線が痛かった。
私が怖がりであることがバレてからは、命令もそういった方向性に変わっていく。
「月野さん、遊園地行こうよ」
「……どう、して」
「え? 友達だよね?」
悲しいかな、私の人生における初めての『友達と遊園地』というイベントは、こんな形で消費された。
絶叫マシンもお化け屋敷も、私は嫌だった。楽しくなかった。
心霊スポットに一人放置された時は、帰ってすぐに洗濯をする羽目になった。
これが友達だとするのなら、やっぱり友達なんて必要ないと思った。
当たり前ながら、これがスタンダードな友達の形であるはずがないことは、理解していたけれど。
――とにかく私は、平和が欲しかった。
そうやって生きてきたはずなのに、生きるってのはままならないものだ。
そして今日。
ついにその時はやってきた。
迷宮。
私みたいな人間が寄り付いてはいけない、まるで別の世界への入口だ。
きっかけは、下校直前の花田うららによる一言だった。
「今日、迷宮行こうよ」
これには取り巻きの2人も驚いていた。
そんなファストフード店感覚で出入りできる場所ではないと、さすがに理解しているからだ。
いつもは100%言いなりの取り巻きたちも、この時ばかりはやんわりと花田うららを止めようとしていた。
そんな無駄なあがきは、花田うららの次の言葉で止められてしまう。
「大丈夫、月野さんがいるじゃん」
到底対等な者に向けるものとは思えない目つきと、私の不安に染められた目が合う。
そして、私は諦めるように頷くのだった。
■
「こっちこないでよ! ねぇ、月野さん、早くやって!」
最初はなぜか順調だった迷宮探索も、やがて雲行きが怪しくなっていく。
20階層を越えたあたりから魔物の数も増え、もはや一筋縄ではいかない。
そもそも、曲がりなりにも魔術が使えているのは私だけだった。
花田うららたちは戦闘を任せきりで、魔物と出会うたびに私を盾にするように隠れている。
私は本で得た浅い知識をもとに、ドロドロに蕩けた土の塊を生み出し、魔物に投げつけ続けた。
なんとか戦いにはなっていたから、私たちも無用な希望を持ってしまっていたのかもしれない。
あるいはもっと醜悪な、『慢心』という気持ちが生まれてしまった可能性すらある。
きっと、そのせいだろう。
「……ねぇ、ここさっきも通らなかった?」
「うらら、もしかして私たち……」
「……うるさい! 今道探してるんだから、黙ってよ!」
私たちは迷っていた。
完全に、迷子になっていた。
その自覚が生まれた時、私は以前読んだ本のことを思い出した。
――青銅以下の探索者が迷宮で道に迷った時、生きて帰れる可能性は3割未満。
それがどんなデータから弾き出された解で、信憑性がどれほどの情報なのかは分からない。
けど、確かに私たちは危機的状況だった。
「――きゃぁあぁぁあ!」
ギリギリな戦いだった。
私の魔術の威力じゃ、何度も何度も叩きつけないと魔物を倒せない。
この階層にもなると必要な回数はさらに増えていて、ついに安全を担保しながらの戦闘ができなくなった。
なんとか勝利はしたものの、取り巻きの1人が怪我を負った。
「――月野さんがもっとちゃんと戦わないから!」
「いたい、いたいよ……私、死ぬの……?」
「大丈夫、そんなに酷い怪我じゃないって!」
私は涙が出そうだった。
全ての戦闘を私が請け負っているわけだから、ひょっとしたら責められる謂れはないのかもしれない。
だけど、私がすぐに倒せていたら怪我人が出なかったのは事実だ。
己の無力さに、言い訳をする気力も湧かなかった。
「ねぇ、なんで下りの階段を見つけるの!? 私たち、帰りたいんだよ!?」
「そ、そんなの……しかたないじゃん! うららが迷わなければよかったのに!」
「――っ、あんた、調子乗らないでよ! 私の金魚のフンにしかなれないくせに! ねぇ、月野さん! そうだよね!?」
「……あ、え……」
「っ、あんたも、はっきり喋りなよ! あんたなんて金魚のフンにもなれない、石ころのくせに!」
醜かった。
この人たちも、私も。
人は極限状態に陥ると、こうも醜くなるものか。
こうなってしまえば、もはやスクールカーストなんて関係ない。
生きて帰れるのか、それともここで骨となるのか、そんな瀬戸際だったのだから。
「――魔物さ、月野のこと狙ってない?」
そんなことを言い出したのは、取り巻きのうちどっちだったか。
ともかく、難癖だと思った。
いつしか慣れ親しんでしまった、言いがかりの類だと。
でも私意外の3人は、そんな言い訳の光明に縋りついた。
魔物を誘い出しているのは私に違いないと騒ぎ立て、今まで言われたこともないような暴言も吐かれた。
そしてそれが現実だと気づいたのは、それから3度目の戦闘の時だった。
確かに魔物は私だけを狙い、他の3人を積極的に攻撃しようとはしなかったのだ。
私が先頭にいたから、かとも思った。
でも、それにしたってあからさまに、魔物は私だけを狙っていた。
「――あんたのせいでしょ、この疫病神! 死ぬんなら、あんただけ死んでよ!」
そして私は、見捨てられた。
今になって思えば、4人の中で唯一魔術が使える私を置いて、あの3人がどう生きて帰るのか想像もつかない。
しかしそれが迷宮の罠というか、冷静さを欠いた人間の末路なのだと思う。
もちろん、私も例外じゃない。
私は、3人の命を背負う覚悟なんて出来ていなかった。
それでいながら、3人を殺すのはどうやら私らしい。
そんな事実は、どうしようもなく、私の心を蝕んでいく。
高校生活で楽しい瞬間なんてただの一瞬もなかった。
あの人たちがいなければどれだけ楽で平和かと、強く自分の役割を呪った日もある。
いっそいなくなってしまえばいいのにと、そう願った夜もある。
それでも、その引き金を引くのが私であることに、私は耐えられない。
身体中がガタガタと震え、溢れる涙が止まらない。
私が、3人を、殺すのだ。
「――どうしたの?」
私にとってその声は、私の最大の罪を咎める審判であり、最後の希望の光だった。
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