15.『オペレーション・凛ちゃん2』


 駅のコインロッカーのうち、一番大きなサイズを贅沢にふたつ占領して、7つの紙袋をぶち込んだ。

 そこからまたしばらく歩いてたどり着いた場所で、凛ちゃんは再び顔をひきつらせる。


「紗那……あなたは私をどうするつもりなの……」


 それは恐怖だった。

 命の危険が隣り合わせの迷宮の中じゃあれだけ凛々しかった凛ちゃんが、今私に得体の知れない恐怖を感じているようだった。


 失礼しちゃうなあ。

 私はただ、凛ちゃんの魅力をさらに引き出したいだけなのに。


「もう予約の時間ピッタリだからとにかく入らなきゃだよー」


 そう言いながら背中を押すと、今回の彼女は早くも観念したように軽かった。

 ドアをくぐると、広々とした白い空間。私には見慣れた場所だ。


「こんにちは、予約の小桜ですー」

「あら、紗那ちゃん。今日はお友達?」

「ねぇ、私の名前勝手に使って……!」


 凛ちゃんの戸惑いと美容師さんの声がかぶった。

 凛ちゃんを後回しにするのはホントに、ホントに心苦しかったけど、ひとまずは美容師さんへの返答を優先する。


「そうなんです。この子をかわいくしてください!」


 まぁ、もうだいぶかわいいですけど。

 とは言えなかった。


 美容師さんは私にアイコンタクトを送ってから、視線を凛ちゃんに移し、声をかける。


「はじめまして。とりあえず、座っちゃいましょうか」

「あ、え、その……」

「どんなヘアスタイルがいいかしら? さ、こっちこっち」

「え、あ、えっと……」


 運ばれていく凛ちゃん。

 それをにこやかに送り出し、手を振る私。

 視界からいなくなる直前、凛ちゃんと目が合った。

 めちゃくちゃ嫌そうな顔をしていた。


 ごめん。



「本当に……紗那は……本当に……」


 凛ちゃんは顔を手で覆っていた。


「ほらほら、見せてあげましょ」


 美容師さんが、その手を後ろから優しく広げる。

 泣きそうな顔の凛ちゃんが顕になり、なんだかいけないことしてる気分。


「わっ……」


 そして、見違えたのはその髪。

 肩下まで無造作に伸ばされていたセミロングは、丸みを帯びたミニマムショートに早変わり。

 ナチュラルかつ凛ちゃんらしさを残したヘアスタイルとしては、この上ない仕上がりといえるだろう。


 私は大満足で料金を支払い、笑顔で美容室を出た。


 外に出たところで、ぼすっと肩を殴られる。

 ほとんど力はこもってなかったから、私にダメージはない。


「なんだい凛ちゃん」

「……」


 ぼすっ。ぼすっ。

 なおも続けられる暴力。

 見やれば、やっぱり凛ちゃんは泣きそうな顔をしていた。


「迷惑だった? ごめんよぉ」

「……。迷惑じゃ、ないけど」


 ぼすっ。

 強めに肩に入る。

 あっ、今のはちょっと痛かった。


「……私、おしゃれとかに縁のない人間なの」

「迷宮一筋だもんねぇ」

「……だから、別に迷惑じゃないけど、怖かった」

「――怖い? 凛ちゃんにも怖いものとか、あるんだ」

「……あるに決まってる。――知らない世界を知るのは、怖いことだから」


 知らない世界を知るのは怖い。

 そりゃそうだ。私だって同じだ。


 ちょっとだけ凛ちゃんに向ける印象が変わって、私は自分の傲慢さを思い知る。

 勝手に知ったつもりになってたけど、結局のところ私たちの付き合いは浅い。

 浅すぎるくらいに、浅い。


 私が見た凛ちゃんは、彼女のほんの一部でしかないのに。

 どれだけ迷宮の中で強くても、彼女はまだ私と同じ、19歳なのに。


「うぅ……ごめんよぉ、凛ちゃん……」

「……別にいいけど」

「せめて事前に相談するべきだったね、ごめんね……」

「……いい。紗那が連れてきてくれなかったら、知らないままだったから。……感謝してる」


 少し照れくさそうに、凛ちゃんはそう言った。

 ほとんど私のわがままだったのに、許してくれたのだ。


 知らない世界を知るのは怖いことだ。

 だけど凛ちゃんは、知らない世界を知らないままにすることをよしとしてはいないらしい。

 やっぱり凛ちゃん、出来た子……。


 私がそんな感傷に浸っていると、沈黙を切り裂いたのは凛ちゃんのお腹だった。

 ぐぅ。数日ぶり二度目の主張は、雑踏の中でもやけに真っ直ぐ聞こえた。


「……」

「え?」

「……紗那。私は別に食いしん坊ってわけじゃないから」

「そ、そうだね……もうお昼だし、ご飯食べにいこっか」

「……もうお昼だからね」


 そう、もうお昼だから。

 決して凛ちゃんの腹の虫のせいじゃない。

 お昼が悪いのだ。凛ちゃんに恥をかかせるなんて、私は生涯お昼を許すことはないだろう。


 冗談だ。


 それはそれとして、私のお腹もそろそろ主張を始めてもおかしくない頃合ではあった。

 少し予定が前後しちゃうなと思いつつ、そんなに大したことでもないから、私たちはお腹を満たすために歩き始めたのだった。



「……で」

「……うん」


 白い湯気にゆられて、食欲をそそる香りが鼻腔いっぱいに広がる。

 下に移っていた視線を右隣に戻すと、切りたての髪から花の香りを漂わせる凛ちゃんが頬杖をついてこちらを見ていた。


「……なんでまたラーメンなわけ?」

「いやぁ、お昼といえばラーメン、みたいな」

「……そんな常識は紗那の中にしかない」


 そう言いながら、彼女は視線を下に移す。

 今回は私も凛ちゃんも豚骨ラーメン。

 それも、『特製ラーメン』なんて名が付いた、この店イチオシの激うまメニューだ。


 ちなみに、今回はどこでも食べられるラーメンではない。


「この辺じゃ一番人気のラーメン屋さんなんだよ。運よく並ばずに入れてよかったね〜」

「……紗那がいいならいいけどさ」


 はぁ、とひとつため息をついてから、凛ちゃんはお箸で麺をすくった。

 レンゲに乗せて、ふーふーと息をふきかけている。

 しばらくそうして冷ましてから、ようやくそれを小さな口に放り込むと、彼女は眉を上げてみせた。


「……おいしい」

「でしょ?」


 よかった。

 お口に合ったようだ。


 なんたって、ここは私のイチオシのお店。

 いいものばかり食べてるわけじゃないけど、色んなものを食べてはいるつもりで。

 そんな私が、一時期足繁く通っていた程度にはおいしいお店なのだ。


 心なしか、凛ちゃんも前回より麺にがっつくスピードが早いように思う。


「あんまり急ぎすぎて服に跳ねないようにするんだよ」

「……私がそんなことすると思う?」

「うーん、しない、かな?」


 私の言葉に、凛ちゃんは『言うに及ばず』みたいな顔をした。

 あるいは『愚問だな』とか『くだらぬことを』だったかもしれない。


 なるほど、迷宮でもあれだけの反射神経と動体視力を持つ彼女だ。

 スープごときの機嫌を取るくらい、造作もないということか。


 それは武者震いだったかもしれない。

 とにかく、自然と身体が震え、笑みが漏れる。

 それに応えるように凛ちゃんは私を一瞥し、再び視線を下に戻すと、猫舌も気にせずに勢いよく麺をすする。


 ある種の尊敬を胸に、私も箸を握った。



「跳ねた……」

「だから言ったのに」


 凛ちゃんはとても悲しそうな顔でお日様を浴びていた。

 薄ピンクのニットにはしっかりと茶色い染みができていて、ひとつひとつは小さいけれど、まばらに散った水玉模様がむしろおしゃれを演出して――ないか。


 うん。ラーメンの汁が飛び散った服だ、これは。


「……せっかく買ってくれたのに、ごめん」

「うんー? だいじょぶだいじょぶ、きっとそれくらいなら洗濯すれば落ちるよ!」


 珍しく、なんて言葉を使うのは憚られるけど。

 とにかく初めて見る表情の凛ちゃんに、私は得した気分になった。

 なんて言うのは、ちょっと性格が悪いかもだけど。


 なんにせよ、凛ちゃんにそんな顔をさせたままにするわけにゃいかない。

 気分を変えるためにも、私は次の目的地を高らかに宣言する。


「凛ちゃん、映画は好き?」

「……あんまり見たことないから分からない」

「じゃあ、好きになれるといいね!」


 ここまでは凛ちゃんを困らせてきたけれど、ここからは娯楽のターン。

 今日1日は、なにがなんでも凛ちゃんに楽しんでもらうのだ。


 あぁ、でも、私のチョイスが凛ちゃんに合わなかったらどうしよう。

 ……まぁ、その時はその時だよね!

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