14.『オペレーション・凛ちゃん』


「やだ、私ってば意外と美少女……?」


 埃の被ったドレッサーを拭いて、その奥に見える可憐な美少女を見つめてみれば、うっかり口角が緩む。

 こうやってメイクをするなんていつぶりだろう。

 

 私の仕事はある種の人気商売だし、彼らが私の実力だけでなく、見た目にも価値を見出してくれているのは理解している。

 だからダンジョンに潜る時もうっすら化粧をするんだけど、それはあくまで仕事の延長線上。


 バイト先の事務所で制服に着替えるとか、出勤前に髪をまとめるとか、そういう認識に近い。


 それにどうせ長く潜ってたら化粧なんて落ちるし。


 だから、自分のために着飾るなんてのは実に久しぶりだ。

 ベージュのスカートに厚手のカーディガンを羽織って、ブーツを履いたらいざ出陣。


 戸締まりだけはしっかり確認して、レッツ・オペレーション・凛ちゃんだ。


 胸の高鳴りを感じながら、私は家を飛び出した。



「ごめん、待った?」

「……別に、時間通りだし」

「……凛ちゃん。そういう時はね、『ううん、今きたとこ』って言うんだよ」

「……意味わかんない」


 駅前の、ジャンガリアンハムスターを模して造られた謎の銅像の前で私たちは落ち合う。

 1日ぶりに会う凛ちゃんは昨日と全く同じ姿をしていて、手荷物は鞄のひとつすらない。


 凛ちゃんらしいやと笑いながら、たった1日で確固たるイメージを植え付けた凛ちゃんの存在感はとんでもなく強いのだなとふと思った。


「ホテル、どうだった?」

「……すごかった。1人なのに広すぎるし。ご飯は美味しいし。湯船に浸かったのも久しぶり」

「ふふふ、ならよかった」


 凛ちゃんには、近くのホテルに泊まってもらった。

 今回はラブホじゃない。私はお家に帰ったしね。

 当日に予約が取れるか心配だったけど、電話をかけて2件目であっさり見つかって、凛ちゃんの寝床は確保された。


 うっすらと張っていた目の下のクマも、心なしか薄くなっているように思う。

 ちゃんと休めたならなによりだ。


「じゃあ、行こうか」

「……ん」


 私たちは隣り合わせで歩きはじめる。

 凛ちゃんの様子を窺ってみると、なにやら落ち着きなくキョロキョロしていた。

 なにやら、周りを気にしているようだ。


「どしたの?」

「……いや。なんか私、場違い感が」

「なーに言ってんの、凛ちゃんはかわ……か、かわ……」

「……?」


 違和感に苛まれる。

 今まで女の子の友達に対して何の気なしにかけていた言葉、『かわいい』という一言が、凛ちゃんに対してなかなか出せなかった。


 凛ちゃんはかわいい。

 私の主観でもそうだし、きっと客観的に見ても整った顔をしていると言えるだろう。

 今は長い前髪と泥で汚れた服がそれを隠しているけど、私の目まではごまかせないのだ。


 凛ちゃんはかわいい。

 なのにどうしてか、ただ事実を告げるだけのことができなかった。


「……ふぅ。まぁ、全然気にしなくて大丈夫だよ」

「……そう?」


 妥協してそう告げると、凛ちゃんの表情が少し晴れた。


「……で、どこに向かってるの?」

「うん? もう着くよ、ほら」


 指をさすと、凛ちゃんがそれに釣られてその先を見る。

 時刻は朝の9時半。開店直後のその店からは、おしゃれな洋楽が漏れていた。


「……洋服屋?」

「そう。まずは凛ちゃんに着飾ってもらいます!」

「……」


 そそくさと逃げ出す凛ちゃんの首根っこを捕まえる。

 振り向いた彼女の表情は、まるで病院に連れていかれる犬のようだった。


「なんでそんなに怖がってるの?」

「……だって、だって」


 今度は駄々をこねる子どものようだった。

 凛ちゃんはあまり着飾らない人だとは思ったけど、まさかこういう場所に苦手意識があるとは。


 うーむ。

 無理強いはしたくないんだけど、凛ちゃんにオシャレしてほしい気持ちも譲れない。

 まぁ、私の個人的趣向だ。

 一応押してみよう。


「ほら、凛ちゃんがオシャレしたらきっとかわ……いいよ」


 言えた。ギリギリ。


「だから、ね? ちょっと入ってみようよ。見てみるだけでもいいからさ」

「……うー……わかった」


 しぶしぶ頷く凛ちゃん。やったぜ!


 店内はそんなに広くはない。

 木目の壁が落ち着いた雰囲気を演出していて、若干オトナな感じ。

 もし私がまだ高校生だったら、ひとりでこういう場所に入るのは勇気が必要だったかもしれない。


「いらっしゃいませ」


 レジの横に立っている私服姿の女性が、入店した私たちを見つけて声をかけてくる。

 店内にはこの人と私たちだけだから、自然と店員さんの興味は私たちに向いていた。


 私は軽く会釈して、凛ちゃんはそれを見ながらガッチガチに硬直している。


「何かお探しですか?」

「この子に似合うお洋服がほしくて」

「あら……」


 店員さんの視線が凛ちゃんを捉える。

 咄嗟に目線を逸らした凛ちゃんだったけど、失礼だったかもしれないと思ったのか、恐る恐る目線を戻しては逸らすを繰り返していた。

 凛ちゃんはコミュニケーションが苦手なのかもしれない。


「……私、似合う服とかないと思う」


 ついに視線に耐えられなくなったらしい凛ちゃんが、そんな音をあげた。

 しかしもう遅い。

 店員さんの慧眼と頭脳はすでに凛ちゃんに似合うコーデをいくつも弾き出したらしく、「ちょっと待ってくださいね」と声をかけて店内を駆け回っていた。


 しばらくして戻ってくると、凛ちゃんは拒絶の意思を示す間もなく試着室に押し込められ、いくつかの服を手渡される。


「まずはこちらなんていかがでしょう」


 カーテンの向こうから細い腕がにゅっと伸びて、恐る恐るそれを受け取る。

 さっきから何に恐れているんだい、凛ちゃん。


 しばらくガサゴソと音がしていたけど、何分か経ったあとに急に静かになって、遅れて心細そうな凛ちゃんの声が聞こえた。


「ね、ねぇ……これ、見せなきゃダメ?」

「見せて!」


 前のめりになってしまった。

 うるさかったかも、と思って視線を店員さんに送ると、彼女はくすりと笑った。恥ずかしい。


 そんな一幕があったとはつゆ知らず、凛ちゃんは観念したようにカーテンを開けた。

 ファッションショーみたいに顕になるのは、知的な印象を与えるコーデに身を包んだ凛ちゃんだ。


「お、おお……」


 まず目に入るのは、シルエットがストンと落とされた白のワイドパンツ。

 凛ちゃんは私より少し身長が低いけど、たぶん足の長さは私と変わらないか、下手したら私より長い。理不尽だ。


 次に目に入るのは、上半身を包むもふもふのカーディガン。

 ベージュ色をしたそれは、パッと見はニットかとも思ったけど、彼女のきっちりした性格がもたらした、ボタンを締めたカーディガンというファッションなのだ。


 なんというきれいめコーデ。

 なんという破壊力。


「ね、ねぇ。なんか言ってよ」

「か、かわいい……」

「……っ!」


 これは逆らえない。

 どれだけ口に出しづらかろうとも、彼女は間違いなくかわいいのだ。


 おそらく人生で初めて女の子っぽい格好をした凛ちゃんは、その顔を細い指で覆って隠してしまった。

 照れている姿までかわいくて、胸の奥がジンジンする。


「……凛ちゃん。次行こう」

「次!?」


 しかし私は容赦がなかった。

 凛ちゃんはきっととてつもなく恥ずかしがっているのだろうけど、私の飽くなき知的探究心は止められない。


 もっともっと、色んな凛ちゃんを見たい。

 とにかくそんな欲望に溺れていた。


 店員さんにアイコンタクトを送る。

 彼女は上品に微笑んでから、凛ちゃんに次の辱めを手渡した。


「……これで最後にしてよ?」

「約束はできかねる」


 凛ちゃんの綺麗な顔がしかめられた。

 でもきっと喉元まで出かかった不平を表に出すことはなく、これまたしぶしぶといったようにカーテンの奥に消えていく。


 どきどきワクワクしながら待っていると、突然凛ちゃんが叫んだ。


「えっ!?」


 びくり。肩が跳ねる。

 出会って以来、たぶん一番大きな凛ちゃんの声だった。

 なにやら面白いことが起きてるに違いない。


「どしたの、凛ちゃん」

「……ねぇ、本当にこれ着なきゃ、ダメ……?」

「着なきゃダメ!」

「っ、わかったよ、もう……」


 強い口調で言った。

 自分でもびっくりするほど、当たりの強い声が出た。

 ちょっとしたトゲが自分の心に刺さりつつも、やっぱり気持ちを止めることはできない。


 しばらくして、またカーテンが開いた。


「……ねぇ、絶対変だと思うんだけど……」

「――。きゃー! きゃー!」


 人は本当に感情が揺さぶられたとき、叫ぶしかないのだなと理解させられる。

 日本に女神を信仰する文化はないけど、なんと愚かなのだろうと思った。


 女神はここにいる。

 凛ちゃんが女神なのだ。


 薄ピンクのニットにフレアスカート。

 いわゆるボリュームスリーブであるトップスは、凛ちゃんの細くて白い腕を顕にさせている。


 ただでさえ女の子らしさ全開のフェミニンコーデは、凛ちゃんという最後のパーツが嵌って完全無欠のものとなるのだ。


「ねぇ、本当に、落ち着かないんだけど……」

「きゃー! きゃー!」

「なんなの!? うるさいな!」


 私は勢いのまま、凛ちゃんを試着室の向こうに押し込める。


「え、なに!? ちょっと、ねぇ、紗那ってば!」


 されるがままに運ばれる凛ちゃんに、すかさず店員さんが次のアイテムを手渡す。


「ねぇ、嘘でしょ! いつまで続くの、これ!」


 抵抗むなしく、凛ちゃんの着せ替えはもうしばらく続いた。



「……紗那って結構、話が通じない人だったんだ」

「いや、その……ごめん」

「……別にいいけど」


 日も高くなってきた道を、私たちは両手いっぱいに袋を抱えて歩いている。

 私の顔色はたぶん悪いと思う。

 やっちまった、という気持ちでいっぱいだ。


 はしゃぎすぎて、凛ちゃんをおもちゃにしてしまったこと。

 それから、選びきれずに勧められた全ての服を買ってしまったことが原因である。


 凛ちゃんも手荷物が増えて困るだろう。

 物を置く家もないし……。


「……紗那」

「……なんだい凛ちゃん」

「……よかったの? こんなにいっぱい」

「あぁ、気にしないで。私が買いたくて買ったようなものだから……」

「……そう」


 凛ちゃんは紙袋を眺める。

 彼女の手元に4つと、私の手元に3つ。

 合計7つの紙袋に入れられた洋服が、本日の戦利品だ。


 ちなみに凛ちゃんは今、例のフェミニンコーデを身にまとっている。もちろん私の熱い希望によるものだ。


 なんだかんだ凛ちゃんは着てくれている。

 慣れないスカートで動きづらそうだし、本気で恥ずかしそうにしているけど、甘んじて受け入れてくれているのだ。


 これは私の傲慢、かもしれないけど。

 喜んでくれている、ような気もする。


 こういうファッションに憧れがあったのかといえば、きっとそんなことは全くないのだと思う。

 彼女の迷宮にかける情熱は本物だ。私が半ば無理やり連れ出さなければ、今だってどこかの迷宮に潜っていただろう。


 だから、もしかしたら余計なお世話だったかも、なんて考えたりもした。

 私のエゴでこんなところに連れてきて、遊ばれるように着せ替えられて。

 彼女にとってそれは迷惑だったのでは、と。


 だけど、今彼女の表情を見れば、杞憂だったのかな、とも思う。

 さっきより少しだけ、歩くペースも早いのだ。


 それに、言葉にこそしないけれど、節々から感謝の気持ちも感じるのは、さすがに気のせいではないはず。

 私だってそこまでは鈍くない。


 結果的には連れてきてよかったなと、そう強く思う。

 だから私は、先を歩く凛ちゃんに、少しドキドキしながら声をかける。


「じゃあ、凛ちゃん」

「……うん。紗那、今日は」

「――この荷物を駅のコインロッカーに詰めて、次の場所に行こっか」

「――え?」


 凛ちゃんが呆気に取られたような顔をしたのは、その上で何かに怯えているような顔をしたのは、きっと気のせいだと思う。

 ――オペレーション凛ちゃんは、まだまだ続く。

 

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