13.『熱いスープが冷めるまで』


「……で」

「……うん」


 白い湯気にゆられて、食欲をそそる香りが鼻腔いっぱいに広がる。

 下に移っていた視線を正面に戻すと、不満げな表情の凛ちゃんが頬杖をついてこちらを見ていた。


「……なんでラーメンなわけ?」

「いやぁ、気分というか……」

「……まぁそれは別にいいけど」


 そう言いながら、彼女は視線を下に移す。

 私は味噌ラーメンで、凛ちゃんは醤油ラーメン。

 私のやつにはコーンが入ってたり、凛ちゃんのやつにはワカメが入ってたり、まぁオーソドックスな一品だ。


 どこでも食べられそうな、というかどこでも食べられるラーメンだからね。


「……なんでチェーン店なわけ?」

「いやぁ、この辺思ったよりご飯屋さんがなかったというか……」

「……もうちょっと美味しいものを期待してた」

「おいしくはあるよ、間違いなく!」


 だってチェーン店だもん!

 おいしいからそこら中にあるんだもん!


 まぁちょっと期待していた朝ごはんとは違うけど……。


「……朝からラーメンってのもなんか重いし」

「お腹ぺこぺこの凛ちゃんにはちょうどいいでしょ!」

「……私だけみたいに言われてるのが心外なんだけど」


 ジト目ってのはこういうことを言うんだろう。

 なにやら含みのある眼で、彼女はひたすらに不服を表明していた。

 まぁ、凛ちゃんは割とジト目が標準装備な節はあるけど。


「のびる前に食べよっか」

「……私はまだいい」

「そんな拗ねないでよぉ」

「……拗ねてない」


 頬杖をつきながら仏頂面でラーメンを見つめる凛ちゃんを見つめる私。

 なんの儀式なんだろう。食べたらいいのに。

 いやほら、凛ちゃんが本当に拗ねてないならいいんだけど、そうじゃなかったら私だけ食べ始めるわけにもいかないし。


「ね、凛ちゃん。かわりに今度おいしいところ連れてってあげるからさっ」

「……別に拗ねてないってば」

「そ、そっか……」


 ホントかな、どっちかな!?

 表情からはいまいち察することができない。

 私が気まずそうにしていると、それに気づいた凛ちゃんが呟いた。

 

「……猫舌なの、私」


 凛ちゃんは猫舌だった。

 ラーメンは熱いからね。食べづらいよね。

 じゃあ私先に食べちゃお。


「……それよりずっと思ってたんだけど」

「うん? なに?」

「……紗那って、誰にでもこうなの?」

「へっ?」


 こう、とは。

 なんのことを言っているのかわからないけど、自覚がないということは恐らく誰にでもそうなのだろう。

 え、なに? 怖い。


「……なんか初対面から距離が近いというか、まぁ厳密には初対面じゃないのか」

「あぁー……」

「……別に馴れ馴れしい感じじゃないから、不快ではないけど」


 どうだっただろうか。

 学生という肩書きを失ってから、あるいはダンジョンに潜りはじめてから、新しい出会いというものが減った。

 

 友達という友達もほとんどいないし、顔見知りとか知人くらいの関係性の人はいるけど、どうだったかな。

 少なくとも、私から積極的に仲良くなろうとはしてなかった気がする。


 明莉さんの時も、ここまでグイグイのグイではなかったような。


「……その割には友達になってくださいとか言うし。紗那の感覚ではもう既に友達判定なのかと思ってたら違うみたいじゃん」

「た、たしかに……」

「そうやって自覚なさそうなのも不思議」


 振り返ってみたらかなりの不自然さではある。

 自分ですら理解ができないんだから、正面からその不可解さを浴びた凛ちゃんの心境やいかに。


「……紗那は私のこと知りたいって言ってたけどさ」

「うん」

「……私にも紗那のこと聞かせてよ」

「えっ!?」


 前のめりになる。

 凛ちゃんが私に興味を持ってくれた。

 そんな事実が意外で、嬉しくて、びっくりした。

 なんとなくだけど、凛ちゃんは他人のことにあまり興味を示していないように感じたのだ。


 返答はもちろんイエスで、私はどんなことを聞かれるのかドキドキしていた。


「……紗那はライセンスを持ってるんだよね」

「うん、階級は黄金色だよ」

「階級とかあんまりよく分からないけどさ」

「うーん……上から3番目、っていうとちょっと聞こえがよすぎるか」


 青銅、銀灰、黄金、白金、金剛。

 一応は5つの階級に分けられているものの、実情としては下3つにほとんどの探索者が集中している。

 白金以上の探索者なんてのはほぼ見かけることはなく、私たちの認識としてもまさに『別格』だ。


 ちなみに国家探索者には自動的に金剛色探索者の階級が割り振られる。

 

 じゃあ凛ちゃんにはその程度の実力があるのかって話だけど、あるでしょ。

 金剛色の探索者をお目にかかったことはないけど、凛ちゃんで無理なら制度そのものが形骸化しちゃうってものだ。


 それで、私の話に戻るけど。


「上から数えた方が早くはあるけど、ホントの最上位層には全く太刀打ちできないってくらいかな」

「へぇ。凄いじゃん」

「凛ちゃんみたいな人と比べなければ、そうかも」

「……私は別に」


 そう言って凛ちゃんは目線を逸らした。

 謙遜している雰囲気は感じられなかったから、彼女は今の探索者のレベルを把握していないのだと思う。


 この子と肩を並べられる人間が、どれほどいるものか。


「……それで、紗那はどうして探索者になったの? あんまり割のいい仕事じゃないと思うんだけど」

「うーん。今となっては命を懸けても割のいい仕事になってはいるけど、そうだなぁ……」


 勢い。

 きっかけまで考慮するなら、失恋の勢いかな。

 私が探索者になったのは、そんな感じの俗っぽい理由に落ち着いてしまうんだけど。


 でもそんな恥ずかしいこと言えないよねぇ。


「……まぁ、色々あるか。この話はいいや」


 私が体のいい言い訳を考えていると、凛ちゃんが気遣ってくれた。

 やだ、出来た子。私が黙ってた理由は、そんなに大層なものでもないんだけど。


「……でも、割がいいって? 最近は魔玉の相場も下がってきたし、産出量も減ってるからあんまりお金にならないと思うんだけど」

「あぁ、私『配信』やってるから」

「はいしん……?」


 凛ちゃんは不思議そうに首を傾げた。

 この子はタイムスリッパーなのかもしれない。


「探索の風景をネット上で公開して、誰かに見てもらうの」

「……それがどうしてお金になるの?」

「広告収入と投げ銭……あぁなんて説明したらいいんだろ」


 というわけで、私はダンジョン配信の仕組みをイチから凛ちゃんに説明した。

 時折頷きながら私の話を黙って聞いていた凛ちゃんは、その概要を理解すると大きなため息をついた。


「……変な時代。あんなの観て何が楽しいんだか」

「まぁ、世論的にも賛否はあるよ。っていうか凛ちゃん、配信してないならどうやって生活してるの?」


 私が凛ちゃんのことを探してる頃から、きっと配信者ではないのだろうと思っていた。

 実際に会ってみて、それが事実だとわかって。

 そうなると、ひとつの疑問が浮かんだ。


 それは、彼女の収入源だ。

 かなりの頻度で迷宮に潜っているらしいし、行動範囲も広い。

 

 探索にはお金がかかるのだ。

 装備を整えるにも、迷宮まで移動するにも、お腹を満たすにも、とにかく元手が必要。


 加えてライセンスも持たない彼女は、戦利品を換金するのも難しいはず。

 どうやって生きているのだろう。謎だ。


「そもそも、凛ちゃんのお家ってどこにあるのか聞いてもいい?」

「……小さい頃住んでた家は唄浜って町にあるけど」

「うたはま?」


 聞いたことない地名だったので、すぐさまスマホで調べる。

 ナビアプリによると1200km先らしい。遠すぎるわ。


「え、今住んでるところは?」

「……ないけど」

「え?」

「……その辺に泊まったり、迷宮の中で寝たり」


 え?

 ごめん、ちょっと理解が追いつかない。

 え? どういうこと?


「住所不定……?」

「……まぁ、そうなる」

「えぇ……?」


 衝撃の事実。

 凛ちゃんは住所不定だった。


 ま、まぁ迷宮に生きてるっぽい感じはあったし。

 そういうこともある、のかな?


「さすがにご飯食べたり服買ったりするお金はあるんだよね?」

「……馬鹿にしないでよ。服は破れたら買い換えるし、ご飯も最悪魔物の肉食べればいいし」

「――え?」

「大丈夫、流石に食べられる肉とそうじゃない肉の見分けは……ちょっと待って。紗那、もしかして引いてない?」

「い、いやぁ……はは、まさか、そんな……あはは……」

「引いてるでしょ。見れば分かるから」


 引いてるよ! 魔物の肉って食べれるの!? 初めて知ったわ!

 知った上で、今後生涯役に立つことのないであろう雑学だわ!


 いやでも、これがライセンス未所持の探索者の宿命なのかもしれない。

 凛ちゃんはライセンス制度のことをちゃんと知っていたから、きっと理由があって取らずにいるんだろう。

 苦労人凛ちゃん。健気な子……。


「凛ちゃんも大変なんだねぇ……」

「ねぇ、今度は哀れみの目向けるのやめてよ! 別に不自由はしてないから!」


 あぁ、なるほど。

 だから今日、おいしいものが食べられると思って。

 ウキウキしてたらチェーン店だもんねぇ。


「ごめんよぉ……こんなところに連れてきてごめんよぉ……」

「いいってば! なんか情けなくなるから元の紗那に戻ってよ!」

「おっと、それは失敬」

「切り替えはや……」


 凛ちゃんに恥をかかせたいわけじゃないからね。

 本人がいいならわざわざ私が口を挟むところじゃないのだ。


 それはそれとして、今度必ずいいお店に連れてってあげよう。


「……私だってしたくてこんな生活してるわけじゃないよ」

「そうなの?」

「……そうだよ。目的のために、腹括ってんの」


 目的。凛ちゃんが迷宮に潜る理由。

 それはわからないけど、そのために人間的な生活をかなぐり捨ててるというのなら、生半可な覚悟じゃないだろう。


 探索者として栄誉も富も手に入れられる実力を持ちながら、ひたむきに探索だけを続ける姿。

 職人って感じがして、カッコいい。


 魔物の肉は食べたくないけど。


「凛ちゃん」

「……なに?」

「次の探索の予定は決まってる?」

「……本当はここの迷宮にしばらくいるつもりだったけど、壊しちゃったから。しばらくは調査かな」


 調査。

 次に潜る迷宮に目星をつけるのだろう。

 ということは、時間はあるということ。


 よし。


「凛ちゃんの1日、私にちょうだい」

「……え?」

「――治癒魔術代、ちゃんと払ってなかったからね」


 このひたむきな女の子がちょっとくらいいい思いをしたって、誰も文句は言わないだろう。

 オペレーション凛ちゃん、ここに発令を宣言する!


 

「……というか凛ちゃん、そろそろ食べられるんじゃない?」

「……あ。たしかに」


 レンゲでスープをすくい、恐る恐る口に運ぶ凛ちゃん。

 ごくりと喉に通したあと、彼女は微妙な表情を見せた。


「……冷めてる」

「麺は?」

「……伸びてる」


 だろうね。

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