12.『走れや走れ』
アドレナリンってのは結構すごい。
魔物に致命的な一撃を入れられても、アドレナリンのおかげで命からがら敗走できて、致命的なものにならずに済んだ、とか。
そういう話も聞いたりする。
私の今の状況もきっとそれと同じだと思う。
「……紗那」
「ひゃいっ!?」
名前を呼ばれて、なぜだかとても慌てて。
突拍子もない声を出したところで、私よりも凛ちゃんが先に気づいた。
「……怪我」
「え?」
ふたりで駆け抜けて、すでにここは35層。
迷宮内はさっきよりも明るくなってて、そこで凛ちゃんが私の手足から流れる血を見つけた。
「えっ……えっ?」
ひどい出血だった。
もうちょっと止まりはじめていて、固まりかけた怪我ではあったけど、下手したら気を失ってもおかしくない量の出血。
助けがなかったら、そのまま死んじゃいかねない怪我。
私、こんな怪我知らない。
「……気づいてなかったの? 紗那ってもしかして馬鹿?」
「馬鹿……なのかもしれない私は」
心当たりがあるとすれば、骨の魔物や幻獣と戦った時に負った怪我だ。
そう、そういえばあの時、手足の動きが鈍くなったと思ったんだった。
今の今まで、どうして気づかなかったんだろう。
馬鹿なんだろうか。
「……しかたない人。座って」
「はい……座らせていただきます……」
私は正座する。
今まで気にならなかったのに、怪我に気づいた瞬間、右足がズキズキと痛みはじめた。
「いてて……」
「なんで正座なの? 本格的に馬鹿?」
「え? お説教かと思って」
途端、凛ちゃんが険しく眉をひそめる。
こわっ。
「……一応言っておくけど」
はぁ、とため息をひとつ吐いてから、凛ちゃんは言った。
「私の治癒魔術は、死んだら治せないから」
「はっ、はいっ!」
「……だから、死ぬのはやめてよ」
「承知しましたっ!」
やれやれと声が聞こえてきそうなくらいに苦笑いした凛ちゃんが、私の右足に手をかざす。
足に空いた穴を包むように、ぼんやりと温かな光が現れた。
みるみるうちに傷が塞がっていく。
血が止まり、痛みが引いて、まるで怪我なんてなかったみたいに私は元気になっていく。
嘘みたいだ。
これは、人間よりもっと上の力にしか思えない。
「……なにをそんなに驚いてるの。紗那はもう見てるでしょ」
「いやぁ、あの時はほぼ意識がなかったというか……」
「それもそうか」
凛ちゃんが納得したように頷くと同時に、私の足の怪我は完全に塞がった。
「……はい、次は腕」
「お願いしますっ」
治してもらってる間、私はずっと凛ちゃんを見ていた。
彼女は私の足や腕に集中してるから、目が合わないのをいい事に、遠慮なく凝視させてもらう。
じーっ。
じーっ……。
あ、ダメだこれ恥ずかしい。
でも、見てる私が照れるのはなぜ?
そんな葛藤をしながら、それでも振り切って凛ちゃんを見つめる。
どうしても記憶に刻みつけたかったから。
つんと通った小さな鼻、上品な薄い唇。
眠そうな瞳は、長い前髪に隠されていて。
ずっと迷宮に潜ってるみたいだから、その黒髪は艶やかとは言えないかもしれない。
でも、綺麗だ。
夜みたいに深い黒をしているから、吸い込まれるように目が離せない。
「……はい、終わり」
「ほぁー……」
「……なに?」
「……えっ!? あ、ううん、その、治癒魔術って名前とか付いてないんだなーって」
ぽーっと眺めてるのがバレそうだったので、咄嗟に口を回した。
でもほら、気になってることではあったし。
私たち探索者の使う魔術には、名前が付いている。
たとえば私の使える魔術だと、【氷晶六華】とか【垂氷万華】なんてものがあって。
私が付けたわけじゃない。
わざわざ名前を付けるにはもちろん意味があって、それは魔術が『イメージ』によって創られるものであることが起因している。
魔術の五属性。
炎、氷、風、土、雷だ。
人には大体ひとつくらいは適性のある属性があって、頑張って修行すれば生涯で魔術のひとつやふたつくらい使えるようになる。
ただし、ダンジョンの中だけだ。
魔力のある場所でしか魔術は使えない。
厳密にはダンジョン外でもほんのちょっと魔力は漂ってるし、それを元にどこでも魔術を扱える未来も来るかもしれないらしいんだけど、まだまだ研究段階だ。
そんなことはどうでもよくて。
そう、五属性。
魔術には厳密には五属性の違いしかなくて、その中で細分化されてるのは『発現させる魔力のイメージの違い』でしかない。
つまり、私たちは先人たちが残してくれた魔術の真似をしているのだ。
それをわかりやすく伝えるために、魔術に名前が付いてるってわけ。
基本的に詠唱ってものはないけど、あまりに複雑なイメージを要求する魔術にだけはちょっとした詠唱がついてたりもする。
で、治癒魔術なんてもの、使える人はほとんどいない。
『名前』なんかで治癒魔術のイメージを伝えられるなら、きっと世の中はもっと気軽に治癒魔術が使えるようになってるから、そりゃそうかって感じ。
「……私からしたら、ほかの魔術に名前が付いてることの方が不思議」
「でも、初めて練習する魔術だったら名前が付いてたほうがわかりやすくない?」
「全然。感覚だし」
こやつ、天才かっ……!?
天才だな、天才だろう。
私もその言葉をかけられることがあるけど、実はそんなに嬉しくない。
だって私、天才じゃないし。
みんなが知らないだけで、今だって魔術の特訓を毎日頑張ってるんだから。
その努力を『天才』の一言で片付けられる複雑さは、私にはよくわかる。
でも、凛ちゃんは天才だ。
治癒魔術が使える人は問答無用で天才なのだ。
この天才め。
「……なんの顔?」
「さすが凛ちゃんだねの顔」
「……。あっそう」
私のふざけたような返答のおかげか、深くはつっこまれなかった。
よかった。
会話もそこそこに、私たちは地上を拝むために残りの階層を進む。
もうすでに新たな魔物が現れはじめていたけど、ただの1歩も足を止めることなく私たちは走った。
凛ちゃんの魔術が高威力かつ判断が的確すぎて、私の出る幕はほぼなかったけど。
■
「ね、ところでさ」
ずっと気になっていたことがある。
凛ちゃんが迷宮に潜る理由だ。
きっと彼女は探索者に誰よりも向いてるし、そういう意味ではごく自然な選択ではある。
だけど、それはつまりお金を稼ぐためってことで。
そうだとしたら、ライセンスを取りつつ配信者になった方がよっぽど稼げる。やらしい話だけど。
いや、彼女なら国家探索者にだってなれるだろう。
配信者ほど夢はないけれど、安定していて、社会的な地位も比にならないほどに高い。
私たち一般探索者はアパートを借りるにも一苦労だってのに、彼らは20代でマイホームを建てたりする。
そんな生き方を蹴ってまで、『密猟者』なんて汚いレッテルも貼られ、暗い場所で人知れず魔物狩りと人命救助を行う理由。
好奇心と言えばそれまでだけど、気になる。
だから、聞いた。
「凛ちゃんはさ、どうして迷宮に潜るの?」
「……どうしてそんなことが知りたいの?」
そう聞かれてしまうと困った。
凛ちゃんに気持ちよく喋ってもらうための言い訳を、私は持たないからだ。
ほんの数秒だけ考えて、でもやっぱり嘘はつけなくて、正直な気持ちを吐き出す。
「気になるから」
「……どうして気になるの?」
「知りたいから。凛ちゃんのこと、もっと」
「……」
今の私は、たぶん子どもみたいだ。
まるで凛ちゃんがなぜなぜ期の子どもをあやす母に思えた。
人には、踏み込んでいい領域とそうでない領域がある。
この質問は凛ちゃんにとってどっちなのか、それは判断がつかない。
この問いが原因で亀裂が入り、せっかく巡り会えた縁がここで切れてしまったら、その時は完全に私が悪いな。
ある種の覚悟を腹に、凛ちゃんの次の言葉を待っていると、やがて彼女は諦めたように息を吐き出した。
「……探してるものがあるから」
「探してるもの?」
「そう。どうしても見つけたいもの」
「――そっか」
そこが凛ちゃんのラインだった。
これ以上は言いたくない。そんな意思は、あえて分かりやすく教えてくれている気がした。
だから、私もそれで満足した。
凛ちゃんの探し物は、たぶん凛ちゃんのやり方じゃないと見つからなくて。
そのために彼女は潜るのだ。昨日も今日も、きっと明日も。
「教えてくれてありがとう。見つかるといいね、探し物」
「……ん」
「それから、もしよかったらなんだけど――」
「……紗那。話は後」
遮ったのち、私に背後を確認するように促す凛ちゃん。
そこにはいつの間にか立ち塞がる巨大な液状の魔物。
そして、正面には微かに差す眩しい光。
知らないうちに、私たちは1層まで帰ってきていた。
「なんで1層にスライムが……っ!」
「……『狂戮』でも、ここまで狂ってるのは珍しい」
スライムは本来、深層以下の魔物だ。
ねっとりとまとわりつく彼らは、私たちの装備を溶かし、呼吸を奪い、その全てを糧にしてさらに膨れ上がっていく。
体温をかなりの精度で感知するから、見つけてしまったら逃げ帰ることすら困難だ。
「――凛ちゃん! スライムには風魔術だと相性が悪い! 私の氷魔術でやるね!」
「ちょっと待って。壁と天井、見て」
「――え?」
指示通りに目を凝らす。
異変はない、ように思えた。
ただ、ちょっと不自然なくらいに水が滴ってるだけで――。
「――ちがう、これ……」
「……全部同一個体のスライムか」
こんなところに水源はない。
だとするなら、この場に存在する全ての液体は――スライムだ。
私たちが見ていたスライムの塊は、まさしく氷山の一角に過ぎなかったらしい。
壁や床、天井に至るまで、あらゆる隙間という隙間にぎゅうぎゅう詰めになったスライム。
もちろん、ここまでの大きさのスライムなんて戦ったことも見たことも聞いたこともない。
私が全力の氷魔術を使ったとして、届くのは見えている範囲だけだ。
ダンジョンごと凍りつかせることなんて出来やしない。
「これ、さすがにまずい――っ」
「――紗那。先に外に出て」
「――。わかった」
一瞬の判断。
あと数瞬もすれば、スライムは私たちを認識して襲いかかってくるだろう。
そうなればいくら私たちでも勝機はないかもしれない。
今の私がやるべきことは、最速で最善の判断をすること。
だから私は迷わずに、彼女の言葉に従った。
最善というのは一目見て実力が足りないと分かっている相手に無謀に挑むことじゃない。
この場においては、彼女に託すことだ。
私は凛ちゃんの横を通り抜け、全力疾走で地上へ向かう。
漏れる陽射しが、私の瞳孔を焼いた。
「――もう、夜が明けてる」
地上まであと10歩もない。
「――【神威渡し】」
途端、身体が震えた。
根こそぎ魔力を持っていかれるような錯覚と、芯から冷え込むような冷たさ。
私の知らない感覚ではあったけど、それでも振り向かずに走る。
「――地上!」
遅れてやってくるのは地響きと、全てを飲み込むような大気の奔流だ。
ようやく外に出たところでやっと振り向けば、床も壁も天井もぐちゃぐちゃに崩壊していく迷宮と、崩落する地盤に挟まれないように走る彼女の姿が飛び込んだ。
「――凛ちゃん!」
「――紗那!」
「任せて! ――【氷面鏡】!」
地上といってもここはまだ迷宮の入口、魔術は使える。
だから全力の魔力を放出した。
ぱきぱきと音を立てて、氷点下が迷宮の崩落を止める。
だけど長くはもたない。すぐに再び崩壊が始まるだろう。
長くはもたないけど、十分だ。
彼女が地上に辿り着くくらいの時間は、なにがなんでも作り出す。
「うわっ! 凛ちゃん足速いな!」
「馬鹿なこと言ってないで、手貸して!」
「もちろん、喜んでっ!」
出口までの坂を駆け上がる凛ちゃんに、精いっぱい腕を伸ばす。
同じように伸ばした彼女の腕を夢中で掴んで、乙女とは思えない怪力で引き上げ、放り投げた。
「ぶべっ」
凛ちゃんが顔から着地するのと同時に、止まっていた崩落が動き出し、5秒と経たずに迷宮は完全に塞がった。
そして、残されたのは地上にふたり。
いつも通り平和な空の下、肩で息をする私たちだ。
迷宮があった場所は、もはや石や土で埋まっていた。
「はぁ、はぁ……紗那っ、恩人を投げるなんて中々肝が据わってるじゃん……」
「っ、はぁ……うん、いや、ああするしかなくて……」
「正直、助かったけど……はぁ、はぁ……」
「っ、ふふ……ふふふっ」
よくわからない笑いが込み上げてきた。
色々ありすぎてもう、笑うしかない。
「あは、あははは! はぁ、あはは!」
「なに、笑ってるの、はぁ……」
「凛ちゃん、『ぶべっ』って! 『ぶべっ』って言ってた! あははは!」
「……。紗那のせいじゃん」
それから、それから。
「スライムを倒すためにダンジョンごとぶっ壊すってなに!? あはは、そんなことする人もできる人も初めて見た! あははは!」
「……私だってそれは不本意。まだ深層の探索終わってなかったし」
「あはは、あははは! ――はー、おもしろい。凛ちゃんはおもしろいなぁ」
「……不本意」
口を尖らせて仏頂面な凛ちゃんを、なんだかすごく抱きしめたくなった。
いやいや、意味がわからない。やっぱり私のテンションもおかしくなってるみたいだ。
「――ね、凛ちゃん」
「……なに?」
「改めて、色々とありがとうございました。凛ちゃんがいなかったらたぶん私死んでたと思う」
「――――」
「だからさ、もしよかったらなんだけど――」
そして、さっき言おうとしたことをもう一度言う。
凛ちゃんについては知らないことだらけだ。
目的も結局はほとんどはぐらかされちゃったし、本気を出した時の実力も未知数に思える。ダンジョンを崩壊させられる魔術って、ちょっと意味わかんないし。
ただ、ほんの少しわかったことがある。
彼女の人となりと、優しさだ。
愛想はあまりないけれど、情がないわけじゃない。
むしろきっと、彼女は相当なお人好しだ。
死にかけた人をわざわざ助けたり、自分が危険な目に遭ってまで逃げさせたり。
そんなことができる人は、私の予想じゃお人好しなのだ。
お人好しで優しくて無愛想で強くて、意外と『ぶべっ』とか言うタイプで、別に人と関わるのが苦手って感じでもなくて。
そんな彼女だから、私は思う。
「――私、もっと凛ちゃんのこと知りたい」
「……そう」
「だから、私と友達になってください」
「――――」
もっと知るために、もっと同じ時間を共有したい。
友達になって、もっと仲良くなりたい。
たったそれだけの願いへの返答は――突拍子もない、「ぐぅ」という音だった。
「……え?」
「……私じゃない」
「凛ちゃんだよね? 嘘はよくないよ?」
「……私の意思じゃない」
凛ちゃんだった。
というか、凛ちゃんのお腹だった。
かわいらしく鳴いたそれは、彼女に相応の羞恥心をもたらしたらしい。
よく見ないと気づかない程度にだけど、顔を赤くして目を逸らす凛ちゃんがそこにはいた。
その仕草があまりに女の子すぎて、私は変な気持ちになる。
「ふぅん? お腹空いたんだねぇ?」
「……別に」
「強がらなくてもいいよ、お腹が空くのは自然なことだから。派手にお腹鳴らしてもしかたないよねぇ。ぐぅ〜って」
「……ちっ」
「あっ! 舌打ちした!」
たまにガラ悪いんだよな、この子!
でもまぁ、私が悪いか。悪いな。
私が悪いんだけど、謎の加虐心は止まらなかった。
「じゃあ私は、このへんの美味しいご飯屋さんでも探してドカ食いしようかな〜」
「……」
「この町ってお高いお米の名産地らしいし、サクサクの衣に包まれたカツをふわふわの卵でとじたカツ丼とか」
「…………」
「海も近いからウニいくらもりもりの海鮮丼なんかも美味しかったり」
「……っ」
「あーあ、ちょうど私暇してるから、誰かと一緒に食べたい気分なんだけどなぁ。でも誰でもいいわけじゃなくて、そう、たとえば友達。友達だったら美味しいものお腹いっぱい食べさせてあげるんだけどなぁ。私のお金で」
「…………ちっ。クソが」
「口悪くね!?」
びっくりした! 想定の8倍口悪くてびっくりした!
でも私が悪いよ! ちょっと調子乗りすぎたよ!
「なんて、冗談だよ。一緒にご飯食べに行こ?」
「……しかたない」
「ふふっ」
私たちは立ち上がり、よろよろと歩き出す。
もうすっかりお日様は顔を出していて、町も目覚めたころだろう。
これからのことはわからない。凛ちゃんのことも、まだわからない。
だけど今はそんなことより、背中とくっつきそうなお腹の悲鳴をおさめてあげよう。
なんとなく足取りは軽く、朝の道はあたたかかった。
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