11.『ありがとう』


 肩まで下げた黒髪に、細い線。

 その気だるそうな目つきと薄い唇は知らなかったけど、間違いない。


 あの人だ。


 やっと会えた――なんて感傷に浸る暇は、残念ながら今はないようだ。後まわし。

 リーパーは空気を読んでくれるつもりはないらしく、遠慮なくその鎌を振り上げている。


「――くるっ!」

「……どいて」

「あうっ」


 戦闘態勢に戻ろうとしたところで、私の身体を再びやわらかな風が包み込んだ。

 まるでお姫様抱っこをされるように、その場から引き離される。


「ちょ、え?」

「……あなたじゃ倒せないから」


 そう呟いて、彼女は地面を蹴った。

 人間の跳躍力なんて余裕で無視して大きく飛び上がり、空中にいるままの彼女を中心に魔力が渦巻く。


 まるでこの場の魔力をぜんぶ吸収してるんじゃないかってくらい、逆巻く魔力の風は大きく、広く、厚かった。

 大袈裟なくらい練り上げた魔力は、彼女の手元で鋭い刃となっていく。


 私はそれを、見惚れることしかできなかった。


「――【嵐舞】」


 解き放たれたそれは、私を包んだ優しい風とは違う。

 命を奪うための、小さな嵐だ。


 リーパーが振り上げた鎌をそのまま構え、防御の体勢をとる。

 その鎌を纏うあまりに濃すぎる魔力は、目で見えるほどに禍々しい紫をしていた。


 防がれる。

 そう思った私を笑うように、幾千もの疾風が鎌ごとリーパーを切り裂いていく。

 ずっと空中に浮かんでいた彼女は、同時に地に落ちたリーパーの首元に舞い降りた。 


「――【夜凪】」


 優しいつむじ風とも、怒れる嵐とも違う、風のない刃。

 ただ、その死にすら気づかないほどの無音が、リーパーの命を終わらせた。


 一瞬だった。

 私にはその攻防が、ほんの一瞬にしか見えなかった。


 この場が再び静寂と暗闇に包まれるまで、瞬きほどの間しか経っていないように思えた。


 ただ、綺麗だった。


 彼女は立ち上がり、砂埃を払う。

 その仕草からも今は目が離せない。


「……また無謀な探索者が紛れ込んだのかと思ったけど」

「――――」

「……あなた、見たことある」


 そして、声を聞いた。

 薄れゆく意識の中で、ぼんやりと聞いた、心地のよい声。

 そうだ、私はあの時、この人の声を聞いたんだ。


 耳が熱い。胸が溢れそうだ。

 やっと見つけた。見つかってくれた。


「ま、前にあなたに助けてもらって……!」

「……またこんなところに迷い込んだんだ。運がない人」

「また……?」


 言葉の意味がわからず、首を捻る。

 当然、このダンジョンに潜ったのは今日が初めてだ。

 なら、前回この人に助けてもらったダンジョンのことを言っているのかと思ったけど、あの場所とこの場所の共通点を探してみても、思い当たる節はない。


「……気づいてなかったの? ここも、前にあなたが死にそうになってたところも、同じ『狂戮』だから」

「――あ」


 そういうことだったんだ。

 だから、あのダンジョンには階層にそぐわない魔物がいたんだ。

 結果私は死にかけて、この人に命を拾ってもらった。


 そうだ。

 治癒魔術の話、してもいいのかな。

 あんまり知られたくないだろうから、吹聴するのはよくないと思って、配信とかではなんとなく触れずにいた。

 

 とはいっても、死にかけた私とそれを助けるこの人の姿は私の配信アーカイブにばっちり記録されているから、公然の秘密ではあったんだけど。


 私が迷っていると、先に彼女が口を開いた。


「……じゃあ、あなたは帰って。この先はあなたじゃ本当に死ぬから」

「え、あ、えっと……」

「……」


 もちろん理解している。

 私は明確に足でまといだ。

 だから彼女の言葉に従うのが、きっとなによりもよくて。


 だけど、ええと、そう。

 伝えたいことがある。


 すんごくめんどくさそうな顔をしてる彼女が見えて、ちょっと萎縮しちゃったけど、それでも大事なことだ。


「――私、あなたをずっと探していたんです」

「……私を?」

「そう、そうです。どうしても伝えたくて」


 彼女の表情が少し柔らかくなる。

 私はほっと息をついて、続けて深く息を吸い込んだ。


「私を助けてくれて、ありがとうございました」

「――――」


 頭を下げる。

 前回と、今日のぶんだ。

 

 気持ち的には下げるだけじゃ足りないくらいだけど、今私ができる精一杯がこれだから、とにかく心から頭を下げた。


 彼女のおかげで私は生きている。

 今日を迎えられたし、きっと明日も生きていく。

 好きなこともできるし、おいしいものも食べられるし、新しいことを知ったり、歳を取っていくことができる。


 こんなにも幸せなことはない。


「……ん。そうだね、まぁ」


 何かを言おうとしているのかと思って頭を上げたら、彼女の言葉はそこで詰まった。

 何かな、と思ったけど、理解した。

 

 この人は、あれだ。

 お礼を言われて、どういたしましてって言うことに慣れてないみたいだ。


「ふふっ」

「……なに?」

「ううん。本当に、ありがとうございました」

「……ん」


 ほら、やっぱり。


 謙虚な人だ。

 あれだけのことをしておいて、威張ることもない。

 下手したら、お礼を言われるまでのことじゃないとすら思ってそうな振る舞い。

 だから強いんだろうな。


 とにかく、これで私の胸もすっきりした。

 会いたい人と会えて、言いたいことを言えて。

 2ヶ月前、あれが私の再出発地だとするならば、2度目の人生で常に抱えていた宿題をやっと終わらせられたような気分だ。


 すっきりした。はずだ。

 はずなのに。


「……あなたの運は最悪だけど、なるべく長生きして」

「はっ、はいっ。そうしたいって思ってます」

「……じゃあ、私は行くから」


 この胸に残るもやもやは、いったいなんだろう。

 まだ言えてないことが、伝えきれてないことがあるのかな。


 満足はしている。

 幸せに包まれてもいる。


 なのに、胸にぽっかり穴が空いたみたいに苦しい。

 ざわざわと、この胸に何かが足りないって主張してる。


 それから、ドキドキだ。

 不自然なくらいに動悸がして、なんだか熱っぽい。


 原因は分からないけど、少なくとも身体の不調であることに疑いようはなかった。


 胸をぎゅっと掴む。


「――あ、あの!」

「……なに?」

「やっぱり私もついていっちゃ、ダメ……ですか?」

「…………」


 本能だったと思う。

 実力的にも、負担的にも、私はここで帰るべきなのは分かりきっている。

 それなのにこんな不合理に叫んでしまったのは、理性とか客観的な判断からじゃない。


 私はさながら、テストの返却を待っている時の気分だった。


「……まぁ、ひとりで戻るのも危ないか。いいよ、外まで私も行く」

「――!」


 私の意図とは違う形で伝わったらしく、彼女は護衛を引き受けてくれた。


 結局、自分が叫んだ理由に説明はつかなかった。

 今になっても動悸は治まらない。

 いや、むしろ酷くなってるくらいだ。

 

 だけど不思議なことに、胸に空いた穴はすっかり塞がってしまったような気がした。


 彼女はゆっくりと私に近づいてくる。

 ほらまた、動悸が酷い。


「……あなた、名前は?」

「紗那。氷坂紗那です」

「へぇ。私は小桜凛。好きに呼んで」


 小桜凛。

 綺麗な響きだ。小桜さん、凛さん。


「凛ちゃん」

「……それはちょっと予想してなかったけど」

「あの、凛ちゃんはおいくつか聞いてもいいですか?」

「……歳? 別にいいけど……18歳だよ。もうすぐ19歳になるけど」

「同い年だ! 凛ちゃん、よろしくね!」

「……急に距離近くなるじゃん」


 なんだか私、ちょっと変かな。

 失礼だっただろうか。調子に乗りすぎているだろうか。


 でも、こうするとなんだか、心の寒かった場所があったかくなるのだ。

 だから、今だけ。

 このダンジョンから出るまでは、少し浮かれさせてください。


 やっと会えた、命の恩人なのだから。

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