10.『つむじ風』
身体が悲鳴をあげている。
ギシギシと軋み、ガタガタと震えるのは、きっと寒さのせいだけじゃないのだろう。
それは、恐怖だ。
どうしても手にしたくて、もがき続けた先にやっと見つけたものが、目の前でガラガラと音を立てて崩れていくのを見ているような、そんな怖さだ。
「――【氷烈刃】」
配信も付けずにダンジョンに潜るのはいつぶりだろうか。
ダラダラ垂れ流す配信も嫌いじゃないけど、今は目的以外の全てが煩わしい。
このダンジョンは10層から中層。
40層からは深層。
斡旋所で聞いた話では、最低でも50層までは潜った形跡があるらしい。
なら、いちいち低階層で詰まってる暇はない。
「――――【氷烈刃】【氷烈刃】【氷烈刃】」
魔物は多かった。
腐り始めた死体も転がってたから、きっとこいつらは新しく湧いた魔物なのだろう。
だからなんだ。
新しく湧いた魔物なら、全部倒していけばいい。
とにかく深く、深く。
潜って、潜って、潜って、潜って、潜って――。
■
何時間か経った頃、私は小部屋にいた。
迷宮の構造にはある程度の法則性があって、基本的には細い道で連結された四角い空間が連続している。
時々、魔物が発生するスペースすらないような小部屋が生成されることがあって、私たち探索者はそこをセーフゾーンとして拠点にしたり、休憩したりする。
「はぁ、はぁ……」
我ながら無茶なペースで潜っている自覚はある。
魔力を湯水のごとく使って、ただの1秒すら足を止めることなく。
これじゃそのうち息切れするだろうとは思ったけど、丁度よく小部屋が見つかって助かった。
だけど、あまり長くは休めない。
今だってもしかしたら、あの人が助けを求めて命を削り続けているかもしれない。
相当に強い人ではあるけど、数週間も消息が掴めないなんてさすがにおかしいのだ。
「ええと、今が42層、だから……」
数えてみれば、いつの間にか深層までたどり着いていた。
壁の色が変わり、魔力が濃くなったことすら気に止める余裕もなく、走り続けていたらしい。
私らしくもない。
落ち着きもなければ、頭も働かない。
なんでこんなにも執着してるんだろう。
いや、理由は明白だ。
彼女が、私の命の恩人だから。
それ以上なく、それ以下でもない。
ないんだけど、それでも自分がよくわからなかった。
私は探索者だ。
人が死ぬ瞬間は何度も見てきたし、迷宮内で出会った探索者さんともう二度と会えなくなってしまったことは何度もある。
潜りたての頃、私を助けてくれた親切な探索者さんが目の前で食いちぎられていく様を眺めていたこともある。
慣れた、なんて言いたくはない。
それはきっと人として大事な心だから、失くしたなんて信じたくはない。
でもあえて客観視するなら、恐らく私は人が死ぬことに慣れている。
探索者であり、さらには配信者でもある私の倫理観は、やっぱりとっくに終わってしまっていたのだ。
それはそれとしても、せめて目の前の人に死んでほしくはないから、自分のキャパを超えた無茶をしてしまう時もあるけど。
じゃあ、私にとってあの人はなんなのだろう。
私が初心者だった頃に私のために死んだ探索者さんと、あの日私の命を救ってくれた人の違いは、なんなのだろう。
「……ぁ」
それを考えだしてしまうと、酷く利己的な自分の醜さに気がついてしまいそうだったから、私は考えることをやめた。
私は立ち上がり、小部屋を後にする。
■
48層。
もうひとつの判断ミスも許されない領域だ。
身体の節々が軋み、血が流れ始めたけれど、それを気にしていてはすぐに終わってしまうから、目の前の魔物だけに集中する。
「――――」
骸骨の魔物。
ちょうど理科室にある模型のような、綺麗な人骨だ。
この魔物がどう産まれるのかはわかっていない。
だけど、その生態のおぞましさは明らかになっている。
迷宮に迷い込んだ人間を殺し、肉を溶かし、骨にする。
その骨を継ぎ接いで、自らの骨を補強したり。
それから、鋭利に研いで武器にしたりする。
言わば、探索者の無念の塊だ。
――あの人の骨、の可能性もある。
「――【凍塊拳】」
氷製の握りこぶしを造り、重さと速さを乗せて叩きつけた。
手応えはない。
さらなる追撃をするため、私は魔力を練り上げていく。
固く、固く。冷たく、冷たく。
「――ぁっ」
一瞬、氷煙が視界を遮り、私の目の前から魔物が消えた。
普通なら、どう動いても対応できるはずだった。
それができないなら、氷魔術を使う資格すらない。
――私は、探索者としても氷魔術師としても失格だった。
「――っ」
疲れか、邪念か。
とにかく判断と反応が遅れた私に、当て付けるように大量の白い破片が飛ばされた。
それは魔物の欠片で、最後の悪あがきだ。
人の身体に穴を開けるには十分すぎる速さの刃物が、一直線に私を狙う。
「――【
咄嗟に身をよじりながら、氷で固めた盾を造る。
しかしすべてを守り切ることはできず、私の左腕から鮮血が飛び散った。
「――【天氷石】!」
守りながら、氷の岩を魔物に落とす。
巨大な塊の下敷きになった骨は、もう動く気配はなかった。
息つく間もなく、私は次の階層へ向かう。
左腕が使えなくなった。
■
51層。
この階層の長は、私もよく知る動物の姿をしていた。
修学旅行で奈良に行った時によく見かけた、あの。
違うのは、体長が3m近くあることと、二本のツノが立派すぎること、それから――、
「幻獣……!」
実体がなく、その体が半透明に透けていること。
幻獣なんて初めて見た。
珍しいものを見られて、私はラッキーだな。
――なんて間抜けなことを考える余裕は、今の私にはなかった。
幻獣には討伐する手段がない。
一説によると、彼らは別の次元にいて、反転した座標がちょうど重なった時にこっちの世界でも観測できるとかなんとか――。
全然何言ってるかわからない。
いや、理屈なんてどうでもいい。
探索者として必要な知識はみっつだけだ。
ひとつ。
幻獣にこっちの攻撃は通じない。
ふたつ。
幻獣はこっちに攻撃をすることができる。
みっつ。
つまり――、
「――逃げるしか、ない!」
鹿の形をした幻獣がひとつ首を振るたびに、雷が落ちる。
前足をあげるたびに、嵐が吹く。
甲高く鳴くたびに、大粒の雨が私の視界を遮った。
そんな天災をかいくぐりながら、次の階層への入口を探す。
角を曲がり、部屋を駆け抜け、小部屋すらも無視して。
その間、幻獣は好き勝手動いていた。
壁の向こうから現れたり、私の防御魔術を貫通してきたり、さっきまで後ろにいたのに気づいたら目の前にいたり。
命からがら次の階層への入口を見つけ、転がり込むように進んだ。
あんな理不尽な存在とは、もう戦いたくない。
右足が思うように上がらなくなった。
■
55層は、暗闇だった。
元々、迷宮には光源が少ない。
埋まっている魔石が発光していたり、魔物が火を使ったりするから、全く光の届かない場所ではないけど、深く潜れば潜るほど灯りは心許なくなっていく。
だけど、それにしてもおかしいってくらい、この階層は暗く、静かだ。
細い道を、私は文字通り手探りで進んでいく。
一応、腰に下げた魔製のカンテラが最低限の灯りは確保してくれている。
戦闘になったら役に立たないくらいの、素朴な光だ。
「……静かすぎる」
違和感。
この階層には、気配がなさすぎる。
本来、迷宮では色んな気配が混じりあっている。
自分以外の探索者に、大量の魔物、それから濃い魔力の気配とかとか。
今まで経験はなかったけど、迷宮における静寂とはどうやら危険信号らしい。
一度深く息を吸い込んでから、ゆっくりと歩く。
ほんの数十秒ほど歩いた時、足音が不自然に反響し、大きな部屋に出たことがわかる。
全容は見えないけれど、多分かなり大きい部屋。
例えるなら、そう、学校の体育館と同じくらい。
無警戒に真ん中を歩くのは危険だと判断。
壁に手をつき、部屋の外周をぐるりと回るつもりで歩く。
一歩、一歩。
――このまま、なにも起こらないんじゃないか。
数十歩ほど歩いて、私の頭に邪念が浮かんだとき。
偶然だった。
偶然、邪念と一緒に私の呼吸が乱れたから。
だから、私をついてまわる気配に、やっと気づいた。
「――え?」
振り向けば、なんで今まで気づかなかったんだろうと不思議なくらいに、ふわりふわりと中空に浮かぶそれがいた。
人型。巨体。赤いボロ布を纏って、ドン引きするほど大きな鎌を持った、まるで物語の中の死神みたいな風貌でこっちを睨む亡者。
出会ってはいけない存在、探索者が最も恐れる魔物、伝説上の悪魔――。
「――りー、ぱー……」
呟く私は、もう心がここになかった。
でも、幸いにも身体は勝手に動いた。
振るわれる死神の鎌を、間一髪で横に飛び込んで避ける。
そして、1秒前まで私がいた場所は、バターみたいに柔らかく切り裂かれていた。
「ひっ……」
必死に立ち上がろうとして、力が入らない。
右足の怪我のせい? ううん、違う。
私、腰が抜けちゃってるんだ。
情けない。
こんな情けなく、私は死ぬの?
たったのひと振りで戦意を失って、なにもできずにおしまい?
私ってば、こんなに弱かったっけ。
人間って、こんなに無力だったっけ。
「――【月下氷霧】」
そんなわけない。
魔物なんかより、人間のほうがよっぽど強くて、えらいんだ。
私はここで死ぬかもしれない。
でも、いつかお前を倒す探索者がやってくる。
日進月歩。私はこの言葉が好きだ。
まるで私たちのことをそのまま表しているようで、美しいと思う。
50年前、迷宮探索を最初に始めた世代の人たちより、今の世代の方が圧倒的に強い。
探索者のレベルも上がっているし、情報の共有も早いから。
だから今は無理でも、50年後、100年後の人間が必ずお前を倒す。
必ずだ。
「……私の渾身の魔術でも、怯みすらしないってムカつくなぁ。待ってろ、いつかお前を――」
目を閉じる。
諦め、というと聞こえは悪いけど。
「……あーあ、明莉さんと一緒に探索とか、したかったなぁ」
これは投資だ。
私にはちょっとばかしの知名度がある。
『こおりちゃん』がここで死んだとわかれば、話題性や好奇心も含めて、このダンジョンは注目されるだろう。
そう思えば、攻略されるのもそう遠くない未来かもしれない。
一度拾ってもらった命を、こうして使い果たしてしまうのはちょっと申し訳ない。
かっこつけたこと思ってみたはいいけれど、結局のところ祟ったのは自分の実力不足だ。
もう少し冷静だったら。もう少し段階を踏んで攻略すれば。
後悔はある。未練もある。
でも、そういうものだ、きっと。
この状況に陥ってしまったならもう仕方ない。
今最善なのは、託すこと。
そのために、私は配信を付けようと――。
「――【つむじ風】」
「――あえっ」
私のごじゅ……それなりの体重を、優しい風が容易く運んだ。
瞬間、どこか触れたことのある温かさが私を包む。
なんだか、この体温は知っている。
「……あなた、死にたいの?」
「――――」
その声に、私の胸は高鳴った気がした。
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