9.『西の迷宮』
明莉さんと別れたあと、私はひとり電車に揺られた。
流れる景色に見覚えはなかったけど、いくつかの思い出が一緒に頭の中を流れていった。
そんなこんなで数十分もすると、家屋すらも疎らな風景に変わり、駅の間隔は伸びていく。
目的の駅、万花町には思ったよりもすぐに到着した。
自動改札機に切符を通し、私はリュックを背負い直す。
「無人駅とかだったらどうしようと思ったけど、まぁさすがにね」
駅の出口はふたつ。
向かい合わせに、西口と東口があった。
小さな駅ではあるけど、駅前にはちらほらお店もあるし、寂れた町というわけではなさそうだ。
「さて、とりあえず聞いてみるか」
どこの駅前にも大抵、迷宮斡旋所がある。
その町に存在するダンジョンの情報や、危険度、出没する魔物の種類なんかを教えてくれる場所。
魔石や魔玉の換金もここで行ってくれる。
私たち探索者には必要不可欠な、国が運営するサービスだ。
駅のロータリーを見渡すと、向かい側にそれを発見。
地図アプリに頼る必要もなく、やっぱり目立つところにあった。
「それにしても……さっむいなぁ」
この辺りは盆地らしく、周囲を高い山々に囲まれているから、びっくりするほど寒い。
それなりに厚着してきたつもりではあったけど、どうせ探索に入る時には脱ぐし、荷物になっても負担だからとコートまでは羽織らなかった。
そのせいで私は凍え死にそうだ。
まさかダンジョンに入る前に命の危機を感じるとは。
せめて少しでも身体をあっためようと、ダッシュで斡旋所に駆け込む。
あぶない。自動ドアにぶつかるかと思った。
「あら、こんにちは」
「珍しいな。どうぞ座って」
中にいたのはふたり。
中年の女性と、年配の男性だ。
私は吐く息で手をあっためながら、窓口の椅子に腰掛ける。
「こんにちは。ちょっとこの辺りの迷宮についてお尋ねしたくて」
「ええ。この町は初めてですかな?」
私の向かいには年配の男性が座った。
頷くと、彼は背を向け、デスクからひとつのファイルを取り出す。
「この町には迷宮がふたつありましてな。ひとつは東の迷宮。40年前に発見され、すぐに探索し尽くされたってわけで、もうめぼしいものは何もないでしょうな。今は低層が整備され、若者の遊び場になっとります」
「ほうほう」
ダンジョンを遊び場に、か。
いくら整備したとはいっても、迷宮の魔力から魔物は無尽蔵に産まれるだろうに、この町の若者は強いんだなぁ。
ある程度は管理できるけど、魔物の出没を0にはできないものね。
で、私の求めるダンジョンはそっちじゃなかったはず。
例の探索者が目撃されたのは、たしか西のダンジョンだ。
「もうひとつが、西の迷宮。東の迷宮よりも深く、複雑で、難解な迷宮でしてな」
「その迷宮って――」
問いかけようとしたとき、私たちの前にコトンとふたつのマグカップが置かれた。
香り立つ冬の気配は、私の苦手な味だ。
「おっと、すまないね」
「お外はもう冷えてるでしょうから。温かいコーヒーでもお飲みになっていってください」
「あ……ありがとうございます」
「お砂糖、お使いになります?」
「ぜ、是非!」
コーヒーかぁ……と、顔に出ていたのかもしれない。
速やかに用意してくれたお砂糖を、遠慮なしに2本ぶち込む。
香りが少しだけ甘くなった気がした。
「それで、西の迷宮のお話でしたな。黄金色の探索者様とお見受けするが、それならば西の方がよろしいでしょう――と、言いたいところなんですがね」
「えっと、なにかあったんですか?」
「立て込んでおりましてな。無許可の探索者が入り込んだのですよ」
そこまで言って、彼はカップを口に運ぶ。
私も真似してひとくち。うえぇ、まだ苦い。
「元々、西の迷宮に深層が存在することは分かっていたのですが……なにぶんこの町には若者が少ない。優秀な探索者がおらず、深層以下の探索は半ば封じられていた、というのが実情でした」
「……そこに無許可の探索者が入り込んだ、と」
「ええ。無許可で探索すること自体は構いませんとも。罰則もなく、罪には問われません。そればかりか、此方としては何十年も先行きが掴めなかった深層探索の足がかりになりますから」
なるほど。
町には深層まで潜れるような探索者はいなくて。
行きがかりの探索者に任せるにも、この町に立ち寄るような人はいなくて。
で、ようやく現れた敏腕の探索者がたまたま無許可だったと。
うーん。まぁ、悪い話ではないんだろうけど、ややこしくはありそうだ。
「それで、立て込んでるというのは?」
「ええ。深層が攻略されているという情報に乗じて、町のある若者が50層まで潜りましてな」
「ふむふむ」
「既に討伐された魔物の死体が転がっていたそうなのですが、どうにも様子がおかしいと。多くは深層相当の魔物ではあったのですがね、ある部屋には、階層の長相当の魔物が大量の束になって死んでいたと」
「深層の、長と同じ強さの魔物が、群れになって……?」
迷宮には、階層ごとに『長』と呼ばれる魔物がいる。
もっとカジュアルな言い方をすれば、『フロアボス』とか呼ばれてたり。
で、ボスと呼ばれるくらいだから、それらの魔物はまぁ強い。本当に強い。
中層のボスであっても、黄金色の探索者が簡単に殺されちゃうくらいには強い。
深層のボスともなれば、ひとりで挑むのが無茶ってくらいだ。
相応の実力者が最低でも4人。できれば6、7人でパーティを組んで、万全の状態で挑まないと討伐するのは苦しいと言われている。
そんなのが群れになってたら、私だってまず間違いなく命はないだろう。
「幸いにも、その若者は魔物の知識にも長けていましたんで、死体を見るなりすぐ逃げ帰ってこられました。持ち帰ってこられた何枚かの写真を、専門家の元で解析してもらったところなんですが」
「……狂っていた、ということですか」
「その通り。――西のダンジョンは、『狂戮』ということで間違いないでしょう」
ごく稀に、迷宮そのものの魔力が狂ってしまっている場所がある。
迷宮なのに魔品がひとつも出てこないとか、階層の割に魔物が弱すぎるとか。
そういう迷宮のうち、魔力濃度が高すぎる迷宮のことを、『狂戮迷宮』と呼んだりする。
なんのことはない、入ったら死ぬ。
それだけのダンジョンだ。
「というわけでしてな。とてもじゃないが、西の迷宮は勧められない。立入禁止にするかどうかも協議中なくらいだ。東の迷宮に行かれるのがよろしいでしょう」
「…………」
狂戮迷宮。
私だって潜ったことはない。
自分の能力に自信はあるし、ある程度信頼もしているが、過信はしていない。
過信はしていなくとも、中層の迷宮で呆気なく死にかけるような世界。
無茶だ。
遠路はるばるこの町までやってきたのは、命を捨てるためじゃない。
むしろ、救ってもらった命を無駄にするようじゃ、恩を仇で返すのと一緒。
仮に西の迷宮に潜った探索者が、私を救ってくれた人だったとして。
彼女は深層フロアボスクラスの魔物の群れを倒して先に進んだようだから、かなりの実力があって、無茶にはなっていないのだろう。
私はどうだろうか。
毎日ちょっとずつ強くなってる自覚はあるけど、複数のフロアボスを同時に相手取ることができるだろうか。
不可能だ。
それにどうせもう数日前の情報。
彼女だったとして、この場所にはいないだろう。
そういえば、無許可といっても彼女は探索者だ。
ひょっとしたらこの場所にも足を運んでるかもしれないし、目撃した人もいるかもしれない。
そうだ。今回は情報を集めて、彼女の足取りを少しでも掴もう。
そのために来たと思えば、有益な旅ではあった。
「その、無許可の探索者と会われたりとかしましたか?」
「私は直接会ってはないが、何人か会話をした町民はいたようですな」
「どんな人だったかとか、聞いてもいいですか?」
「若い女性だったようですよ。丁度あなたと同じような……あぁ、あと」
「――。あと?」
「眉唾ですがね。転んで擦りむいた子どもの傷を、あっという間に治してしまったらしいんですよ。それが本当なら国がほっとかないでしょうから、無許可なのもそういう理由なんですかなぁ」
「――!」
間違いない。彼女だ。
彼女はこの町に来ていた!
やった、やった!
やっと見つけた、彼女の手がかりだ!
あとは、彼女が次にどこに行くつもりなのかを知っている人がいないか探してみよう。
彼女と話したって人をリストアップしてもらって――。
「しかし、残念でしたなぁ」
「――? ざんねん?」
「いやね、本当に治癒魔術を使えたのなら、惜しい人を亡くしましたよ」
「亡く、した……?」
どくん。
イライラするほど、五月蝿く心臓が鳴いた。
「ええ。もうずっと迷宮から出てきてないようですから、残念ながら生存しているとは言えないでしょう。荷物も腰に着けたポーチだけだったらしいのでね、とっくに水も食料も尽きてるだろうと」
「え、すうじつ、前の話じゃあ……」
「ん? あぁ、ネットの記事を見られましたか? あれはね、写真の解析が終わってから出されたもんです。撮影されたのは2週間ほど前になりますかね」
死んだ?
あの人が?
あんなに強くて、私を救ってくれて、いつか会いたかったあの人が、死んだ?
いやいやいや。
いやいや。
死なないでしょ。
死なないでしょ、普通。
お礼だってまだ言ってないのに。
「決めつけるのはまだ早いですわよ。治癒魔術が使えるようなお人ですよ? お水くらい出せるんじゃないかしら」
「そうは言うがね、治癒魔術ってのも本当かはわからない。迷宮で行方不明になったら1ヶ月で認定死亡になるんだから。それくらい過酷な環境なんだ」
「それは私たち一般人の感覚ですわよ。本当に強いお人は、2週間くらい簡単に生き延びちゃうんだから。ねぇ?」
「――――」
そうだ。
あの人は、私なんかとは探索者としてのレベルが違う。
死んでない。死んでないはずだ。
もしかしたら死にかけてるかもしれない。
お腹が空いて歩けないかもしれない。
でも、生きてるはずだ。
「ええと、他に知りたいことはありますかな?」
「――いえ。ありがとうございました」
「そうですか、お気を付けて。くれぐれも、西の迷宮には近付かない方がいいでしょう」
「そう、ですね」
ぐいっとカップをあおぐ。
冷めきったコーヒーが酷く苦かった。
私は立ち上がり、斡旋所を後にする。
そして、寒空の下を歩き始めた。
西へ、西へ。
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